吉本総合芸能学院/log20210523
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吉本総合芸能学院︵よしもとそうごうげいのうがくいん︶は、吉本興業が1982年︵昭和57年︶︵東京校は1995年︵平成7年︶[1]︶に創立した、主に新人タレントを育成する目的で作られた養成所。通称はNSC︵エヌエスシー︶︵NewStar Creation︶である。
概要
入学資格は中学校卒業︵見込︶以上としている。 大阪校第1期生のダウンタウンを初めとして、数多くのお笑い芸人やタレントを輩出している。卒業後、多くの生徒はよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属となるが、よしもとを退所し、他の芸能事務所へ移籍して活動を続けている者も多くいる。 中退者や中途入学者も卒業後は他の卒業生と同期︵芸歴に差はないもの︶として扱われる。しかし大阪校や名古屋校では過去に1年2期制の時期があり、﹁よしもと内では厳密に言えば半年先輩・後輩﹂というように活動開始時期が重んじられる場合と、﹁年単位で言えば同期﹂というように他事務所所属のタレントと同様に扱う場合がある。歴史
吉本における養成所の歴史は、戦前の1938年頃に漫才作家の秋田實︵吉本文芸部所属︶が新設した﹁漫才道場﹂に始まる。講師には奇術研究者であった保田春雄、漫才作家の長沖一らがいた、秋田Aスケ・BスケのAスケ等を輩出したが、1941年に秋田が新興キネマ演芸部に移ったことにともなって閉鎖になった。戦後では吉本新喜劇で研究生を募集し、岡八郎、藤井信子といったスターを生み出している。 NSC開講の引き金になったのは、1980年頃の漫才ブームである。NSCの初代校長・冨井善則は﹁漫才ブームが起こって開講を考えた。ブームで出た漫才師はセンスも違っていた。紳竜なんて、われわれの考えていた漫才を超えていた。そこで若いお客さんが欲している感覚の芸人を育てないとアカンと思った﹂と創設の経緯を話している[2]。冨井はまた、師匠連が経済的理由から弟子を取らなくなり、タレントの供給源が枯渇しつつあったことも影響したと語っている[3]。 なんばグランド花月がまだボウリング場だった頃、1階にあったゲームセンターの一角を教室として板で囲ってNSCは誕生した[4]。前夜の酔っ払いの粗相で朝になると﹁モワ〜ッ﹂とした臭いが立ち込める場所だった。当時の入学金は3万円、月謝は1万円であった。 赤字でスタートした1期生は70人[3]とも90人[2]ともいわれる。第1期のカリキュラムは、一般講義のほか、漫才、コント、発声練習、ジャズダンス、演技、殺陣、フラメンコ、日本舞踊などの実技授業から成った[4][3]。特に実技授業は生徒にとって、お笑い芸人になるにあたって直接無関係なもので、とりわけジャズダンスは不興を買った[4]。この頃は確たる教育方針が決まっておらず、何を教えていいのか吉本の誰もよく分かっていなかったという[4]。しかしその後ダンスを積極的にイメージ作りに取り入れた吉本印天然素材や、ダンスをコントなどに取り入れている芸人も少なくないことから、現在はダンスが芸人としての活動に無意味・無関係ではなっている。 1期生は以降のNSC存続のため、スターを生み出さなければいけないという会社の至上命令があり、ダウンタウン、ハイヒール、トミーズ、銀次・政二の4組を主に、新人ゴリ押し作戦が行われた[4]。生徒は在学中は2、3ヶ月に一度にNSC寄席を開き、卒業後は定期的に新作漫才や芝居のイベントに出演した。 NSCが出来た事によって、芸人を目指す間口が広がったと同時に、従来の師匠連も弟子を取りやすくなった。その反面これまでの﹁師匠と弟子﹂という関係に見られた上下関係の躾、芸人となる覚悟を持つ者が減り、NSC出身者を気嫌う芸人も居た。かつてダウンタウンの漫才を横山やすしが酷評したのは、NSCへの反発の現われととも見られていた。対してNSCではこれまで師匠が弟子に教えていた﹁芸能界のしきたり﹂も授業の一環に取り込み、NSC出身者が芸人の世界に違和感なく溶け込めるよう配慮していた。また笑福亭仁鶴のように、自ら多くの弟子を持ちながら、NSCの入学者に対して激励を送る師匠もいた。