坂井英光
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坂井英光 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 愛知県 |
生年月日 | 1975年4月11日(49歳) |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 特別区競馬組合 |
所属厩舎 | 栗田裕光(大井)→東京都騎手会[1] |
勝負服 | 青・桃山形一文字 |
初免許年 | 1995年 |
免許区分 | 平地 |
経歴 | |
所属 | 物井榮(大井)→栗田裕光(大井)→東京都騎手会 |
坂井 英光︵さかい ひでみつ、1975年4月11日 - ︶は地方競馬・東京都騎手会︵2018年5月21日 - [1]︶に所属している騎手。父は元名古屋競馬場の厩務員で、実弟に坂井薫人元騎手︵現在大井競馬厩務員︶。息子はJRA所属の騎手坂井瑠星[2]。
いわゆる﹁栗田一門﹂門下であり、現役騎手では赤嶺亮・早見多加志・脇本一幸、また引退した市村誠︵現調教師︶が同門に当たる。
来歴
大井・物井榮厩舎所属としてデビュー。初騎乗は1995年4月11日で、翌1996年には全日本新人王争覇戦に出場したりもしたが、しばらく成績は伸び悩み、2000年には27勝をマークしたが翌2001年には14勝と大きく後退するなど一進一退の状況が続いた。しかし2003年の後半ごろから徐々に上昇のきっかけを掴むと、翌2004年から一気にブレイク。62勝で南関東13位までジャンプアップした。 2005年は83勝で南関東10位、そして2006年には自身初となる年間100勝超え︵103勝︶を果たし、南関東7位にランクイン。大井競馬での成績に限れば2005年・2006年ともに3位であり、内田博幸・的場文男のスタージョッキーに続く位置まで上り詰めた。 2006年1月7日、中山競馬場第1競走で中央競馬初騎乗︵16頭立て8着︶。同日の第9競走でアヤパン︵16頭立て5番人気︶に騎乗し、5戦目で中央初勝利を挙げた。 成績が伸び始めてもなぜか重賞には縁がないままであったが、2007年1月17日のニューイヤーカップ ︵浦和競馬場︶ でレッドドラゴン号を優勝に導き、悲願の重賞初制覇を遂げた。 2007年4月22日、東京競馬場フローラステークス (GII) で中央重賞初騎乗︵14番人気10着︶。その後、同年の七夕賞、関屋記念、2008年の日経賞、2009年の青葉賞、2010年の共同通信杯、カペラステークスに騎乗しているが中央重賞は未勝利である。 2010年1月3日川崎競馬第10競走宝船特別で、ムーンライトクロスに騎乗して勝利、地方競馬通算1000勝を達成した。 2011年1月23日午前7時ごろ、大井競馬場で調教中に馬が転倒し落馬[3]。頭蓋底骨折、両肺挫傷、第8胸椎圧迫骨折で全治3か月と診断された。 2018年5月21日付で栗田裕光厩舎から東京都騎手会︵中央競馬のフリー騎手に相当︶所属に変更となった[1]。 2019年11月14日、新規調教師免許試験に合格し、これに伴い翌15日の騎乗をもって騎手を引退し、調教師へと転身する予定であると報じられた[4]。同月15日に大井競馬第8競走品川かえで賞で、スターリットに騎乗し地方競馬通算2028勝目を挙げ、有終の美を飾った[5]。主な騎乗馬
- レッドドラゴン(ニューイヤーカップ)
- トキノミスオース(ロジータ記念)
- コウエイノホシ(大井記念)
- ブルーホーク(サンタアニタトロフィー) ※今までで一番思い出に残っているレースとして挙げている。
- ナンテカ(鎌倉記念)
- バックアタック(ユングフラウ賞)
- イーグルショウ(川崎マイラーズ)
- ヒロアンジェロ(トゥインクルレディー賞)
- オリークック(ローレル賞)
- ジーエスライカー(船橋記念、アフター5スター賞)
出典
(一)^ abc“坂井 英光騎手の所属きゅう舎変更について”. 東京シティ競馬 (2018年5月18日). 2018年5月26日閲覧。
(二)^ “︻栗東通信︼新人・坂井騎手に注目”. デイリースポーツ (2016年3月2日). 2016年3月5日閲覧。
(三)^ “︻佐々木竹見C︼坂井英光が負傷…的場文男が出場へ”. スポーツニッポン新聞社. (2011年1月24日) 2018年5月26日閲覧。
(四)^ “︻地方競馬︼新規免許合格者発表 坂井英光騎手が調教師転身”. サンスポZBAT!競馬. (2019年11月14日) 2019年11月15日閲覧。
(五)^ “︻地方競馬︼坂井英光騎手、現役騎手生活にピリオド 最終日に見事2028回目の勝利を挙げる”. netkeiba.com. (2019年11月15日) 2019年11月15日閲覧。