「大御食神社」の版間の差分
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[[景行天皇]]朝に東国征伐を終えた[[倭建命]]︵日本武尊︶が、その帰路に[[信濃国|科野国]]赤須の里へ滞在したが、そのとき赤須の里の長・赤津比古命︵赤須彦︶は御影の杉のもとに仮宮を立て日本武尊を饗した。それにより赤津比古命は日本武尊より'''御食津彦'''の名を賜ったとされる。また日本武尊は赤津比古命の娘・押媛命を愛で、赤須の里に三夜滞在した。以来、赤津比古命の子孫である神官宅を[[采女]]邸︵うねめやしき︶と呼んだとされる。日本武尊による赤須滞在の記事は他の史書に見えないが、﹃[[古事記]]﹄には坂の神を服従させたと伝わり、﹃[[日本書紀]]﹄では白い鹿の神を蒜で殺し、次に現れた白い犬に導かれて[[美濃国]]へ出たとされる。またこの白い犬について、﹃諏訪史料叢書﹄巻28掲載の﹁神長守矢氏系譜﹂には、守矢実久が[[建御名方命]]の神功か[[守矢氏]]の祖である小須美君の使いではないかとしている<ref>﹁神長守矢氏系譜﹂﹃諏訪史料叢書.巻28﹄諏訪教育会、昭和11年、36頁。</ref>。景行天皇48年︵118年︶、赤須彦は日本武尊を祀り、大御食ノ社を創建した。
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2020年7月16日 (木) 14:25時点における版
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大御食神社 | |
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![]() 大御食神社正面 | |
所在地 | 長野県駒ヶ根市赤穂11475番地 |
位置 | 北緯35度43分24.8秒 東経137度56分53.9秒 / 北緯35.723556度 東経137.948306度 |
主祭神 |
日本武尊 宮簀媛(五郎姫) 八幡大神 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 118年(景行天皇48年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
別名 | 美しの杜(通称:美女ヶ森) |
例祭 |
祈年祭:4月15日 例大祭:9月21日/22日(平成17年から直近の休日) |
大御食神社(おおみけじんじゃ)は、長野県駒ヶ根市赤穂にある神社である。
概要
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Haidenn.jpg/220px-Haidenn.jpg)
大御食神社の創建は、神社蔵の﹁美しの杜物語﹂によると、
大足彦忍代別天皇の御代四十八年︵よそじまりやとせ︶、御食彦御蔭の杉の木の下︵もと︶御安楽居︵みやすらい︶しその仮宮を神の御殿︵みあらか︶に見立て、日本武尊を祝い祀りて大御食ノ社︵おおみけのやしろ︶と御名を附け奉りき。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9D%9C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E5%9C%A8%EF%BC%89.jpg/220px-%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9D%9C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E5%9C%A8%EF%BC%89.jpg)
美しの杜︵美女ヶ森︶
とあり、日本武尊が当地に立ち寄った際に饗応した里長が﹁御食彦︵みけつひこ︶﹂の名を賜り、後に日本武尊を祀った当社を創建したものという。118年︵景行天皇48年︶の創建と伝わる。︵神社明細帳では景行天皇58年。︶
建御名方命が愛で、日本武尊が﹁奇び杉なりや﹂と誉めた古杉を御神木︵御蔭の杉︶としている。︵現在の木は三代目︶
旧社格は 郷社で、現在の本殿建物は元治元年︵1864年︶に建替えられたものである。
別名の﹁美しの杜﹂の名は上記の﹁美しの杜物語﹂に﹁宮簀姫またの名は厳郎姫を迎えまつりて、所の名を美しの杜と御名負はせまつる﹂とあることによる。
現在氏子らは﹁美女ヶ森︵びじょうがもり︶﹂と呼んでいる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9D%9C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E5%9C%A8%EF%BC%89.jpg/220px-%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9D%9C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E5%9C%A8%EF%BC%89.jpg)
祭神
●日本武尊
景行天皇48年︵118年︶創祀。
●宮簀姫
応神天皇38年︵307年︶尾張国造・日本武尊の妻:簀媛姫の父:乎止与(おとよ) の館︵現:氷上姉子神社︶より、熱田ノ宮の草薙ノ剱の御霊代とともに迎えられた。
