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[[盛岡高等農林学校]](現[[岩手大学]][[農学部]])で宮沢賢治に親炙し、「[[小作人]]たれ」「農村劇をやれ」という賢治の教えを実践。農民生活の向上と農村文化・芸術の確立に生涯をかけた農村改革の実践者である。[[鳥越八幡神社]]境内につくった土舞台で36回の農村劇を実施した。その土舞台は現在も[[鳥越八幡神社]]境内に残っている。最上共働村塾を開設し、[[託児所]]や共同施設を設け、山岳立体農業にも挑戦する。

[[盛岡高等農林学校]](現[[岩手大学]][[農学部]])で宮沢賢治に親炙し、「[[小作人]]たれ」「農村劇をやれ」という賢治の教えを実践。農民生活の向上と農村文化・芸術の確立に生涯をかけた農村改革の実践者である。[[鳥越八幡神社]]境内につくった土舞台で36回の農村劇を実施した。その土舞台は現在も[[鳥越八幡神社]]境内に残っている。最上共働村塾を開設し、[[託児所]]や共同施設を設け、山岳立体農業にも挑戦する。



[[1938年]](昭和13年)、自らの[[回顧録]]『土に叫ぶ』を羽田書店([[羽田孜]]の父である[[羽田武嗣郎]]の経営)から出版したところベストセラーとなり、次いで翌年、師・宮沢賢治の作品集『宮沢賢治名作選』を同じ羽田書店から出版して、それまで無名だった賢治を世に出した<ref>[http://e-library.gprime.jp/lib_pref_yamagata/dfp.view_data.form?data=%2F%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%B7%A8%2F%E3%81%BE%E8%A1%8C%2F0000000011-200303010001314&viewer=dfp&sortKey=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A&sortOrder=true&sortItemType=text&searchterm=&permissionTerm=&detailterm=&searchCategory=%2F%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%B7%A8%2F%E3%81%BE%E8%A1%8C&selectCategory=&currentPage=1&pageSize=20&template=&tempList= 文献目録検索]([[山形県立図書館]])より参照</ref>。

[[1938年]](昭和13年)、自らの[[回顧録]]『土に叫ぶ』を羽田書店([[羽田孜]]の父である[[羽田武嗣郎]]の経営)から出版したところベストセラーとなり、次いで翌年、師・宮沢賢治の作品集『宮沢賢治名作選』を同じ羽田書店から出版<ref>[http://e-library.gprime.jp/lib_pref_yamagata/dfp.view_data.form?data=%2F%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%B7%A8%2F%E3%81%BE%E8%A1%8C%2F0000000011-200303010001314&viewer=dfp&sortKey=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A&sortOrder=true&sortItemType=text&searchterm=&permissionTerm=&detailterm=&searchCategory=%2F%E4%BA%BA%E7%89%A9%E7%B7%A8%2F%E3%81%BE%E8%A1%8C&selectCategory=&currentPage=1&pageSize=20&template=&tempList= 文献目録検索]([[山形県立図書館]])より参照</ref>。当時、賢治はすでに最初の全集も刊行されてはいたがその知名度はまだ限られたものであった。同書は賢治の存在と作品を広く世に伝える役割を果たした



== 年譜 ==

== 年譜 ==


2012年12月26日 (水) 14:42時点における版

松田 甚次郎
(まつだ じんじろう)
誕生 松田 甚次郎
1909年3月3日
日本の旗 日本山形県最上郡稲舟村大字鳥越
死没 (1943-08-04) 1943年8月4日(34歳没)
日本の旗 日本・山形県稲舟村
職業 百姓作家、篤農家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 盛岡高等農林学校
活動期間 1927年 - 1943年
代表作 『土に叫ぶ』(1938年
『宮沢賢治名作選』(1939年
テンプレートを表示

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 - 1941

  1. ^ 文献目録検索山形県立図書館)より参照
  2. ^ 当時、松田と親交のあった吉田コトの回想記『月夜の蓄音機』(荒蝦夷、2008年)によると、この出版は羽田武嗣郎から農村での実践を本にしてほしいと頼まれたことがきっかけだった。
  3. ^ 実際には上記の吉田コトが賢治の実弟である宮沢清六とともに作品を選定したと『月夜の蓄音機』には記されている。吉田コトは『宮澤賢治殺人事件』の著者吉田司の実母である。

関連項目