ノート:阿毘達磨倶舎論
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初版について
ノート:供養での件が気になったので、同じ投稿者の方の同時期の投稿を調べてみたのですが、この記事の初版は、ネットで百科の﹁阿毘達磨抑舎論﹂にある記述とよく似たものを多く含んでいます。記述の順序・構成も類似箇所については同じです。
もう少し簡単に言えば、前者から一部の記述を削除して表現を変えると後者になるし、後者に加筆修正を加えると前者になる、というような関係にあるようです。Tomos 2004年12月22日 (水) 18:32 (UTC)
改名提案
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この表現で違和感がありますか……。私にはサンスクリット本﹃アビダルマ・コーシャ﹄についての専門書が無いため、その辺についてはよくわかりません。しかし﹃マイペディア﹄﹁倶舎論﹂では、訳者についての言及はありませんが﹁30巻﹂という記述が確認できます。﹃大辞泉﹄では﹁玄奘(げんじょう)訳は30巻。﹂とあります。︵まあ、これらを合わせてしまうと﹁特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成﹂に該当してしまいますが……。︶あとは、﹃日本大百科全書﹄﹁倶舎論﹂では、﹁異訳としては﹃倶舎釈論(しゃくろん)﹄︵真諦(しんだい)訳︶﹂と異訳についての言及があります。 あと確認ですが、ウィキペディア中国語版﹃阿毗達磨俱舍論﹄には出典が明記されているのでしょうか?出典がなければ参考︵資料︶として不適切かと存じます。﹁外部連結﹂に﹁CBETA電子佛典︽阿毘達磨俱舍論︾﹂が掲載されていますが、その内容は大正蔵No.1558﹃阿毘達磨倶舍論﹄です。 またRyo 625さんは、桜部建らの著書に出てくる﹃倶舎論﹄について、玄奘訳﹃阿毘達磨倶舍論﹄を前提で書かれているとは考えないと受け取ってもよいでしょうか?︵もしかしたら、﹁﹃倶舎論﹄=玄奘訳﹂ということは、私の思い込みなのかもしれないので。︶『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)とは、世親が著した『アビダルマ・コーシャ』(梵: Abhidharma-kośa 〈アビダルマ・コーシャ〉)を玄奘が漢訳したもの。全30巻。大正蔵 毘曇部 Vol.29 No.1558。『倶舎論』と略称する。正式な原題は『阿毘達磨倶舍論』。異訳には真諦訳 『阿毘達磨倶舍釋論』(大正蔵 No.1559)があり、『倶舎釈論』と略称する<ref>日本大百科全書「倶舎論」</ref>。
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『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)とは、世親を作者とするアビダルマ教学の綱要書である。サンスクリット本の題名は『Abhidharma-kośa-bhāṣya』(アビダルマ・コーシャ・バーシャ)。真諦と玄奘によって漢訳される。『倶舎論』と略称する。上記は導入部の草案です。下線部については出典を明記した上で補足・修正すべきと思います。また、導入部の内容については本節とは別に議論すべきと考えます。 まずは、改名についての議論のみを行いたいと思います。--Resto1578︵会話︶ 2015年11月17日 (火) 13:57 (UTC) ︵インデント戻す︶
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改名提案/導入部の原案
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(導入部原案)
『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)は、ヴァスバンドゥ(世親)を作者とするインドの仏教論書である[3 1]。4〜5世紀頃の成立[3 2]。サンスクリット本の題名は『Abhidharma-kośa-bhāṣya[3 3]』(アビダルマ・コーシャ・バーシャ)[3 4][3 5]。漢訳の際にアビダルマは「阿毘達磨」(あびだつま)、コーシャは「倶舎」(くしゃ)と音写された。
説一切有部の論蔵の1つである『阿毘達磨発智論』と、その注釈書『阿毘達磨大毘婆沙論』の内容を説明している[3 6]。説一切有部の教理の行きすぎた点を経量部の立場より批判した点に特色がある[3 6][3 7]。漢訳とチベット訳があり、漢訳本は真諦による『阿毘達磨倶舍釋論』22巻[3 8]と、玄奘による『阿毘達磨倶舍論』30巻[3 9]である[3 6]。サンスクリット本と玄奘訳は『倶舎論』と略称され、真諦訳は『倶舎釈論』と略称される[3 1]。なお、漢訳本の正式な原題表記は『阿毘達磨倶舍論』・『阿毘達磨倶舍釋論』である[3 10]。
