コンテンツにスキップ

「イニャツィオ・シローネ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
(17人の利用者による、間の27版が非表示)
1行目: 1行目:

[[ファイル:Tomba di Silone.JPG|thumb|[[ペシーナ]]にあるイニャツィオ・シローネの[[墓]]]]

[[ファイル:Silone.JPG|代替文=イニャツィオ・シローネ 戦後撮影された写真|サムネイル|イニャツィオ・シローネ]]


'''''''''Ignazio Silone'''[[1900]][[51]] - [[1978]][[822]][[]][[]][[]][[]][[]]'''''''''Secondino Tranquilli'''[[]]

''''''Ignazio Silone[[1900]][[51]] - [[1978]][[822]][[]][[]][[]][[]]'''''' Secondino Tranquilli [[]]

[[1965年]]に『非常口』Uscita di sicurezza でマルツォット賞を、[[1968年]]に『一人のつつましきキリスト教徒の物語』でスーパー・[[カンピエッロ賞]]、また、[[1969年]]には[[エルサレム賞]]を受賞している。

[[1965年]]に『非常口』Uscita di sicurezza でマルツォット賞を、[[1968年]]に『あるつつましきキリスト教徒の冒険L'avventura d'un povero cristiano でスーパー・[[カンピエッロ賞]]、また、[[1969年]]には[[エルサレム賞]]を受賞している。



== 生涯 ==

== 生涯 ==


[[1900]]51[[]][[1911]][[]][[1915]][[]][[:en:1915 Avezzano earthquake]][[]][[]]

[[]][[]][[1911]][[1915]][[|]]



17[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

17歳でアブルッツォ地方の農業[[労働組合]]の[[書記長]]に抜擢され、大地震後の復興事業を巡る不正を告発。間もなく学業を中断、ローマに移住して、本格的に政治活動を開始。[[イタリア社会党]]の青年部総会で週刊の[[機関誌]]「ラヴァングアルディア」の[[編集長]]に任命された。[[1919年]]に、北イタリアの[[トリノ]]で[[アントニオ・グラムシ]]に出会い、[[1921年]]1月、[[イタリア共産党]]の結成に参加。[[ソ連]]をはじめ、[[欧州]]各地の国際会議に頻繁に参加するとともに、[[トリエステ]]で党の[[機関紙]]『イル・ラヴォラトーレ』の編集などに携わる。以後も、党の機関誌上で活発な執筆活動を行う

[[1919年]]に、北イタリアの[[トリノ]]で[[アントニオ・グラムシ]]に出会い、[[1921年]][[1月|1月]]、[[イタリア共産党]]の結成に参加。[[ソ連]]をはじめ、[[欧州]]各地の国際会議に頻繁に参加するとともに、[[トリエステ]]で党の[[機関紙]]『イル・ラヴォラトーレ』の編集に携わる。以後も、党の機関誌上で活発な執筆活動を行う。




[[|]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[1929]][[]][[1931]][[]]

[[|]][[]][[]][[]][[1929|1927]][[]][[1931]]{{Efn|<ref>{{Cite book||author=I|year=1958|title=|publisher=|pages=P.136}}</ref>}}



1930[[]][[]]1933[[]]19371941[http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-024121-4 ][[]][[]][[]][[]][[]]

1930[[]]1944[[]][[]][[]]1933{{Efn| [[]]1933<ref>{{Cite book||author=L|year=1978|title=|publisher=|pages=P.135}}</ref>}}1937195119411943[http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-024121-4 ][[]][[]][[]]

[[ファイル:Tomba di Silone.JPG|代替文=Ignazio Silone_Tomba a Pescina|サムネイル|Tomba di Ignazio Silone]]


[[]][[]] Avanti!1950



西[[|]]

[[]][[!]]1950




[[1969年]]、[[エルサレム賞]]を受賞する。小説のつか映画やテレビドラマ化されている。

[[1969年]]、[[エルサレム賞]]を受賞。小説のくは映画やテレビドラマ化されている。



1978年8月22日、スイスの[[ジュネーヴ]]で亡くなる。


1978822[[]]<ref>{{Cite web|title=Cronologia  Amici Silone|url=http://amici-silone.net/cronologia/|accessdate=2020-05-22|language=it-IT}}</ref>


== 作品 ==

== 作品 ==

[[ファイル:Museo Silone.JPG|代替文=Museo Silone di Pescina|サムネイル|Museo Silone Pescina]]

* [[1930年]]、『フォンタマーラ』

*[[1930年]]、『[[:it:Fontamara|フォンタマーラ]]』、戦後改訂版は[[1949年|1949]]〜[[1953年]]

* [[1934年]]、『ファシズム:その起源と展開』

* [[1937年]]、『パン葡萄酒

*[[1934年]]、『ファシズム:その起源展開

* [[1938年]]、『独裁者の学校

*[[1937年]]、『パンと葡萄酒  

* [[1939年]]、『今に生きるマッツィーニの思想』

*[[1938年]]、『独裁者の学校』

*[[1939年]]、『今に生きるマッツィーニの思想』

* [[1940年]]、『雪の下の種

*[[1940年]]、『雪の下の種』

* [[1944年]]、『そして、彼は姿をくらました』(戯曲)

*[[1944年]]、『そして、彼は隠れた』(戯曲)

* [[1949年]]、『神は躓けり』([[アンドレ・ジッド]]、[[アーサー・ケストラー]]、[[スティーブン・スペンダー|ステファン・スペンダー]]らと共著)

