「木上益治」の版間の差分
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=== コミック === |
=== コミック === |
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* MUNTO〜ユメミぱらどっくす〜(2006年、[[ドラゴンエイジピュア]]3月号) (脚本) |
* MUNTO〜ユメミぱらどっくす〜(2006年、[[ドラゴンエイジピュア]]3月号) (脚本) |
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=== 挿絵 === |
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*ドラゴンギア (1989年12月1日、[[エニックス文庫]]) '''さとうとしお'''名義<ref name="josei20191022"/> |
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*小さなジャムとゴブリンのオップ(1989年) |
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== 評価 == |
== 評価 == |
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* あにまる屋時代の後輩である[[奈須川充]]は、努力家としての側面から「野球界で言えば[[イチロー]]」と形容し、「木上さんの進化のスピードは爆発的で、追いつくのは不可能だと思った」と述べている<ref name="josei20191022"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。 |
* あにまる屋時代の後輩である[[奈須川充]]は、努力家としての側面から「野球界で言えば[[イチロー]]」と形容し、「木上さんの進化のスピードは爆発的で、追いつくのは不可能だと思った」と述べている<ref name="josei20191022"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。 |
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* [[本多敏行]]は、シンエイ動画在籍中の1979年に当時の社長から﹁すごい絵を描く人が来たよ﹂と木上が面接時に持参した人物画のスケッチブックを見せられた。そのデッサン力や構図から﹁こんな世界観を表現できる人はどこにもいない﹂と感じ、すぐに採用するよう進言した<ref name="nhk20191125"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。また、﹁色々な作品を作れたが、本当は小さな子供向けの温かいアニメを作りたかったのだろう﹂と推察している<ref name="josei20191022"/>。
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* [[本多敏行]]は、シンエイ動画在籍中の1979年に当時の社長から﹁すごい絵を描く人が来たよ﹂と木上が面接時に持参した人物画のスケッチブックを見せられた。そのデッサン力や構図から﹁こんな世界観を表現できる人はどこにもいない﹂と感じ、すぐに採用するよう進言した<ref name="nhk20191125"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。また、﹁色々な作品を作れたが、本当は小さな子供向けの温かいアニメを作りたかったのだろう﹂と推察している<ref name="josei20191022"/>。
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* 2019年7月下旬の通夜で泣き続ける木上の母親に対し、京都アニメーション社長の八田英明は「日本一のアニメーターでした」と声を掛けた<ref>中日新聞2019年8月3日朝刊31面</ref>。 |
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== 逸話 == |
== 逸話 == |
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* 飲酒を好み、甘党だった。一方で洗濯を嫌い、下着やセーターも何日か着たら捨て、新しく買っていた<ref name="josei20191022"/>。 |
* 飲酒を好み、甘党だった。一方で洗濯を嫌い、下着やセーターも何日か着たら捨て、新しく買っていた<ref name="josei20191022"/>。 |
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*[[プロレス]]好きであり、特に観戦することを好んでいた。ある日、寿司店で[[アントニオ猪木]]やプロレスの悪口を言った隣の客に酒をかけたことがある<ref name="josei20191022"/>。 |
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* [[ヘッドフォン]]で[[サザンオールスターズ]]を聴きながら鉛筆を走らせるのが日課だった<ref name="mainichi20190817" />。 |
* [[ヘッドフォン]]で[[サザンオールスターズ]]を聴きながら鉛筆を走らせるのが日課だった<ref name="mainichi20190817" />。 |
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* 新人時代に動画を担当した﹃ドラえもん﹄で、[[野比のび太]]がひみつ道具の刀を持つシーンにおいて、原画担当の本多敏行が指定していない﹁ふらつき﹂の動きを描き加えてきた。本来は越権行為になりかねないが﹁それを認めさせる実力をすでに備えていた﹂と本多は語っている<ref name="asahi20200119"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。原画担当昇格後の﹁[[さすがの猿飛]]﹂第28話でも、演出の絵コンテには﹁蹴る﹂としか指示されていないにもかかわらず、動作を膨らませて﹁回し蹴り﹂として描いた<ref name="nhk20191125"/>。
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* 新人時代に動画を担当した﹃ドラえもん﹄で、[[野比のび太]]がひみつ道具の刀を持つシーンにおいて、原画担当の本多敏行が指定していない﹁ふらつき﹂の動きを描き加えてきた。本来は越権行為になりかねないが﹁それを認めさせる実力をすでに備えていた﹂と本多は語っている<ref name="asahi20200119"/><ref name="kyoto20200714-02"/>。原画担当昇格後の﹁[[さすがの猿飛]]﹂第28話でも、演出の絵コンテには﹁蹴る﹂としか指示されていないにもかかわらず、動作を膨らませて﹁回し蹴り﹂として描いた<ref name="nhk20191125"/>。