●八幡大神
相殿に祀られている。
元慶三年︵879︶石清水八幡ノ宮より迎えられた。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/%E9%98%BF%E6%99%BA%E6%B0%8F%E6%97%8F_%E7%B3%BB%E5%9B%B3.jpg/220px-%E9%98%BF%E6%99%BA%E6%B0%8F%E6%97%8F_%E7%B3%BB%E5%9B%B3.jpg)
神社創建まで
景行天皇朝に東国征伐を終えた倭建命︵日本武尊︶が、その帰路に科野国赤須の里へ滞在したが、そのとき赤須の里の長・赤津比古命︵赤須彦︶は御影の杉のもとに仮宮を立て日本武尊を饗した。それにより赤津比古命は日本武尊より御食津彦の名を賜ったとされる。また日本武尊は赤津比古命の娘・押媛命を愛で、赤須の里に三夜滞在した。以来、赤津比古命の子孫である神官宅を采女邸︵うねめやしき︶と呼んだとされる。日本武尊による赤須滞在の記事は他の史書に見えないが、﹃古事記﹄には坂の神を服従させたと伝わり、﹃日本書紀﹄では白い鹿の神を蒜で殺し、次に現れた白い犬に導かれて美濃国へ出たとされる。またこの白い犬について、﹃諏訪史料叢書﹄巻28掲載の﹁神長守矢氏系譜﹂には、守矢実久が建御名方命の神功か守矢氏の祖である小須美君の使いではないかとしている[2]。景行天皇48年︵118年︶、赤須彦は日本武尊を祀り、大御食ノ社を創建した。
その後
●久安5年︵1149年︶社殿を建て替え、御遷宮があった。﹁美女森記録﹂
●大御食神社と赤須彦の館があった場所との間に、現在﹁湯奉︵ゆぶ︶の沢﹂という地名︵小字︶が残っている。慶安二年︵1649年︶の御検地帳にもあり、日本武尊が湯浴みをしたと伝わる。
●宮田村誌によると、﹁日本武尊が大田切川まで来たとき、大水で渡ることが出来なかったが、一頭の馬が馳せ来たのでその馬に乗って無事川を渡った。古老はその馬を、秋冬はこの原に住み、春夏は西山に住む神馬だと申し上げた。﹂という伝説がある。︵駒ヶ嶽御尋書-天保3年︵1832年︶︶
そのとき日本武尊が腰をかけ休んだという﹁御座石﹂が、宮田村駒ヶ原に文化財として残っている。
●西行が社家に立ち寄り、書を残している。江戸時代後期の旅行家菅江真澄の随筆﹃すわの海﹄に この書についての記述がある。
美しの杜物語
当社に伝わる書物。詳細は「美しの杜物語」を参照。
祭事
9月21日の例祭︵平成17年から直近の休日︶は、氏子が獅子練りを行う。祭典の中心祭事とされ、毎年、年番耕地の若衆が取り組む。
お練りは、氏子が おかめ・ひょっとこ などと悪魔払いの獅子の機嫌を取りながら神社にお詣りをし、最後に獅子の頭を切り取り奉納する。
この行列に神主は同行せず、祭神三種の名を書いた幣束を捧げた少年三人︵現在は大人︶が裃を着用し、陣笠を頂いて加わっている。
境内社
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%99%AF.jpg)
- 御渡社 建御名方命・橘姫命・上古地主神(産土神)
- 御継社 伊弉諾命・伊弉冉・天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神
- 天神社 菅原道真
- 伊雑社 天照大神
- 稲荷社 豊受姫神
- 秋葉社 迦具土神
- 若宮社 佐賀喜霊神
- 諏訪社 建御名方命
- 御食津彦社 八意思兼尊・御食津彦・他
- 植継社(植継大明神) 吾道赤須彦
- 二木社(日本岐社) 天之御中主神・六孫王経基
- 二木社の境内社
- 社宮司社
- 神若衆社
- 甲子社
- 齊殿社
- 清和荒神社
- 山神社 大山祇神
- 山の鼻社 建御名方命
- 山の鼻社の境内社
- 金比羅社
- 山神社
- 利生稲荷社
- 富士社 木花咲耶姫
- 真澄神社 大山祇神
文化財
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg/220px-%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E5%A0%82.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/%E8%A5%BF%E8%A1%8C%E6%B3%95%E5%B8%AB%E7%9C%9F%E7%AD%86%EF%BC%88%E5%A4%A7%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%BC%9D%EF%BC%89.jpg)
- 西行法師真筆 1福
- 猿田彦面 1個
- 日本武尊 木彫立像 (平安時代作)
- 日本武尊・八幡神・宮簀姫(五郎姫)木彫座像(御神体) 寛延3年 飯田仏師 井出右兵衛運正作
- 大陣太鼓 近藤織部祐(旗本)献納
- 御手掛石 日本武尊ゆかり
- 平瓮石 日本武尊ゆかり
- 石狛犬 元禄11年 下平村堀内兵次八寄進
- 石の鳥居 明治23年 石工北原久平
- 灯籠 文久6年 慶応戊辰年
- 石灯籠 享保4年
交通
- 最寄駅:飯田線小町屋駅
- 高速道:中央自動車道駒ヶ根インターチェンジ
- 駐車場:有り