タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 議論ツール 返信 ソースモード |
|
99行目: |
99行目: |
|
*{{反対}} 多数の信頼できる情報源が出典が示されており、[[WP:GNG]]を満たしています。俗称やインターネットスラングが立項されている例も多数ありますし([[Template:インターネットスラング]])、学術用語ではないことが統合する根拠とはならないと考えます。多数の場面で使われている言葉のようですし単独記事で扱うことに問題はないでしょう。よって反対。--[[利用者:YellowSmileyFace|YellowSmileyFace]]([[利用者‐会話:YellowSmileyFace|会話]]) 2023年1月24日 (火) 13:52 (UTC) |
|
*{{反対}} 多数の信頼できる情報源が出典が示されており、[[WP:GNG]]を満たしています。俗称やインターネットスラングが立項されている例も多数ありますし([[Template:インターネットスラング]])、学術用語ではないことが統合する根拠とはならないと考えます。多数の場面で使われている言葉のようですし単独記事で扱うことに問題はないでしょう。よって反対。--[[利用者:YellowSmileyFace|YellowSmileyFace]]([[利用者‐会話:YellowSmileyFace|会話]]) 2023年1月24日 (火) 13:52 (UTC) |
|
::{{返信|[[利用者:YellowSmileyFace|YellowSmileyFace]]}} 学術用語でなければ特筆性がない訳ではありません。では、何をもって﹁この俗語に特筆性がある﹂と主張されるのでしょうか?メディアで取り上げられただけで特筆性を満たすわけではありません。それなら、白紙化保護された{{Page|野々村竜太郎}}の様な記事にはとっくに特筆性が認められているはずです。[[特別:投稿記録/119.245.86.157|119.245.86.157]] 2023年1月24日 (火) 17:10 (UTC)
|
|
::{{返信|[[利用者:YellowSmileyFace|YellowSmileyFace]]}} 学術用語でなければ特筆性がない訳ではありません。では、何をもって﹁この俗語に特筆性がある﹂と主張されるのでしょうか?メディアで取り上げられただけで特筆性を満たすわけではありません。それなら、白紙化保護された{{Page|野々村竜太郎}}の様な記事にはとっくに特筆性が認められているはずです。[[特別:投稿記録/119.245.86.157|119.245.86.157]] 2023年1月24日 (火) 17:10 (UTC)
|
|
:::補足しますが、「[[信頼できる情報源]]が出典が示されている」だけでは[[WP:GNG]]は満たせませんし、俗称やインターネットスラングが立項されている例が他にあるのは、そのスラングに特筆性が認められる場合のみです。現状では「クリぼっち」はそれには該当しません。これらについて、正当理由を伴った反論をお待ちしています。--[[特別:投稿記録/119.245.86.157|119.245.86.157]] 2023年1月24日 (火) 17:15 (UTC) |
|
:::補足しますが、﹁[[信頼できる情報源]]が出典が示されている﹂だけでは、[[WP:GNG]]は満たせたとしても、特筆性︵[[WP:N]]︶を満たせるとは限りません。また、俗称やインターネットスラングが立項されている例が他にあるのは、そのスラングに特筆性が認められる場合のみです。現状では﹁クリぼっち﹂はそれには該当しません。これらについて、正当理由を伴った反論をお待ちしています。--[[特別:投稿記録/119.245.86.157|119.245.86.157]] 2023年1月24日 (火) 17:15 (UTC)
|
2023年1月24日 (火) 17:22時点における版
このページは2度削除されています。削除に関する議論はノート:クリスマス/削除、Wikipedia:削除依頼/利用者:77.238.22.170氏の編集記事をご覧ください。
私のバランス感覚からしますと、この節は「Wikipedia:関連作品#関連作品の項を作るべきではない記事」を基に、削除されるべきと考えますが、いかがでしょうか。--Kinno Angel(会話) 2014年1月2日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
