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「ニュー・アカデミズム」の版間の差分

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==概要==

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既存のアカデミズムの学問領域の区分けを横断する[[学際]]的な思想である点<ref>佐々木敦『ニッポンの思想』p47-49</ref><ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p14-15</ref>、旧来的な学問の論述方法・作法から逸脱した自由な表現方法をとる場合がある点<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p16-18</ref>に特徴がある。したがって学会や学術誌よりも、ジャーナリズムを主要な活動の舞台とした。ただし論者のほぼ全ては大学に籍を置いていた<ref>佐々木敦『ニッポンの思想』p43-44</ref>。

[[クロード・レヴィ=ストロース|レヴィ=ストロース]]、[[ジャック・ラカン|ラカン]]、[[ルイ・アルチュセール|アルチュセール]]、[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]、[[ロラン・バルト|バルト]]等[[構造主義]]や[[記号学|記号論]]を受け継いだ潮流と、後に[[ポスト構造主義]]ないし[[ポスト・モダニズム]]と総称されるようになる[[ミシェル・フーコー|フーコー]]、[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]、[[ジャック・デリダ|デリダ]]、[[ジュリア・クリステヴァ|クリステヴァ]]、[[ジャン=フランソワ・リオタール|リオタール]]、[[ジャン・ボードリヤール|ボードリヤール]]を受け継いだ潮流がある。


==沿革==

===近代主義への懐疑とマルクス主義の退潮===

1960年代までの既存の[[アカデミズム]]の議論の主流は、[[政治学]]における[[丸山真男]]、[[経済史]]における[[大塚久雄]]、[[法社会学]]の[[川島武宜]]に代表される西欧の近代市民社会の諸原理を社会に確立しようとする近代主義であった<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35</ref>。また、社会に[[マルクス主義]]が受け入れられており、それを実践の側面から補完する[[サルトル]]の[[実存主義]]<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112</ref>が流行の思想であった。


[[文化大革命]]、[[パリ五月革命]]、ベトナム反戦運動、[[公民権運動]]など、[[1968年]]に前後し全世界的な潮流として[[新左翼]]が勃興し、日本においても[[大学紛争]]が激化する。学生の公式的なマルクス主義からの離反が生じる。[[1970年代]]に入り新左翼が過激化すると、新左翼自体も大衆的な支持を失う<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p55-58</ref>。


1960年代後半に[[全共闘]]の学生の支持を受けた在野の[[文芸批評家]]の[[吉本隆明]]が丸山真男のアカデミズムの権威性と近代主義を批判して主著『[[共同幻想論]]』を発表する<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63</ref>。同じころ、[[新左翼]]に影響を与えた哲学者の[[廣松渉]]はマルクス解釈の内部から関係論的な共同主観性の議論を導き出す<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71</ref>。


===1968年革命 プレ・ニューアカ期の言論===

1970年代には[[記号論]]や[[構造主義]]などの新しい思想潮流が海外から輸入されるようになり、近代的な主体概念、理性中心主義への懐疑が知的世界に膾炙していく。


記号論や構造主義的な思考を取り入れた文化人類学者[[山口昌男]]は社会・文化を「中心と周縁」の対立構造として捉える理論を提唱、哲学者[[中村雄二郎]]がやはり構造主義の影響を受けて「共通感覚論」「深層=パトスの知」という考えを提唱する。[[経済人類学]]の栗本慎一郎は[[カール・ポランニー]]に[[ジョルジュ・バタイユ]]を結びつけた独自の理論を展開、心理学者[[岸田秀]]は[[ジークムント・フロイト]]を独自に解釈した「唯幻論」を唱えた。


文芸批評においては[[柄谷行人]]が『[[資本論]]』をマルクス主義から独立したテクストと捉えて[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]言語学を援用して読み解いた。また[[蓮實重彦]]は[[ミシェル・フーコー]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、[[ジャック・デリダ]]などのフランス現代思想の知見を文芸批評の世界に導入する。こうした新しい知の主要な発表の場となったのは[[三浦雅士]]が編集長を務めていた雑誌『[[現代思想 (雑誌)|現代思想]]』{{Refnest|group="注釈"|この雑誌が「思想界へのデビュー」となった人物には[[丸山圭三郎]]、[[木田元]]、[[栗本慎一郎]]、[[岸田秀]]、[[粉川哲夫]]、[[今村仁司]]、[[岩井克人]]などがいる。}} であった。