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* 京都アニメーションでは、定時になった瞬間に退出していた。[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]は、定時に終業するべきという理念と共に、若手アニメーターが木上の机やゴミ箱にある描画を研究する機会を与えていたと推察している<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12529149606.html|title=定時|accessdate=2021-01-03|author=山本寛|date=2019-09-24|website=山本寛オフィシャルブログ|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。
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* 京都アニメーションでは、定時になった瞬間に退出していた。[[山本寛 (アニメ演出家)|山本寛]]は、定時に終業するべきという理念と共に、若手アニメーターが木上の机やゴミ箱にある描画を研究する機会を与えていたと推察している<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12529149606.html|title=定時|accessdate=2021-01-03|author=山本寛|date=2019-09-24|website=山本寛オフィシャルブログ|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。
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* 2000年頃、京都アニメーション初のオリジナルアニメ作品として、おとぎ話を脚色した『[[笠地蔵]]』の企画が立ち上がった。木上が絵コンテを描き、パイロットフィルムまで製作されたものの、文芸色の強い地味な作品で売れそうにないという理由で企画は流れた。山本寛は『笠地蔵』を制作しなかったのは「京都アニメーション最大の失敗」と主張している。代わりに企画されたのが『MUNTO』シリーズである<ref name="kyoto20200714-01"/><ref name="planets20170203"/>。 |
* 2000年頃、京都アニメーション初のオリジナルアニメ作品として、おとぎ話を脚色した『[[笠地蔵]]』の企画が立ち上がった。木上が絵コンテを描き、パイロットフィルムまで製作されたものの、文芸色の強い地味な作品で売れそうにないという理由で企画は流れた。山本寛は『笠地蔵』を制作しなかったのは「京都アニメーション最大の失敗」と主張している。代わりに企画されたのが『MUNTO』シリーズである<ref name="kyoto20200714-01"/><ref name="planets20170203"/>。 |
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* 京都アニメーションの女性社員と結婚した<ref name="josei20191022"/>。 |
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⚫ | * アニメーターとしては'''多田文雄'''(多田文男)、演出家としては'''三好一郎'''、'''梅庵'''の別名を持ち、京都アニメーション制作またはグロス請けのTVアニメ作品では別名義を使う傾向があった<ref name="planets20170203"/>。 |
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* 反面、音響・音楽周りは全く把握していなかった。山本寛は、監督である木上が常に黙っているので、代わりに自身が指示を出したと証言している<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12587486873.html|title=師匠5|author=山本寛|accessdate=2021-01-03|date=2020-04-06|website=山本寛オフィシャルブログ|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。
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* 反面、音響・音楽周りは全く把握していなかった。山本寛は、監督である木上が常に黙っているので、代わりに自身が指示を出したと証言している<ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12587486873.html|title=師匠5|author=山本寛|accessdate=2021-01-03|date=2020-04-06|website=山本寛オフィシャルブログ|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。
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* 京都アニメーションの女性社員と結婚していた<ref name="josei20191022"/>。 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2022年3月17日 (木) 13:34時点における版
きがみ よしじ 木上 益治 | |
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本名 | 木上 益治 |
別名義 |
多田 文雄 多田 文男 三好 一郎 梅庵 |
生年月日 | 1957年12月28日 |
没年月日 | 2019年7月18日(61歳没) |
出生地 |
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死没地 |
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職業 |
アニメーション監督 アニメーション演出家 アニメーター |
活動期間 | 1979年 - 2019年 |
主な作品 | |
監督 『フルメタル・パニック?ふもっふ』 『らき☆すた』 『空を見上げる少女の瞳に映る世界』 『ドラえもん のび太と翼の勇者たち』 『天上人とアクト人最後の戦い』 『バジャのスタジオ』 |