東京の花街

日本の東京にある花街、遊廓について

/GHQ2321

歴史

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宿



41784使稿使

41929宿西

東京六花街

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以前は柳橋芳町新橋赤坂神楽坂浅草を六花街と呼んだが柳橋の花柳界が消滅した後、向島を加え六花街と呼ばれるようになった。

芳町

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1618

新橋(銀座)

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1857年安政4年)、現在の銀座八丁目付近で三味線の師匠が料理屋を開業したのが花街の誕生となる。明治大正に最盛期を迎える。毎年5月に開催される東をどりで有名。

赤坂

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江戸期、溜池付近に岡場所が発生し明治に花街として成長する。主に官僚らが利用していた。

神楽坂

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石畳の路地が残っており、風情がある。

浅草

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花街としての浅草は芳町同様、江戸期に発生し猿若町の芝居小屋付近の「猿若町芸者」、山谷堀周辺の「山谷堀の芸者」、浅草門前の「広小路芸者」が今日の花柳界を形成した。

向島

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[1]

東京六花街以外

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八王子

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花街は八王子駅北口の八王子市中町黒塀通り周辺に位置する。2018年、「見番(けんばん)」が建て替えられ、7月25日に披露目会が行われた[2][3]

大井と大森

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  [4]西412580

1893[4]7[1]404060

[5]   [6]

大塚

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豊島区南大塚 (1920年、遊芸師匠+指定地出願)[4]は三業通りの名を残し、花街としての面影が色濃く残る場所で、現在も予約をしてお座敷遊びもできる。大正8年に誕生し、関東大震災の復興時期と合わせて発展。最盛期には700人の芸者が在籍し、東京最大規模の三業地とされた。

円山町

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1887[4]宿18872019132 246013151919821921101374029642019804084170[7]

江戸四宿

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江戸四宿板橋品川新宿千住)は江戸期、各宿場町から始まり遊所として発展し幾度の取り締まりを受けて明治初期に遊廓となる。昭和戦時中に廃絶した板橋を除き、1958年(昭和33年)、売春防止法施行まで遊廓として営業していた。

品川

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品川区品川

板橋

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板橋区板橋

千住

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足立区千住柳町(1661年)。旧日光街道の千住宿の中に点在していた宿場女郎を大正中頃、千住柳町を免許地として集娼したところで16軒程から、板橋や吉原の一部業者も入りピークは56軒あったという。

内藤新宿

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新宿区新宿二丁目 甲州街道内藤新宿に分散していた遊廓が、大正期に一か所にまとめられたのが現在の新宿2丁目の始まり。戦災で焼け、戦後赤線・青線となり現在のゲイの町へと遊里の歴史は変遷してきた。

江戸四宿以外

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調布町宿場[8]

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調321[9]) 調宿調調

府中町宿場[10]

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府中町本町(貸座敷数:娼妓数=5:20、[9]) 甲州街道、大国魂神社の傍。

かつて存在していた花街(遊廓)

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玉の井

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[10][1][11]

新吉原

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1617316573195833

洲崎遊廓

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1888年(明治21年)、根津遊廓(現・東京都文京区根津)が廃止され、現在の江東区東陽にあたる洲崎に移転され、洲崎遊廓と呼ばれた。昭和戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれ、売春防止法により廃止。現在は住宅地。

田町遊廓

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宿宿331958

かつての花街[4]

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  • 深川仲町 江東区深川(1658年-1680年、岡場所(社寺)に花街が存在した。発生は江戸時代で深川八幡宮の付近の茶屋で後に最規模を誇った岡場所となり、吉原と対抗し度重なる取り締まりを受けた。深川の芸妓は花街が位置する方角にちなみ、「辰巳芸者」と呼ばれきっぷの良さが売り物であった)