===1980年代 ニュー・アカデミズムのブーム===


1981[[]][[]]1983 [[]][[]]{{Refnest|group=""|2626}} <ref>p33</ref>


[[]][[]][[寿]][[]][[西]][[]][[]]<ref>  1975-2001 2017</ref>[[]][[]][[]][[]][[]]<ref> II</ref>[[GS]][[]]

===ニュー・アカデミズムの退潮===

その後、ニュー・アカデミズムが主に扱っていたフランス現代思想の輸入が進んで大学の制度にとりこまれていったこと、世界的な知の潮流が英米系の[[分析哲学]]やリベラリズムに立脚した正義論・責任論など理性的な主体を前提する議論にシフトしたこと、ポスト[[冷戦]]の[[新自由主義]]化やバブル後の不況によって旧左翼的な資本主義批判にリアリティがでてきたことなどから、ニュー・アカデミズムは退潮していく<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p215-219 </ref>。[[大塚英志]]は、文学や学問が文壇やアカデミズムの既得権益によって閉塞した転機が1990年代だったと述べている<ref>[https://business.nikkei.com/atcl/interview/16/100100031/102200010/?P=4 今の経営者はなぜ「月」の夢しか抱けないのか (4ページ目):日経ビジネス電子版]</ref>。


一方[[栗原裕一郎]]は「消費社会批判を繰り出しつつ消費社会に従順な、価値相対化ばかりが肥大しているような奇妙なもの」とし、文系がいまだにポストモダン、ニューアカに対する夢を捨て切れていないとして批判している<ref>[https://corporate.mainet-works.com/heisei-history/interview/13.html 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(1)]</ref>。



==略年譜==

==略年譜==

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*[[1981年]] - [[栗本慎一郎]]『[[パンツをはいたサル]]』

*[[1981年]] - [[栗本慎一郎]]『[[パンツをはいたサル]]』

*[[1982年]] - [[上野千鶴子]]『セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方』

*[[1982年]] - [[上野千鶴子]]『セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方』

*[[1983年]] - [[浅田彰]]『構造と力』、[[中沢新一]]『チベットのモーツァルト』

*[[1983年]] - [[浅田彰]]『[[構造と力]]』、[[中沢新一]]『チベットのモーツァルト』

*[[1984年]] - [[丸山圭三郎]]『文化のフェティシズム』、[[四方田犬彦]]『クリティック』

*[[1984年]] - [[丸山圭三郎]]『文化のフェティシズム』、[[四方田犬彦]]『クリティック』

*[[1985年]] - [[岩井克人]]『『ヴェニスの商人の資本論』

*[[1985年]] - [[岩井克人]]『『ヴェニスの商人の資本論』



==ニュー・アカデミズムの定義や範囲==

==解説==

ニュー・アカデミズムとは[[浅田彰]]、[[中沢新一]]の著作がベストセラーとなったことを受けて、1984年の朝日新聞の学芸欄で記者が「これまでの学問体系や秩序に挑戦する若い研究者の本」が「「新しい知」を求める若い世代の関心を集めている」状況を指して名付けた造語<ref>1984年1月23日 朝日新聞読書欄p33</ref>であり、厳密な定義のない用語である。

[[1960年代]]までにおける社会科学・人文科学における[[アカデミズム]]の主流は、[[政治学]]における[[丸山真男]]、[[経済学]]における[[宇野弘蔵]]、歴史学における[[大塚久雄]]の流れをくむ[[マルクス主義]]であった。文壇でも、マルクス主義の[[実存主義]]による補完を目指した[[サルトル]]を[[戦後民主主義]]を支持する[[大江健三郎]]が紹介するなどして流行していた。



