「田中武雄 (青森県知事)」の版間の差分
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逓信官僚・青森県知事・小倉市長 |
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[[1913年]]6月、青森県知事に就任。大凶作への対応に尽力。[[1914年]]4月に休職となる<ref name="re"/>。同年に退官<ref name="ji"/>。[[1916年]]12月、小倉市長に就任。1918年2月、上京中に死去した<ref name="as"/>。
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[[1913年]]6月、青森県知事に就任。大凶作への対応に尽力。[[1914年]]4月に休職となる<ref name="re"/>。同年に退官<ref name="ji"/>。[[1916年]]12月、小倉市長に就任。1918年2月、上京中に死去した<ref name="as"/>。
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* [[1897年]](明治30年)[[11月30日]] - [[従七位]]<ref>『官報』第4326号「叙任及辞令」1897年12月1日。</ref> |
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==脚注== |
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== 参考文献 == |
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*歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。 |
*歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。 |
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[[Category:日本の逓信官僚]] |
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[[Category:中央大学出身の人物]] |
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2024年1月20日 (土) 04:57時点における最新版
田中 武雄︵たなか たけお、1871年4月25日︵明治4年3月6日︶[1] - 1918年︵大正7年︶2月27日[2]︶は、日本の逓信官僚。官選青森県知事、小倉市長。
経歴[編集]
東京府出身[1]。1896年、東京法学院を卒業。同年12月、判事検事登用第1回試験、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し逓信属となる[1][3]。 以後、逓信事務官、逓信書記官、一等郵便局長、逓信省経理局調度課長兼電信灯台用品製造所長、兼台湾総督府事務官、東京逓信経理局長などを経て、熊本逓信管理局長に就任[1]。 1913年6月、青森県知事に就任。大凶作への対応に尽力。1914年4月に休職となる[1]。同年に退官[3]。1916年12月、小倉市長に就任。1918年2月、上京中に死去した[2]。栄典[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]