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== 略歴 ==

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同年12月に旧家どうしの婿養子縁組で結婚。文筆活動に夫の理解を得られることがなく、翌[[1908年]]には新詩社を退社させられ、本人の意思とは別に断筆に至る等、不幸な結婚生活を送った。

同年12月に旧家どうしの婿養子縁組で結婚。文筆活動に夫の理解を得られることがなく、翌[[1908年]]には新詩社を退社させられ、本人の意思とは別に断筆に至る等、不幸な結婚生活を送った。

2男児を儲けるも、後年に夫の投機の失敗による杉山家の没落を経て夫と別居し、[[1931年]](昭和6年)から「明星」の後身「[[冬柏]](とうはく)」に再び短歌の寄稿を始める。

2男児を儲けるも、後年に夫の投機の失敗による杉山家の没落を経て夫と別居し、[[1931年]](昭和6年)から「明星」の後身「冬柏(とうはく)」に再び短歌の寄稿を始める。


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* [[長谷川時雨]]が連載した「美人伝」で紹介されており<ref>「明治美人伝(第9回)石上露子」読売新聞1913年7月3日。</ref>、美人であるとして広く人物と作品が知られるようになった。

* [[長谷川時雨]]が連載した「美人伝」で紹介されており<ref>「明治美人伝(第9回)石上露子」読売新聞1913年7月3日。</ref>、美人であるとして広く人物と作品が知られるようになった。

** 「かつて、雑誌『明星』には、すぐれた五人の詩人があった。晶子、[[山川登美子|とみ子]]、[[玉野花子|花子]]、[[茅野雅子|雅子]]とこの露子とで、其うちの最も美しき女と唄われ、其歌の風情と、姿の趣とあはせて、白菊の花にたとへられてゐた」

** 「かつて、雑誌『明星』には、すぐれた五人の詩人があった。晶子、[[山川登美子|とみ子]]、[[玉野花子|花子]]、[[茅野雅子|雅子]]とこの露子とで、其うちの最も美しき女と唄われ、其歌の風情と、姿の趣とあはせて、白菊の花にたとへられてゐた」

* 地元でも美人で評判であり、わらべ歌で「富田林の酒屋の娘、大和河内にない器量」と歌われた。

* 自身の歌集の初発表は[[1959年]][[10月30日]]のことであり、生前には一冊も発表されなかった。

* 自身の歌集の初発表は[[1959年]][[10月30日]]のことであり、生前には一冊も発表されなかった。

* [[山崎豊子]]の『[[花紋 (小説)|花紋]]』では、主人公の境遇と石上露子の生涯で重なる部分が非常に多く、同作の[[婦人公論]]での連載中からも主人公のモデルであるといわれていた。ただし著者は「そのままのモデルではなく、女神のごとき女流歌人の背後に悪魔の声と姿のイメージを創り上げた」と否定している。([[中央公論新社|中央公論社]]初版あとがき)

* [[山崎豊子]]の『[[花紋 (小説)|花紋]]』では、主人公の境遇と石上露子の生涯で重なる部分が非常に多く、同作の[[婦人公論]]での連載中からも主人公のモデルであるといわれていた。ただし著者は「そのままのモデルではなく、女神のごとき女流歌人の背後に悪魔の声と姿のイメージを創り上げた」と否定している。([[中央公論新社|中央公論社]]初版あとがき)

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* [[松本和男]] 『評伝石上露子』[[中央公論新社]]、2000年

* [[松本和男]] 『評伝石上露子』[[中央公論新社]]、2000年

* 松本和男 『論集石上露子』[[中央公論新社|中央公論事業出版]]、2002年

* 松本和男 『論集石上露子』[[中央公論新社|中央公論事業出版]]、2002年

* [[松本和男]] 『石上露子をめぐる青春群像』上・下、私家版、2003年

* 松本和男 『石上露子をめぐる青春群像』上・下、私家版、2003年

* [[松本和男]] 『石上露子アルバム』私家版、2009年

* 松本和男 『石上露子アルバム』私家版、2009年

* [[宮本正章]] 『石上露子百歌 解釈と鑑賞』竹林館、2009年

* [[宮本正章]] 『石上露子百歌 解釈と鑑賞』[[竹林館]]、2009年

* [[奥村和子]]・楫野政子 『みはてぬ夢のさめがたく 新資料でたどる石上露子』竹林館、2017年

* [[奥村和子]]・楫野政子 『みはてぬ夢のさめがたく 新資料でたどる石上露子』竹林館、2017年

* 奥村和子『恋して、歌ひて、あらがひて わたくし語り石上露子』竹林館、2019年

* 楫野政子『石上露子私論 女性にて候、されど』風詠社、2019年



== 脚注 ==

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[[Category:20世紀の歌人]]

