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「ニュー・アカデミズム」の版間の差分

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===近代主義への懐疑とマルクス主義の退潮===

===近代主義への懐疑とマルクス主義の退潮===

1960年代までの既存の[[アカデミズム]]の議論の主流は、[[政治学]]における[[丸山真男]]、[[経済史]]における[[大塚久雄]]、[[法社会学]]の[[川島武宜]]に代表される西欧の近代市民社会の諸原理を社会に確立しようとする近代主義であった<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35</ref>。また、社会に[[マルクス主義]]が受け入れられており、それを実践の側面から補完する[[サルトル]]の[[実存主義]]<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112</ref>が流行の思想であった。

1960年代までの既存の[[アカデミズム]]の議論の主流は、[[政治学]]における[[丸山真男]]、[[経済史]]における[[大塚久雄]]、[[法社会学]]の[[川島武宜]]に代表される西欧の近代市民社会の諸原理を社会に確立しようとする近代主義であった<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35</ref>。また、社会に[[マルクス主義]]が受け入れられており、それを実践の側面から補完する[[サルトル]]の[[実存主義]]<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112</ref>が流行の思想であった。


[[文化大革命]]、[[パリ五月革命]]、ベトナム反戦運動、[[公民権運動]]など、[[1968年]]に前後し全世界的な潮流として[[新左翼]]が勃興し、日本においても[[大学紛争]]が激化する。学生の公式的なマルクス主義からの離反が生じる。[[1970年代]]に入り新左翼が過激化すると、新左翼自体も大衆的な支持を失う<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p55-58</ref>。



1960年代後半に[[全共闘]]の学生の支持を受けた在野の[[文芸批評家]]の[[吉本隆明]]が丸山真男のアカデミズムの権威性と近代主義を批判して主著『[[共同幻想論]]』を発表する<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63</ref>。同じころ、[[新左翼]]に影響を与えた哲学者の[[廣松渉]]はマルクス解釈の内部から関係論的な共同主観性の議論を導き出す<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71</ref>。

1960年代後半に[[全共闘]]の学生の支持を受けた在野の[[文芸批評家]]の[[吉本隆明]]が丸山真男のアカデミズムの権威性と近代主義を批判して主著『[[共同幻想論]]』を発表する<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63</ref>。同じころ、[[新左翼]]に影響を与えた哲学者の[[廣松渉]]はマルクス解釈の内部から関係論的な共同主観性の議論を導き出す<ref>仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71</ref>。



===1968年革命 プレ・ニューアカ期の言論===

===1968年革命 プレ・ニューアカ期の言論===


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1970年代には[[記号論]]や[[構造主義]]などの新しい思想潮流が海外から輸入されるようになり、近代的な主体概念、理性中心主義への懐疑が知的世界に膾炙していく。



記号論や構造主義的な思考を取り入れた文化人類学者[[山口昌男]]は社会・文化を「中心と周縁」の対立構造として捉える理論を提唱、哲学者[[中村雄二郎]]がやはり構造主義の影響を受けて「共通感覚論」「深層=パトスの知」という考えを提唱する。[[経済人類学]]の栗本慎一郎は[[カール・ポランニー]]に[[ジョルジュ・バタイユ]]を結びつけた独自の理論を展開、心理学者[[岸田秀]]は[[ジークムント・フロイト]]を独自に解釈した「唯幻論」を唱えた。

記号論や構造主義的な思考を取り入れた文化人類学者[[山口昌男]]は社会・文化を「中心と周縁」の対立構造として捉える理論を提唱、哲学者[[中村雄二郎]]がやはり構造主義の影響を受けて「共通感覚論」「深層=パトスの知」という考えを提唱する。[[経済人類学]]の栗本慎一郎は[[カール・ポランニー]]に[[ジョルジュ・バタイユ]]を結びつけた独自の理論を展開、心理学者[[岸田秀]]は[[ジークムント・フロイト]]を独自に解釈した「唯幻論」を唱えた。


2023年3月23日 (木) 23:07時点における版


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参考図書

  • 『ニューアカデミズム その虚像と実像』(新日本出版社、1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣・西研他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門―サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取図! 』(別冊宝島、1984)
  • 栗本慎一郎『鉄の処女―血も凍る「現代思想」の総批評』(カッパ・サイエンス 1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』(別冊宝島、1986)
  • 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006)
  • 佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)
  • 東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』(講談社 2017)

脚注

注釈



(一)^ 

(二)^ 2626

出典

  1. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  2. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p47-49
  3. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p14-15
  4. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p16-18
  5. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p43-44
  6. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35
  7. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112
  8. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p55-58
  9. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63
  10. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71
  11. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  12. ^ 東浩紀、市川真人、大澤聡、福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』講談社 2017年
  13. ^ 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』
  14. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p215-219
  15. ^ なぜ大人たちは「若者」を語りたがるのか? 幻想、暴論、狭い正義…(後藤 和智) | 現代ビジネス | 講談社(2/3)
  16. ^ 1984年1月23日 朝日新聞読書欄p33
  17. ^ 山脇直司2013「〈駒場をあとに〉西部劇から四半世紀の想い出と所感」『教養学部報』554号、東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部HP、2013年7月12日掲載