研究には玄奘訳がもちいられる[3 6][3 11]。サンスクリット本が発見されてからは、漢訳に依らない原典からの研究もおこなわれている。
脚注(草案3)
(一)^ ab﹃日本大百科全書﹄︵コトバンク︶
(二)^ ﹃ブリタニカ国際大百科事典﹄︵コトバンク︶
(三)^ Abhidharma-kośa-bhāṣyaを略してAKBh.と表記することも。
(四)^ 岩本裕﹃日本佛教語辞典﹄平凡社、1988年。P.205﹁倶舎論﹂
(五)^ 単に﹃Abhidharma-kośa﹄︵アビダルマ・コーシャ︶と呼称することも。
(六)^ abcd﹃岩波仏教辞典﹄P.250﹁﹃倶舎論﹄﹂
(七)^ 三枝充悳﹃世親﹄P.157﹁著作の概観﹂
(八)^ 婆藪盤豆造 眞諦譯 ﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄︵﹃大正藏﹄毘曇部 Vol.29 No.1559︶
(九)^ 世親造 玄奘譯 ﹃阿毘達磨倶舍論﹄︵﹃大正藏﹄毘曇部 Vol.29 No.1558︶
(十)^ ﹁舎﹂ではなく﹁舍﹂が正式表記である。
(11)^ 小原仁﹃源信﹄P.72 第三章 学窓の日々﹁倶舎をきわめる﹂
この改名提案と導入部の原案について反対意見がある場合はコメントしてください。できることなら数字付の箇条書きなど議論が行いやすいようにコメントしてください。
本改名提案に賛成の方は署名付き賛成票﹁ {{賛成}}--~~~~ ﹂を記入してください。--Resto1578︵会話︶ 2015年11月26日 (木) 02:35 (UTC)・︵修正︶--Resto1578︵会話︶ 2015年11月26日 (木) 06:54 (UTC)
報告
上記導入部の原案は、出典を明記した記述であるため本文に反映しました。--Resto1578︵会話︶ 2015年11月27日 (金) 22:05 (UTC)
合意形成について
●2015年11月8日 (日) 11:30 (UTC)のRyo 625さんのコメント﹁﹃ブリタニカ国際大百科事典﹄を出典にして﹃阿毘達磨倶舎論﹄はタイトルとして可。ただし、その指示内容は自分の見解によって、﹁玄奘訳30巻本﹂とする、というのは一貫性を欠いた断章取義ではないかと思います。﹂
⇒導入部を上記のように編集したため、﹃阿毘達磨倶舎論﹄=﹁玄奘訳30巻本﹂とはいえない記述と考えます。
2015年11月8日以降、Ryo 625さんからコメントがありませんが、合意形成できたものと考えてよろしいでしょうか?--Resto1578︵会話︶ 2015年11月27日 (金) 23:50 (UTC)
コメント
コメントが遅れてすみません。LamenbergさんとResto1578さんの会話が始まってから返答の機会を失ってしまいました。導入部の記述に問題を感じませんので、改名提案への反対は撤回いたします。--Ryo 625︵会話︶ 2015年11月28日 (土) 01:17 (UTC)
コメント
・会話ページにて合意形成の意見を求められたことからコメントいたします。提案については反対ではありません。認知度の観点などを挙げ尚早ではないかと書きましたが、今回の合意形成にあたり多様な一つの意見と扱って頂いて結構です。
・記事の対象や内容が特定のものに偏らなければ、記事名は一定の範囲内であればよいと思ったことが反対ではない理由です。より中立性を高める方向の議論であれば、倶舎論の倶舎としては悪くないのではないでしょうか。--Lamenberg︵会話︶ 2015年12月1日 (火) 14:49 (UTC)
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まとめ
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導入案について
こんにちは。Tanaka0519です。議論しているのは表題の件だと思っており、議論を参照していなかったのですが、
どうやら、導入案の検討も並行して行っていたようで、その点について意見がありましたので、こちらで皆様のご意見を頂戴したく、伺わせていただきました。
要点は次の点です。
①先ず、﹃倶舎論﹄の記述が﹃大毘婆沙論﹄の内容を摂め、説明するという﹃岩波辞典﹄の記述が適切なものなのかについてです。
現在、この点については、様々な専門的な概説書には記されています︵網羅的ではありませんが、櫻部先生の著作では毎度触れられています︶、また最も詳細に述べた研究としては﹃木村泰賢全集四巻﹄の pp.213-272 がございます。そこでは大まかに内容を説明しますと、倶舎学の伝統では﹃倶舎論﹄が﹃大毘婆沙論﹄の綱要書であるとの理解が浸透しているが、そうではなく﹃雑心論﹄の構造に基づいて、世親が理長為宗の立場の基、著したものであると記載されております。