これらの編集による﹁祭﹂から﹁ミサ﹂に変えられてしまっていた部分を戻しておきました。4か月もこの状態で放置されてしまっていた…もっと早く気付くべきでした…︵ガックリ︶。IPさんも、せめてミサの記事を読んでおけば、こんな間違いはなさらなかったでしょう。
﹁ミサ﹂はカトリック教会だけで使われる用語であり、カトリック教会における﹁典礼の一種別﹂であって、祭全体を指す概念ではありません。﹁クリスマス﹂の﹁マス﹂部分の語源ではありますが、﹁語源=現在の概念﹂ではありません。またそれは英語だけの特殊事情でもあります。
編集者の皆様には、せめてリンク先位は確認してから、こういう冒頭文に手を出して頂きたいと願います。化学や数学の記事ならまずやられないのに、何故宗教系の記事では、リンク先すらチェックせずに気軽に冒頭文を改変する方がいらっしゃるのかと、心底不思議に思います。--Kinno Angel︵会話︶ 2015年12月24日 (木) 15:44 (UTC)[返信]
出典27.のリンクがどうも違っているようです。
ネットショップらしきサイトに飛びます。
--Higurebashi(会話) 2016年12月24日 (土) 08:42 (UTC) Higurebashi[返信]
Obendorfさんが﹁﹁﹁イエスのみ名の祝日﹂は1月3日﹂という記述を出典付きで復帰﹂[1]として
現在のカトリック教会では︵中略︶﹁イエスのみ名の祝日﹂は1月3日に祝われる︵出典‥“聖人カレンダー1月3日 イエスのみ名”. Laudate 女子パウロ会. 2021年9月13日閲覧。︶
この文と出典を本記事﹁クリスマス﹂の﹁クリスマス#日付・期間﹂節に記述されていますが、﹁﹁イエスのみ名の祝日﹂は1月3日に祝われる﹂は出典と共に除去したほうがよいのではないかと思います。理由‥実際には祝われていないからです。特に今年2021年は日本では﹁主の公現︻祭日︼﹂が1月3日だったためにカトリック中央協議会のこよみに﹁イエスのみ名の祝日﹂は掲載されていません︵クリックして該当月のこよみをご覧ください︶。さらに通常の年、例えば去年2020年1月のこよみには確かに1月3日﹁イエスのみ名︻任意︼﹂と掲載されています。しかしこの﹁︻任意︼﹂にご注目ください。実際は﹁イエスのみ名の祝日﹂はしていないと思われます。例えば聖イグナチオ教会︵参考‥聖イグナチオ教会#概要︶の2020年の﹁1月の典礼と行事﹂を見ますと︵下の方にスクロールしてご覧ください︶、1月1日と5日の祭日は掲載されていますが﹁イエスのみ名﹂は掲載されていません。すなわち﹁︻任意︼﹂なのでやっていないのです。さらにもっと本質的なこととして、カトリック中央協議会の降誕節の説明[2]で﹁イエスのみ名﹂について一切言及がないのです。これはカトリック中央協議会が﹁イエスのみ名の祝日﹂を降誕節の説明で言及すべき祝日としていないと解釈できます。ウィキペディアは日本中心ではだめで、本来は教皇庁︵バチカン︶の説明に依るべきなのですが、とりあえず日本のカトリック中央協議会の説明と、一教会︵聖イグナチオ教会︶の例をあげるにとどめます。皆さまのご意見をお待ちします。--Lmkjgmo︵会話︶ 2021年9月15日 (水) 23:00 (UTC)[返信]
Lmkjgmo様、ご指摘ありがとうございます。早速ですが、ご返答いたします。
﹁実際には祝われていないから﹂というのは、あくまで﹁日本の﹂カトリック教会の﹁平信徒﹂による観点ではないでしょうか。
諸外国では、また毎日司祭・修道士がミサ・聖務日課を行う教会・修道院では、﹁主の公現﹂の主日と重ならない限り、典礼の中でこの日を記念するケースがあります。
﹁w:Feast of the Holy Name of Jesus﹂には、
-The celebration was restored to the General Roman Calendar with the 2002 Roman Missal.
-In the Latin Rite Catholic Church it is observed as an optional memorial on 3 January by Catholics following the present General Roman Calendar.
-The Jesuits, celebrate the Holy Name of Jesus on 3 January as the order's titular feast.
