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チリ地震で倒壊した建物
各地の津波到達時間
チリ地震︵チリじしん︶は、1960年︵昭和35年︶5月22日午後3時11分20秒︵現地時間。日本時間では5月23日午前4時11分20秒︶、チリのバルディビア近海を震源として発生した地震。日本を含め、環太平洋全域に津波が襲来した。
表面波マグニチュード︵Ms︶8.5、モーメントマグニチュード︵Mw︶9.5と、有史以来観測された中で最大規模の地震である。気象庁震度階級では震度6相当とされている。
概要
まず前震がM7.5で始まり、M7クラスの地震が5~6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために、首都サンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。地震による直接的な犠牲者は1743名。負傷者は667名。
また、アタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2.7m沈み込むという大規模な地殻変動も確認された。また有感地震が約1000キロメートルにわたって観測された。史上初の地球自由振動の観測に成功し、地震波は米国で地球を3周した事が確認された。
尚、本震発生から15分後に約18mの津波が沿岸部を襲い、約17時間後にはハワイを襲った。なお、ハワイではヒロ湾で10.5mの津波を観測した。
日本での被害
日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から22時間余り後の5月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。
津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町︵現・南三陸町︶では41名が死亡。一方で度重なる津波被害を受けた田老町︵現在の宮古市︶では高さ10メートルの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。
地球の反対側から突然やってきた津波︵遠隔地津波︶に対する認識が甘かった事が指摘され、以後、気象庁は海外で発生した海洋型巨大地震に対しても、たとえばハワイの太平洋津波警報センターと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。
関連項目