[[Category:20世紀の歌人]]

[[Category:日本の女性歌人]]

[[Category:日本の女性歌人]]

[[Category:日本の著作家]]

[[Category:20世紀日本の女性著作家]]

[[Category:明治時代の文学]]

[[Category:明治時代の文学]]

[[Category:明治時代の人物]]

[[Category:明治時代の人物]]


2023年10月18日 (水) 08:49時点における最新版

石上 露子
(いそのかみつゆこ)
ペンネーム 石上 露子、ゆふちどり等
誕生 杉山 孝(すぎやま たか)
1882年6月11日
日本の旗 日本大阪府富田林市
死没 (1959-10-08) 1959年10月8日(77歳没)
職業 作家歌人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 梅花女学校中退
ジャンル 詩歌短歌
主題 恋愛感情家族反戦
代表作小板橋』(1907年)
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

  188215611 - 195934108   

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1882611[1]19033621稿1907404012 12婿1908退219316稿 19593410878

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エピソード[編集]

  • 長谷川時雨が連載した「美人伝」で紹介されており[4]、美人であるとして広く人物と作品が知られるようになった。
    • 「かつて、雑誌『明星』には、すぐれた五人の詩人があった。晶子、とみ子花子雅子とこの露子とで、其うちの最も美しき女と唄われ、其歌の風情と、姿の趣とあはせて、白菊の花にたとへられてゐた」
  • 自身の歌集の初発表は1959年10月30日のことであり、生前には一冊も発表されなかった。
  • 山崎豊子の『花紋』では、主人公の境遇と石上露子の生涯で重なる部分が非常に多く、同作の婦人公論での連載中からも主人公のモデルであるといわれていた。ただし著者は「そのままのモデルではなく、女神のごとき女流歌人の背後に悪魔の声と姿のイメージを創り上げた」と否定している。(中央公論社初版あとがき)

作品集[編集]

  • 『石上露子集』 松村緑編、中公文庫、1994年
    • 「明星」時代の作品
    • 「冬柏」時代の歌
    • 本人が記した自伝
  • 『石上露子全集』 大谷渡編、東方出版、1998年
    • 他雑誌発表作品も加えた個人全集

評論・評伝[編集]

  • 吉屋信子 『ある女人像―近代女流歌人伝』 新潮社、1965年/朝日文庫、1979年
  • 松本和男 『評伝石上露子』中央公論新社、2000年
  • 松本和男 『論集石上露子』中央公論事業出版、2002年
  • 松本和男 『石上露子をめぐる青春群像』上・下、私家版、2003年
  • 松本和男 『石上露子アルバム』私家版、2009年
  • 宮本正章 『石上露子百歌 解釈と鑑賞』竹林館、2009年
  • 奥村和子・楫野政子 『みはてぬ夢のさめがたく 新資料でたどる石上露子』竹林館、2017年
  • 奥村和子『恋して、歌ひて、あらがひて わたくし語り石上露子』竹林館、2019年
  • 楫野政子『石上露子私論 女性にて候、されど』風詠社、2019年

脚注[編集]

  1. ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、112頁。 
  2. ^  「みいくさに こよひ誰が死ぬ さびしみと 髪ふく風の 行方見まもる」の歌は 明治37年「明星」7月号に発表。同9月号で、与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を発表。(生家近くの公園にある歌碑には、南山の戦い(明治37年5月)で地元から多くの戦死者を出したことが契機と解説されている。)
  3. ^ 生田春月の「日本近代名詩集」(1919年)「石上露子 もと新詩社の同人たりし事の外知るところなきも『小板橋』一篇は絶唱なれば特に収む」
  4. ^ 「明治美人伝(第9回)石上露子」読売新聞1913年7月3日。

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