失われた10年
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失われた10年︵うしなわれたじゅうねん、英:the lost decade︶とは、ある国、あるいは地域の経済が10年もの長期にわたって不況と停滞に襲われた時代を指す語である。
日本における失われた10年はバブル景気崩壊後の1990年代中期から2000年代前半にわたる不況の時代を指す語である。複合不況や平成不況とも呼ばれる。
語源
アメリカ文学におけるロストジェネレーションが、第一次世界大戦後の1920年代から1930年代、すなわち、狂騒の20年代から急転落の世界恐慌の時代にかけて活躍した経緯から、ロストジェネレーションの冷笑的で厭世的な世界観を寓喩して用いられることが多い。 ●イギリスでは第二次世界大戦後の1946年-1955年。 ●ラテンアメリカでは1980年代。特に、チリの1980年代はアウグスト・ピノチェト政権の時代と重なる。 ●日本では1993年から2004年までの約12年間。本項で述べる。経緯
日本銀行による急速な金融引き締め︵総量規制︶を端緒とした信用収縮と、在庫調整の重なったバブル景気崩壊後の急速な景気後退に、財務当局の失政、円高、世界的な景況悪化などの複合的な要因が次々に加わり不況が長期化した。銀行・証券会社などの大手金融機関の破綻が金融不安をひきおこすなど、日本の経済に大打撃を与えた。これにより、1973年から続いていた安定成長期は18年で終わった。 多数の企業倒産や、従業員の解雇︵リストラ︶、金融機関を筆頭とした企業の統廃合などが相次いだ。 1991年ごろから始まった﹁失われた10年﹂︵平成不況期︶は、1999年から新世紀にかけてのITバブルを経て、2002年1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。しかし、この不景気の期間は日本経済史上最長となった。 失われた10年については研究機関や学者などが多くの研究成果を発表しており、政府も内閣府が研究会を発足させ、2007年度中に報告書を出すとしている。 ﹃ゼミナール日本経済入門︵1999年度版︶﹄︵日本経済新聞出版社︶で初めて﹁失われた10年﹂なる用語が使われた。原因
停滞の具体的な要因として、以下の要因が挙げられている。- 資産価格の著しい低下による、バランスシートの悪化
- 企業投資の歴史的な停滞
- 企業の債務返済による財政支出の乗数効果低下
- 財務当局の失政(景気が回復基調に転じた時点での消費税率引き上げや社会保険の給付引き締め)
- 日銀の金融緩和の不徹底や物価動向に逆行する金融政策の実施(速水優総裁の主導によるデフレ下のゼロ金利解除等)
- 大手金融機関(山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行など)の経営の失敗(不良債権処理の先送り)
- 世界において相次いだ経済危機の余波(1992年ポンド危機、1994年~1995年メキシコ危機、1997年アジア通貨危機)
金融システム危機
金融行政においては護送船団方式の行き詰まりが表面化し、以下の銀行・証券が破綻した。[1]
●1995年8月 - 兵庫銀行
●1996年 - 住宅金融専門会社
●1996年3月 - 太平洋銀行
●1996年10月 - 阪和銀行
●1997年10月 - 京都共栄銀行
●1997年11月3日 - 三洋証券
●1997年11月17日 - 北海道拓殖銀行
●1997年11月24日 - 山一證券
●1997年11月26日 - 徳陽シティ銀行
●1998年10月23日 - 日本長期信用銀行
●1998年12月 - 日本債券信用銀行
●1999年4月 - 国民銀行
●1999年5月 - 幸福銀行
●1999年6月 - 東京相和銀行
●1999年8月 - なみはや銀行
●1999年10月 - 新潟中央銀行
●2001年12月28日 - 石川銀行
●2002年3月8日 - 中部銀行
●2003年9月 - 足利銀行
特に、三洋証券はコール市場にてデフォルトを起こしたため、無担保コール市場が大混乱に陥った。これにより、金融市場は連鎖的な信用収縮を招き、事態は一気に金融恐慌の様相を呈していった。