少なくとも今年2月以来、﹁大多数の教派﹂を﹁一部の教派﹂に直す編集が︵おそらく同一人物ないし同一団体の人物によって︶繰り返されています。現状の定義文では出典としてコトバンクが挙がっており︵コトバンクを出典とすることの是非はともかく︶、そちらではキリスト教一般の話となっていますから、これをことさらに限定しようとする編集は﹁虚偽出典﹂に当たるものと判断しています。私が以前﹁荒らしの差し戻し﹂として編集したのは、そのような出典偽装を戻すという意図に拠ったものです。
他方、﹁教派﹂としてしまうと、︵ごく少数の信徒しかいない教派も、カトリックのような多くの信徒を抱える教派も、宗教人口的に多い教派からは異端視されている教派も、それぞれ平等に﹁1教派﹂とカウントした場合︶大多数の教派ではない、という反発が生まれてしまうのかな、という印象を抱いています。
そこで、出典偽装状態を放置するのは好ましくない反面、無駄な編集合戦を避けるためには、単純な差し戻しにするよりも﹁主要な教派﹂にするとか、﹁信徒を多数抱える教派﹂にするなどの表現の修正はあってもよいのかとは考えました。既存の百科事典などでキリスト教一般のものとして叙述される祭事を、キリスト教徒全体の中でのごく限定的なものであるかのように記述することは、Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けに反するものと考えています。
ただ、その辺りで無駄な編集合戦を避けられる表現として、どのような表現が妥当なのか︵たとえば上の案では﹁信徒を多数抱える﹂の﹁多数﹂が曖昧なので、クリスマスを否定しているエホバの証人などだって十分に﹁多数の信徒がいる﹂と反論できてしまうなど︶について迷う部分がありますので、こうして議論を提起しました。--Sumaru︵会話︶ 2022年5月29日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
コメント 冒頭部の出典を明確化し﹁一部のキリスト教教派が行う﹂という文言は省きました。--ねこざめ︵会話︶ 2022年5月29日 (日) 15:36 (UTC)[返信]
件のIPが﹁一部の教派﹂に書き換えた箇所は2か所あり、もう1か所が残っています。結果、クリスマス#教会暦における日付・期間あたりの﹁大多数のキリスト教教派﹂といった文言との不整合は残ったままです。--Sumaru︵会話︶ 2022年5月29日 (日) 15:46 (UTC)[返信]
追記ですが、あえて議論を提起した目的の一つとして﹁合意形成の記録を残す﹂ことも意図しています。そうすることで、特定の教派が自派に都合の良いような改変をした際に、﹁ノートでの合意を無視した編集﹂として差し戻すことが可能になるからですし、それによって、件のIP氏も、合意された編集内容の変更のためには客観的な出典を基に議論を提起せざるを得なくなる︵それをせずに編集合戦に持ち込めば、IP氏の方が一方的にブロックされるなり、記事が半保護されるなりの対応が行われる︶からです。
ですので、﹁特定の利用者が合意形成を経ずに、争点となっている個所を編集すること﹂は、︵たとえその編集内容が妥当なものであろうとも︶少なくとも私としては本意ではないです。一般論として言えば、そういう編集は編集合戦のリスクの解消にならず、将来的な編集合戦のリスクを残し続けることになる︵﹁あいつが独断で編集したならこっちも独断で編集して何が悪い﹂︶からです。--Sumaru︵会話︶ 2022年5月29日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
返信 編集合戦となるのは本意ではありませんので、該当箇所の編集は合意が形成されるまでは控えることに致します。--ねこざめ︵会話︶ 2022年5月30日 (月) 14:24 (UTC)[返信]
議論が止まっていますが、﹁一部の教派﹂と﹁大多数の教派﹂が共存している現状の記事内容は好ましくありません。私自身はクリスチャンではないため、あまり音頭を取って議論を主導するのは気が引けるということがあったのですが、どなたからも代案が出ないので、以下の代案を示します。
●冒頭の﹁一部の教派で、教会暦上の12月25日に祝われる︵例外後述︶﹂は﹁カトリック、聖公会、ルーテル教会、正教会などでは、教会暦上の12月25日に祝われる︵例外後述︶﹂に変更する。
●クリスマス#教会暦における日付・期間の﹁大多数のキリスト教教派では毎年12月25日に祝われるが、東方教会のうち﹂は﹁西方教会に含まれるカトリックや聖公会などでは毎年グレゴリオ暦の12月25日に祝われるが、東方教会のうち﹂に変更する。
以上2点を提案します。--Sumaru︵会話︶ 2022年7月3日 (日) 14:47 (UTC)[返信]
報告1か月以上待ちましたが、特に異論はないものとみて上記の提案通りに変更いたしました。--Sumaru︵会話︶ 2022年8月14日 (日) 01:52 (UTC)[返信]