大澤聡は『現代日本の批評 1975-2001』においてニュー・アカデミズムを論じているが、期間で区切っており、1983年に『構造と力』、『チベットのモーツァルト』が異例の販売部数を記録して知のブームが起きて、四方田犬彦、細川周平ら若手がフックアップされていき、同時に、柄谷行人、蓮實重彦、山口昌男、栗本慎一郎ら先行世代もブームの圏内へとどんどん引きずりこまれていく状況をもってニューアカデミズムとしている。そして先行する山口昌男、中村雄二郎らが牽引した1970年代の知の状況をプレ・ニューアカ期と呼称している。ただ論の中に「狭義のニューアカ・ブームは、一九八三年から八六年の期間に相当する」という記述があり、広義の、もっと広い期間のニュー・アカデミズムがあるかの含みがある。

当時の政治事情を背景に市井の評論家であった[[吉本隆明]]が日本独自の思想の擁立を目指し、アカデミズム・戦後民主主義を批判したことによりポスト・マルクス主義の時代が始まった<ref>『現代思想・入門』p.262</ref>。



1986年のニュー・アカデミズムのブームの渦中に出版された概説書である小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』は吉本隆明以後、浅田・中沢の登場までの日本の知的状況を「現代思想」として一体のものとして扱っている。


[[1970]][[]][[ ()|]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]


==評価==


[[1983]] [[]][[]]15

社会思想史研究者の[[仲正昌樹]]は『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』で、冷戦終結以後の世界資本主義が暴威を振るう現実の前では、消費社会をあえてアイロニカルに肯定してみせるポストモダン思想のアイロニーが通用しなくなった、という柄谷行人の否定的なポストモダン思想評を紹介している。仲正自身はポストモダン思想は、ポストモダン的に複雑化していく現状の分析の道具としてはいまだ有効であるとしている。




[[]][[]]<ref>2013︿西554 HP2013712</ref>

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==参考図書==


退

*『ニューアカデミズム その虚像と実像』(新日本出版社、1985)


*小阪修平・竹田青嗣・西研他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門―サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取図! 』(別冊宝島、1984)


[[]][[]][[]]<ref>2013︿西554 HP2013712</ref>

*栗本慎一郎『[[鉄の処女 (書物)|鉄の処女―血も凍る「現代思想」の総批評]]』(カッパ・サイエンス 1985)

*小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』(別冊宝島、1986)

*仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006)

*佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)

*東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』(講談社 2017)



==脚注==

==脚注==

=== 注釈 ===

{{Reflist}}

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==参考文献==

=== 出典 ===

{{Reflist}}

*『ニューアカデミズム その虚像と実像』(新日本出版社、1985)

*[[小阪修平]]・[[竹田青嗣]]・[[西研]]他著『現代思想・入門』(宝島社、1987)

*[[仲正昌樹]]『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006)

*[[佐々木敦]]『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)


==関連項目==

*[[現代思想]]

**[[フランス現代思想]]

**[[イタリア現代思想]]



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[[Category:ポストモダン哲学]]

[[Category:学問の分野]]

[[Category:ポストモダニズム]]

[[Category:1980年代の日本]]

[[Category:文化運動]]

[[Category:日本のサブカルチャー]]

[[Category:20世紀の哲学]]


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参考図書[編集]

  • 『ニューアカデミズム その虚像と実像』(新日本出版社、1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣・西研他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門―サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取図! 』(別冊宝島、1984)
  • 栗本慎一郎『鉄の処女―血も凍る「現代思想」の総批評』(カッパ・サイエンス 1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』(別冊宝島、1986)
  • 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006)
  • 佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)
  • 東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』(講談社 2017)

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 

(二)^ 2626

出典[編集]

  1. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  2. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p47-49
  3. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p14-15
  4. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p16-18
  5. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p43-44
  6. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35
  7. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112
  8. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p55-58
  9. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63
  10. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71
  11. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  12. ^ 東浩紀、市川真人、大澤聡、福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』講談社 2017年
  13. ^ 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』
  14. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p215-219
  15. ^ 今の経営者はなぜ「月」の夢しか抱けないのか (4ページ目):日経ビジネス電子版
  16. ^ 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(1)
  17. ^ 1984年1月23日 朝日新聞読書欄p33
  18. ^ 山脇直司2013「〈駒場をあとに〉西部劇から四半世紀の想い出と所感」『教養学部報』554号、東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部HP、2013年7月12日掲載