 1789-1801

  沿
  • 根岸 台東区根岸四丁目(? 、市街化+指定地出願 許可が下りたのは大正10年(1921年)で根岸三業地はもっとも栄えた大正15年頃には、芸妓置屋40軒、芸妓139人、待合30軒を数えたという。柳通りから一本入った路地がかつての料亭街。戦後も花街は復活。現在も数件がレストランや料理屋として営業している)
  • 下谷本郷 台東区上野(1744年-1748年、岡場所(社寺)+風光(池)+(私娼窟) もとは上野不忍池にあった『池之端』という一大花街がいくつか花街が合併)
  • 烏森(新橋南地)[10][11] 港区新橋(1751年-1764年、岡場所(社寺))
 

  1872111936

 1910

 1661-1673[12][13]

  1868

 

 

 5

 2  1764-1773, 

 1857-1870

 1869 禿)

 1624-1644[14][15]

 [1] 1891-1895

 [1]51921[15]10322138[9]

 1789-180125100581983[16]

 4141130

  415015

 宿 

 宿1501436

宿 宿宿1842-1845

  宿西宿 -1885西402460

西  1928西沿401540

 19211258228254540

 宿7宿殿宿

[1]  1804-18303540

 19073540

  1920 

 西1914

 

 1913宿181943191944[17]退
[1][11]2019453

   1922-1924

 1894-1896

 1921[1] 

  225045307253019555019

[1][11] 1沿2RAA 

 

[11]         

[1] 

宿[10]13[9]

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『赤線跡を歩く』『赤線跡を歩く2』『赤線跡を歩く完結編』
  2. ^ 花街の象徴 「見番」新装 60年ぶり舞台も復活 タウンニュース八王子版2018年8月2日
  3. ^ 中町黒塀”. 八王子市 (2016年6月29日). 2020年2月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e 近代東京における花街の成立 - 東京大学景観研究室
  5. ^ 岸井良衛 女芸者の時代 (1974年) (青蛙選書)
  6. ^ 2017年10/27 日本経済新聞 朝刊
  7. ^ 本橋 信宏『迷宮の花街 渋谷円山町』
  8. ^ 井上章一編『近代日本のセクシュアリティ-風俗から見るセクシュアリティ-22 全国花街巡り-制の空間 2-』ゆまに書房 2007
  9. ^ a b c d 上村(1929)
  10. ^ a b c d 『全国遊郭案内』(昭和5年 日本遊覧社刊)
  11. ^ a b c d e f g h 渡辺寛『よるの女性街・全国案内版』(昭和30年 自由国民社)
  12. ^ 加藤藤吉:日本花街志(四季社,1956)
  13. ^ 都市整図社:火災保険特殊地図 港区芝浜松町・東京湾口方面(1951~1961)
  14. ^ 大正11年(1922年)出版の『東京藝妓名鑑』
  15. ^ a b 松川二郎『全國花街めぐり』昭和4年(1929年)発行
  16. ^ 「移り変わる盛り場=王子三業地」(久保埜企美子)北区飛鳥山博物館 「三都花街めぐり」(松川二郎) 誠文堂・昭和7年
  17. ^ 鈴木勇一郎『電鉄は聖地をめざす』講談社、2019年5月10日、127-128頁。 
  18. ^ 正岡 容『艶色落語講談鑑賞』

参考文献

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  • 『東京六花街 芸者さんに教わる和のこころ』 浅原須美著、ダイヤモンド社発行 2007年
  • 『東京 花街・粋な街』 上村敏彦著、街と暮らし社発行 2008年 ISBN 978-4901317191
  • 『花街・色街・艶な町 色街編』 同著者、同出版社 2008年 ISBN 978-4901317177
  • 『赤線跡を歩く』木村聡 自由国民社 1996 (ちくま文庫) 2002
  • 『赤線跡を歩く〈2〉続・消えゆく夢の街を訪ねて』 (Bibliotheca nocturna(夜の図書館)) 木村聡 自由国民社 2002
  • 『赤線跡を歩く完結編赤線跡を歩く〈完結編〉続々・消えゆく夢の街を訪ねて』 (Bibliotheca Nocturna) 木村聡 自由国民社 2007
  • 『消えた赤線放浪記 その色町の今は……』 (ちくま文庫) 木村聡 2016
  • 『日本全国遊廓一覧』(『日本遊里史』 上村行彰(1929)巻末付録)