ダイダラボッチ
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/61/Daidarabocchi_1.jpg/200px-Daidarabocchi_1.jpg)
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される伝説の巨人。日本各地にはダイダラボッチという巨人に関する伝説が存在するが、東日本と西日本では異なる内容の伝説となっている。
東日本では、主に関東一円を中心に﹃常陸国風土記﹄に登場する﹁ダイタボウ﹂を主にダイダラボッチと呼び、近畿地方では三重県、奈良県、和歌山県に跨る伝説中に登場する踏鞴法師をダイダラボッチと呼んでいる。
また、四国地方にも関東同様の伝説が伝わっている。
別名に、でいだらぼっち、だいらんぼう、だいだらぼう、でいらんぼう、だいらぼう、だだぼう等。常陸の国風土記にはダイタボウとある。
出雲地方のダイダラボッチ
山陰地方の特に安来市・米子市を中心とする雲伯︵出雲と伯耆︶国堺地帯は古代より踏鞴︵たたら︶製鉄が盛んであったため踏鞴法師︵ダイダラボッチ︶はこの地に伝わる巨人神の神話が全国に拡散したと見る説がある。出雲国風土記では小国を集めて出雲国を形成したいわゆる国引き神話が登場するが小国を綱で引き寄せた巨人神、八束水臣津野命︵やつかみずおみつののみこと︶がその原型であるといわれている。この神が国引きを終了したとき﹁おう﹂︵=意宇︶といったのでこの地方は意宇地方と呼ばれ、原出雲王国の中心地であったとされ、スサノオやオオクニヌシの活躍地とも知られ、天叢雲剣の出所地でもあったともされている。常陸の国風土記に登場するダイダラボッチ
主に山や沼を作ったとされる。その他
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
●柳田國男の著書﹃妖怪談義﹄にて相模原市大沼に調査に行ったとの記述あり。その地ではダイダラボッチの伝説は無かったと落胆しているが、ダイダラボッチ伝説があるのは北に5kmほどずれた鹿沼であった。
●土地によって伝承される内容が異なり、作ったとされる山や沼も異なる。
●関東甲信付近の大きな火山にまつわる伝承が比較的多い。
(一)山を作る・運ぶ
(一)富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった。
(二)上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中でやめたためである。
(三)浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
(四)西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
(二)足あと・手のあとを残す
(一)上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
(二)長野県大町市北部の青木湖、中綱湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの足あとである。
(三)遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子どもたちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子どもたちを手から投げ出してしまった。びっくりした子どもたちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。
(四)現在、東京都世田谷区にある地名﹁代田﹂︵だいた︶やさいたま市の﹁太田窪﹂︵だいたくぼ︶はダイタラボッチの足跡である。
(五)静岡市のだいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチが左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであるという。
(六)相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼であるという。
(三)休む・洗う
(一)榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った︵ふんどしを洗ったという説もある︶。
(二)羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
(三)長野県塩尻市の高ボッチ山はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという。
(四)人間を助ける
(一)秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬ったため工事がはかどった。このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。
近畿地方のダイダラボッチ
近畿地方では、和歌山県・奈良県・三重県に﹁ダンダラボッチ﹂、﹁デイタラボッチ﹂、﹁一目連︵いちもくれん︶﹂などの名前でダイダラボッチ伝説が伝わっている。
播磨国風土記の託賀郡︵多可郡︶の条には足跡が数多の沼になった大人︵おおひと︶伝説が記されており、常陸国風土記の伝説と同種であると考えられている。同郡では製銅が盛んだったようで、金属生産と巨人という出雲国の例との共通点もみられる。この大人については一つ目であるという伝承はないが、同郡でも天目一箇神が祀られており、巨人・隻眼・鍛冶の関連を示唆している。
たたら製鉄
﹁片眼であり、1本足、巨人、踏鞴を操り風を起こす﹂という特徴から、たたら製鉄との関連性が指摘される。 片眼︵若しくは単眼︶がたたら製鉄と関連付けられるのは、古来たたら製鉄においては融解した鉄の温度を見るために、文字通り目で見てその色で判断していた。その為、融解した鉄の強力な光によって網膜が傷ついてしまい、隻眼となってしまうからだと言われている。ギリシア神話の火山、鍛冶の神ヘパイストスにつかえるキュクロプスが同様である。 また、旱魃を起す神︵日照り神︶も同じような特徴とされる事がある。陀々法師︵だだほうし︶
愛知県東海市の南側に位置する地名、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説が残っている、名古屋鉄道八幡新田駅西側にあったが2000年頃に埋め立てられて現在はその形跡ない。関連項目
- 登場する漫画・映画
- 小説
- 満月の長い夜~アンティーク・ナナ~(富士見ミステリー文庫) 吉田緑 - ダンダラボッチ
- CM
- 浜乙女-デイタラボッチ