また吉田ヒロのように、NSCを卒業した後に、先輩芸人に弟子入りしたケースもある。 1988年、ダウンタウンの﹃4時ですよーだ﹄出演による人気の影響で、この年︵7期生︶から入学希望者が飛躍的に増えた。 1990年、9期生の宮川大輔、矢野勝也は中途入学であり、岡村隆史、矢部浩之や15期生の西田幸治らは中退している。 卒業資格自体がないので、出席日数に関係なく卒業は出来る。その為中退は学費の滞納以外では発生しておらず、月謝時代には大量の中退者がいるものの、学費が入学時全納になってからは途中から出席しない者は多数いるが、中退はいない。 1992年、第二次ベビーブームの時期と重なり入学希望者が増え約800人が入学し約400人が合格した。教室クラスも高卒組と、大学生・社会人組の2組に分けられた。 かつては入学希望者に対して24歳までという年齢制限を設けていたが、以降年齢制限を設けなくなった。 2005年、インターネットを介した通信講座を開講するも、翌2006年2月28日をもって閉講された。 2011年、大阪34期・東京17期より、年度末に東西で開催される﹁NSC大ライブ﹂の優勝者が優先的に仕事を割り振られる﹁首席﹂制度が設置された。 2018年4月、福岡校開校。大阪校
13期(1994年4月期)から20期(1997年10月期)までは4月入学と10月入学の2期制 34期以降の太字は首席卒業者大阪女性タレントコース
期 | 年 | 著名な出身者 |
---|---|---|
1 | 2005 | 桜 稲垣早希、増田倫子、金原早苗、前田まみ |
2 | 2006 | 大西初愛、岸田奈緒美 |
3 | 2007 | 浅本美加、安田由紀奈、柳川真菜、小寺理花 |
4 | 2008 | うをとも、山口綾子、谷侑加子、新地梨絵、松本美穂、服部ひで子 |
5 | 2009 | 大端絵里香、福田多希子、小寺真理、杉山優華、松下千紘、森碕ひろか、友利愛美 |
6 | 2010 | 村山真梨、北山麻依加、仲村智美 |
7 | 2011 | オクヒラテツコ |
東京校
(17期以降の太字は首席卒業者)
東京校通信講座(2005年 - 2006年)
2005年、インターネットを介した通信講座を試験的に開講するも翌2006年2月に閉講した。
通信出身者、蓮華
名古屋校( - 2005年)
(1997年から閉校までは4月入学と10月入学の2期制)
期 | 年 | 月 | 著名な出身者 |
---|---|---|---|
1 | 1993 | タックイン | |
2 | 1994 | スピードワゴン、スギちゃん、ボルサリーノ | |
3 | 1995 | 沢原宜之 | |
4 | 1996 | ゲッターズ飯田 | |
5 | 1997 | 4 | オレンジ、ザブングル |
9 | 1999 | 4 | 吉村憲二 |
11 | 2000 | 4 | 房野史典 |
12 | 10 | それいけ斉藤くん | |
15 | 2002 | 4 | かめ島祐也、ゴンゾー、吉富Aボタン、露の團姫 |
17 | 2003 | 4 | ミリオンナイツ |
広島校( - 2005年)
期 | 年 | 著名な出身者 |
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1 | 2002 | ちゅ~りっぷ前迫.、フリータイム、ボールボーイ、フロントライン、あかぼし☆こぼし、ランス39号、土生智子、吉長美鈴 |
2 | 2003 | ヤマカ |
岡山校( - 2005年)
期 | 年 | 著名な出身者 |
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1 | 2003 | ゆるえもん、シンプソンズ、リンクアップとっしー |
仙台校( - 2005年)
脚注
- ^ 東京校は2007年(平成19年)7月に東京都品川区西大井から東京都千代田区神田神保町へ移転した。
- ^ a b スポーツニッポン、2012年3月3日25面
- ^ a b c 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.363-367
- ^ a b c d e スポーツニッポン、2012年3月4日28面