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「北澤楽天」の版間の差分

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[[1905年]]に、楽天はB4版サイズフルカラーの風刺漫画雑誌『'''[[東京パック]]'''』(誌名はアメリカの漫画雑誌『[[パック (雑誌)|パック]]』([[w:Puck (magazine)|Puck]])にちなむ。恩師であるナンキベルが編集長をしていた)を創刊した。『東京パック』の漫画キャプションには、日本語の他に英語および中国語が併記されており、日本国内のみならず、[[朝鮮半島]]や[[中国大陸]]、[[台湾]]などのアジア各地でも販売された。同年、楽天は鈴木いのと結婚した。

[[1905年]]に、楽天はB4版サイズフルカラーの風刺漫画雑誌『'''[[東京パック]]'''』(誌名はアメリカの漫画雑誌『[[パック (雑誌)|パック]]』([[w:Puck (magazine)|Puck]])にちなむ。恩師であるナンキベルが編集長をしていた)を創刊した。『東京パック』の漫画キャプションには、日本語の他に英語および中国語が併記されており、日本国内のみならず、[[朝鮮半島]]や[[中国大陸]]、[[台湾]]などのアジア各地でも販売された。同年、楽天は鈴木いのと結婚した。




1912[[便#|]][[]]退退13

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『楽天パック』終刊後、楽天は再び『時事新報』を自分の漫画活動の中心に据えるようになった。1921年、時事新報から『時事漫画』が日本最初の新聞日曜漫画版として独立し、楽天は同紙のカラー漫画欄を手掛けるようになった。『時事漫画』で、楽天は「丁野抜作」「物尾雄蔵」「腰野弁三」「欲野深三」などの様々な風刺的な登場人物が登場する漫画を連載していたが、これらの内で最も特筆すべきキャラクターは、1928年11月4日号から連載された『[[とんだはね子嬢]]』である。この作品は、日本で最初の少女を主人公とした連載漫画であり、現代の少女漫画の原型であるとも考えられている。しかしながら、この頃から楽天の人気には翳りが見え始めた。[[読売新聞]]が『読売サンデー漫画』、[[東京日日新聞]]が『東日マガジン』、[[報知新聞]]が『日曜報知』を刊行するなど他紙が日曜漫画版に相次ぎ参入したことで『時事漫画』は読者を奪われ始め、1931年7月に『漫画と読物』、1932年5月に『漫画と写真』と改題して誌面の刷新を試みるものの、ついに7月に楽天は時事新報を退社し、事実上第一線から退いた。そして、10月には時事新報の日曜漫画版も終刊となった。

『楽天パック』終刊後、楽天は再び『時事新報』を自分の漫画活動の中心に据えるようになった。1921年、時事新報から『時事漫画』が日本最初の新聞日曜漫画版として独立し、楽天は同紙のカラー漫画欄を手掛けるようになった。『時事漫画』で、楽天は「丁野抜作」「物尾雄蔵」「腰野弁三」「欲野深三」などの様々な風刺的な登場人物が登場する漫画を連載していたが、これらの内で最も特筆すべきキャラクターは、1928年11月4日号から連載された『[[とんだはね子嬢]]』である。この作品は、日本で最初の少女を主人公とした連載漫画であり、現代の少女漫画の原型であるとも考えられている。しかしながら、この頃から楽天の人気には翳りが見え始めた。[[読売新聞]]が『読売サンデー漫画』、[[東京日日新聞]]が『東日マガジン』、[[報知新聞]]が『日曜報知』を刊行するなど他紙が日曜漫画版に相次ぎ参入したことで『時事漫画』は読者を奪われ始め、1931年7月に『漫画と読物』、1932年5月に『漫画と写真』と改題して誌面の刷新を試みるものの、ついに7月に楽天は時事新報を退社し、事実上第一線から退いた。そして、10月には時事新報の日曜漫画版も終刊となった。


2020年12月6日 (日) 05:23時点における版

北澤 楽天
本名 北澤 保次
生誕 1876年7月20日
日本の旗 日本東京市神田区駿河台
(現・千代田区駿河台)
死没 (1955-08-25) 1955年8月25日(79歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家、日本画家
活動期間 1895年 - 1932年
ジャンル 主に風刺漫画
受賞 教育功労章
大宮市(現・さいたま市)名誉市民
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  1876720 - 1955825

西使使[1][2]


18769駿駿宿 [3][4]AFrank Arthur Nankivell1895

189919021

1905B4Puck

1912退退13

1921192811419317193257退退10

退

1929使1945

1948

195511966

1902




 - 鹿1902

 - 西西1902

 - []

 - 1915

 - 1928
























西
































脚注

  1. ^ 自身の画業の集大成として、全12巻におよぶ全集として刊行。しかし、諸事情により7巻までで刊行が中断されて未完となった。
  2. ^ 手塚治虫『手塚治虫 漫画の奥義』pp.16-27 ISBN 4-06-175991-4
  3. ^ 大野幸彦が創設した画塾。楽天は大野の没後に入塾している。
  4. ^ これまで、「洋画を大野幸彦から、日本画を井上春端からそれぞれ学んだ」とされてきたが、2011年にさいたま市立漫画会館による経歴の再調査で修正されることになった。井上春瑞は眼科医である。


    1993 - 70

  19997ISBN 4-309-72611-9

  19998ISBN 4-642-05475-8

  () 2019420ISBN 978-4878914553

  2020417ISBN 978-4-087211191


便

  -  




Z- 

5037 (20181126)

 THE MANGA MASTER - 20191130





2017316

2014624