この研究は重要視され、以後、﹃倶舎論﹄の教義の分析は﹃大毘婆沙論﹄のどこと対応するのか、ではなく、他のどの思想と関連するのか、といった研究に進展しております。そして経部説のほとんどが、﹃瑜伽論﹄との対応関係が明らかになるといった成果が
挙げられています︵wikiに出したクリッツァー論文等︶。
また、﹃岩波辞典﹄以前の重要な辞書である﹃望月辞典﹄においては木村先生の記述と同様の記述であり﹃岩波辞典﹄のような記述とはなっておりません。また、梵本発見以後のアビダルマ研究においてもこの点は踏襲されております。そこで、﹃岩波辞典﹄に基づく﹃倶舎論﹄の内容についての説明を消去していただきたいと考えています。
②第二に、﹁玄奘訳は﹃倶舎論﹄と略称され[9]、真諦訳は﹃倶舎釈論﹄と略称される[1]。﹂を訂正したのは後の﹁テキスト﹂の項目について﹁従来、倶舎学の伝統においては玄奘訳が用いられた為に、玄奘訳に基づく﹃倶舎論﹄との呼称が浸透した。それとの区別を目的として真諦訳は﹃倶舎釈論﹄や﹃旧倶舎﹄や﹃旧訳﹄と呼称され、区別された[1]。﹂と挙げておきましたので、それに基づけば、編集前の形﹁従来の研究においては倶舎宗の伝統に基づき玄奘訳がもちいられてきたが[5][8]、サンスクリット本の発見以後は、それに基づく研究が一般的である。﹂で記述するのが適切ではないでしょうか。
研究には玄奘訳が用いられるとありますが、2000年以後のアビダルマ研究で、底本が梵本ではない研究は見つけることが出来ません。当時の研究は梵本刊行して間もなかったことに基づくものと思われます。この記述だけを見れば、今でも玄奘訳が研究の底本であるかのように見て取れますが、そういった誤解を招く表現はしかたのないものなのでしょうか。なお、Ciniiに記録される論文の記述は次のようになっております。http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E3%80%8E%E5%80%B6%E8%88%8E%E8%AB%96%E3%80%8F&range=2&nrid=&year_from=2000&count=20&sortorder=1&type=1
③第三に、冒頭部の記述において諸訳があるとの記述、この点は以前に既に合意されたもののようですが、再度疑問を呈させていただきます。
﹁漢訳とチベット訳があり、漢訳本は真諦による﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄22巻[7]と、玄奘による﹃阿毘達磨倶舍論﹄[8]30巻である[5]。サンスクリット本と玄奘訳は﹃倶舎論﹄と略称され[9]、真諦訳は﹃倶舎釈論﹄と略称される[1]。なお、漢訳本の正式な原題表記は﹃阿毘達磨倶舍論﹄・﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄である[10]。﹂との記述は、
後のテキストの記述と概ね重複します。また、チベット訳がある、と述べるもそのタイトルは述べないのはおかしいですし、ウイグル語訳やモンゴル語訳は存在するのに触れられない等と問題もあります。
そこで、﹁玄奘訳の﹃阿毘逹磨倶舎論﹄を初め、漢訳やチベット語訳等、様々な訳が存在する。詳細は以下の﹁テキスト﹂を参照。﹂と訂正するのはどうでしょうか。
④略称としての﹃倶舎論﹄に関してですが、﹁サンスクリット本と玄奘訳は﹃倶舎論﹄と略称され[9]、真諦訳は﹃倶舎釈論﹄と略称される[1]。﹂とありますが、詳細は﹁テキスト﹂のほうに概説させていただきましたので、
﹁本書は倶舎宗の伝統に基づき、玄奘訳に基づいた﹃倶舎論﹄との略称で呼称される事が多い。﹂とするのはどうでしょうか。
⑤次に﹁なお、漢訳本の正式な原題表記は﹃阿毘達磨倶舍論﹄・﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄である[10]。﹂とありますが、この点は冒頭に説明すべき内容でしょうか。この点を説明するのであれば寧ろ、bhāśyaが何故玄奘訳の表題に存在しないのか、あるいは存在しない点を述べる事のほうがよろしいのではないでしょうか。しかし、どちらにせよ、付随的な点であるので、﹁テキスト﹂に譲るのはどうでしょうか。
⑥テキストについて出典の不明記が付きましたが、どの点が不明記なのでしょうか。もしよろしければご意見お願いします。
以上の六点を一度、こちらで編集しましたら、上書き編集されましたので、一度、吟味していただきたく、投稿させていただきました。
どうぞ宜しくお願いします。--Tanaka0519︵会話︶ 2015年12月14日 (月) 12:13 (UTC)
すみません、以前、題名が検討されていた時のような、ノートページを参照せよとのアイコンがどのように表示できるのかわかりませんでした。もしよろしければ、どなかた、アイコンをお願いします。--Tanaka0519︵会話︶ 2015年12月14日 (月) 12:31 (UTC)