*[[1949年]]、『神は躓けり』([[アンドレ・ジッド]]、[[アーサー・ケストラー]]、[[スティーブン・スペンダー|ステファン・スペンダー]]らと共著)

* [[1952年]]、『一握りの桑の実』

*[[1952年]]、『一握りの桑の実』

* [[1955年]]、『葡萄酒とパン』(邦訳、[[白水社]]、[[齋藤ゆかり]]訳 [[2000年]])

*[[1955年]]、『葡萄酒とパン』

* [[1956年]]、『ルーカの秘密』

*[[1956年]]、『ルーカの秘密』

* [[1960年]]、『狐と椿』

*[[1960年]]、『狐と椿』

* [[1962年]]、『独裁者の学校』改訂版(邦訳、『独裁者になるために』[[齋藤ゆかり]]訳、[[岩波書店]]、[[2002年]]

*[[1962年]]、『独裁者の学校』改訂版

* [[1965年]]、『非常口』

*[[1965年]]、『[[:it:Uscita_di_sicurezza_(Ignazio_Silone)|非常口]]

* [[1968年]]、『一人のつつましきキリスト教徒の物語

*[[1968年]]、『あるつつましきキリスト教徒の冒険

* 未完のままで没後出版された作品に『セヴェリーナ』がある。

:未完のままで没後出版された作品に『尼僧セヴェリーナの思い』がある。



== 脚注・参考文献 ==

=== 日本語訳 ===

*『パリへの旅』([[菅泰男]]訳、世界文学社、1946年)、短編集

Silone Romanzi e saggi, a cura di Bruno Falcetto, Mondadori, Milano, 1998

*『パンと葡萄酒』([[山室静]]・[[橋本福夫]]訳、月曜書房、1951年)

*『フォンタマーラ』(奥野拓哉訳、岩波書店「岩波現代叢書」、1952年)、原書は1949年版

*『葡萄酒とパン』([[齋藤ゆかり]]訳、[[白水社]]、2000年)

*『[https://www.iwanami.co.jp/book/b264478.html 独裁者になるために]』(齋藤ゆかり訳、[[加藤周一]]解説、[[岩波書店]]、2002年)、原書は1962年版

*『フォンタマーラ』(齋藤ゆかり訳、[[光文社古典新訳文庫]]、2021年)


==参考文献==

* Silone Romanzi e saggi, a cura di Bruno Falcetto, Mondadori, Milano, 1998

* シローネ「葡萄酒とパン」(白水社)、齋藤ゆかりの訳者あとがき 

* Luce d’Eramo, Ignazio Silone, a cura di Yukari Saito, Castelvecchi, Roma, 2014


== 注釈 ==

{{Notelist}}


== 出典 ==

<references/>



== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

45行目: 63行目:

* [[イタリア共産党]]

* [[イタリア共産党]]



== 外部リンク ==

{{Normdaten}}

* [http://amici-silone.net Amici Silone] (イタリア語+一部英語)


{{典拠管理}}



{{DEFAULTSORT:しろおね いにやついお}}

{{DEFAULTSORT:しろおね いにやついお}}

[[Category:20世紀イタリアの小説家]]

[[Category:イタリアの政治家]]

[[Category:イタリアの政治家]]

[[Category:イタリアの小説家]]

[[Category:アメカ芸術文学カデミー会員]]

[[Category:イタリア共産党]]

[[Category:エルサレム賞受賞者]]<!-- 1969年 -->

[[Category:サレム賞受賞者]]

[[Category:チーノ・デ・ドゥーカ世界受賞者]]<!-- 1971年 -->

[[Category:アブルッツォ州出身の人物]]

[[Category:アブルッツォ州出身の人物]]

[[Category:イタリア共産党]]

[[Category:イタリア社会主義]]

[[Category:1900年生]]

[[Category:1900年生]]

[[Category:1978年没]]

[[Category:1978年没]]


2023年5月18日 (木) 15:27時点における最新版

イニャツィオ・シローネ 戦後撮影された写真
イニャツィオ・シローネ

Ignazio Silone190051 - 1978822 Secondino Tranquilli  1965Uscita di sicurezza 1968L'avventura d'un povero cristiano 1969

[]


19111915

17191919211

19271931[ 1]

193019441933[ 2]1937195119411943
Ignazio Silone_Tomba a Pescina
Tomba di Ignazio Silone

 Avanti!1950

西

1969

1978822[3]

[]

Museo Silone di Pescina
Museo Silone Pescina

193019491953

1934

1937  

1938

1939

1940

1944

1949(

1952

1955

1956

1960椿

1962

1965

1968


[]


1946

1951

19521949

2000

20021962

2021

[]


Silone Romanzi e saggi, a cura di Bruno Falcetto, Mondadori, Milano, 1998

 

Luce dEramo, Ignazio Silone, a cura di Yukari Saito, Castelvecchi, Roma, 2014

[]

  1. ^ トリアッティに対しシローネは「最後の闘争は共産主義者と共産主義の転向者の間で行われることになるだろう」と冗談めかして伝えたことがあったという[1]
  2. ^ ロシアの革命家レフ・トロツキーは1933年にこの小説の書評の中で「この本の部数を広めるのを助けるのは、すべての革命家の義務である」と述べた[2]

出典[編集]

  1. ^ I・ドイッチャー『変貌するソヴェト』みすず書房、1958年、P.136頁。 
  2. ^ L・トロツキー『革命の想像力』柘植書房、1978年、P.135頁。 
  3. ^ Cronologia – Amici Silone” (イタリア語). 2020年5月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]