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'''積算'''(せきさん)とは、一般的には数値を次々に加えていくことをいう。数学ではこのことを[[総和]]と言い、積算は経済分野での用語である。集めて計算すること。数をつぎつぎに加えて計算すること。また、その合計した額。[[累計]]を表す。

'''積算'''(せきさん)とは、一般的には[[数値]]を次々に加えていくことをいう。[[数学]]ではこのことを[[総和]]と言い、積算は経済分野での用語である。集めて[[計算]]すること。数をつぎつぎに加えて計算すること。また、その合計した額。[[累計]]を表す。



『最暗黒之東京』(1893、松原岩五郎) 二〇「百十数人の座業者が貢ぐ処の料銭、一 ト夏積算(セキサーン)して数百円に登る事あり」や『大塩平八郎』(1914、森鴎外)一〇で「四箇所の加番を積算(セキサン) すると、上下の人数が千三十四人になる」、『一つの思考実験』(1922、寺田寅彦)「其の積算的効果は可也なものになりはしまいか」などと使われている。

『最暗黒之東京』(1893、松原岩五郎) 二〇「百十数人の座業者が貢ぐ処の料銭、一 ト夏積算(セキサーン)して数百円に登る事あり」や『大塩平八郎』(1914、森鴎外)一〇で「四箇所の加番を積算(セキサン) すると、上下の人数が千三十四人になる」、『一つの思考実験』(1922、寺田寅彦)「其の積算的効果は可也なものになりはしまいか」などと使われている。




使[[]][[]](integral dose; cumulative dose)[[]](collective effective dose)(electric power)[[]][[]][[]]Tripmeter[[]]

使[[]][[]][[]][[]]integral dose; cumulative doseelectric power[[]][[]][[]]Tripmeter[[]]

このほかに[[マイレージサービス]]のマイル積算がある。

このほかに[[マイレージサービス]]のマイル積算がある。



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[[建設業]]界では、[[歩掛]](材料費・労務費・機械経費など)に基づき構成する費用を積み上げ、全体の事業費を計算する方法またはその業務のことをいう。

[[建設業]]界では、[[歩掛]](材料費・労務費・機械経費など)に基づき構成する費用を積み上げ、全体の事業費を計算する方法またはその業務のことをいう。



工事の積算であれば対象施設について[[技術基準]]に基づいて作成された[[設計図書]]や施工方法を定めた[[契約]]内容に基づいて適正に[[費用]]を算出する行為である。[[公共事業]]での建設工事は一般的に[[公的機関]]が発注者となって[[建設業者]]に事を請け負わせることによって[[施工]]されている。この際、発注書は対象となる事の[[設計書]]を作成し、受注者は原則として複数の建設業者から[[入札]]によって決定されるが、入札にあたってはあらかじめ積算に基づいて[[予定価格]]を決めておき、予定価格以下の最低価格を提示した者が[[受注]]する。

工事の積算であれば対象施設について[[技術基準]]に基づ作成された[[設計図書]]や施工方法を定めた[[契約]]内容に基づいて適正に[[費用]]を算出する行為である。[[公共事業]]での建設工事は一般的に[[公的機関]]が発注者となって[[建設業者]]に事を請け負わせることによって[[施工]]されている。この際、発注書は対象となる事の[[設計書]]を作成し、受注者は原則として複数の建設業者から[[入札]]によって決定されるが、入札にあたり予め積算に基づ[[予定価格]]を決めておき、予定価格以下の最低価格を提示した者が[[受注]]する。



[[公共事業]]などでよく言われる「工事費の[[予定価格]]」は発注者([[国]]、[[地方自治体]]など)が積算した価格で、「工事費の[[見積]]価格」は[[請負]]者が積算した価格である。


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使ESTIMATION [[]][[]]

日本に「積算」という言葉が使われるようになったのは明治に入ってからのことであるという。これは英語の「ESTIMATION」が直訳されたものと言われている。積算という言葉の定義は、これには学術的なしっかりとした定義はない。[[建設業法]]でも[[建築基準法]]などの中にもこの言葉はみられない<ref group="注釈">estimationは、日本語の積算つまり「積み上げ」の意味はない。このため、「海外へも随分勉強 に行かせていただきましたが、ヨーロッパでは積 算という言葉がまったく通用せず、積み上げをやっていたのは韓国と台湾でした。」[https://www.zai-keicho.or.jp/wp-content/uploads/2022/08/er_review_vol.1.pdf 経済調査研究レビュー] 2007年9月 経済調査会経済調査研究所</ref>



;建築工事積算での定義

;建築工事積算での定義


2[[]][[]][[]][[]]()[[]]/()[[]]()[[]][[]][[]][[]][[]][[]]

日本で法律用語としての「積算」は、平成2年に旧[[建設省]](現在の[[国土交通省]])の[[告示]]においてである。その後積算のうち、建築積算とは建築物の[[設計図書]]に基づき、工事に関する内訳書を作成する業務、として位置付けられた。『建築数量積算基準・同解説』(制定:建築工事建築数量積算研究会、編集:(一財)[[建築コスト管理システム研究所]]/(公社)[[日本建築積算協会]]、発行:(一財)建築コスト管理システム研究所、出版:大成出版社)においては積算は一般にある目的のためにその各部分を計算し、その結果を集積し工事費用を事前に[[予測]]すること、また積算価格はその構成を一般にいう見積価額、予算額、実施費用などであり、これらの総称、予測の価額としているが、積算価格は建築物を各部分に区分したその部分の価額を計算し分類、集積したその総額を算出することとしている。



=== 歴史 ===

=== 歴史 ===


[[]]使[[]]142832

[[]]使[[]]142832


日本では8世紀の[[平安時代]]から見積るという行為があって、積算の歴史の資料として残っているのが「延喜式」(927年完成 967年施行・10世紀)として知られている。これは一種の建築法律で「養老律令」の施行細則をまとめた法典となっている。「延喜式」には、当時の[[宮内省]]の建設官司である木工寮(もくりょう)に「笇師(さんし)」という積算部門を担当する役職があり、官司の予算を作り建設工事の積算や決算などを担当しており、また、計画段階における積算は「勘定支度」や「用途支度」と呼ばれていたことが知られている。なおこの「支度」とは、用材や費用の見積りを含めた造営計画という意味である。当時の建物は当然のことながら[[国営]]で、国家予算を使って工事をするためには積算が必要であるが、「延喜式木工寮式」の「削材」という項に大工が一日にどれくらいの木を削れるかという歩掛り例をみると、4月から7月の日の長い月(長功)で6,000平方寸、メートル法換算で5.平方メートル、幅15 ~16センチメートルの柱で33メートル、春や秋の時期(中功)では5,000平方寸、冬の日の短い時期(短功)で4,000平方寸と記されている。


8[[]]927 96710[[ ()|]][[]]使476,0005.1516335,0004,000


[[中世]](1185 ~ 1333年・[[鎌倉時代]]以降)では「損式(そーしき・そんしき)」というものがあり、「堂舎損式検録帳」(11世紀前半・元興寺)という記録が残っている。これは災害で倒れた建物の修復をするにはいくらの予算が必要かと、概算見積りを立てる計算方法を示したものであり、このようなルールに従って複数の大工棟梁が受注を競うようになっている。この頃から競争見積り入札が始まったものと考えられている。

[[中世]](1185 ~ 1333年・[[鎌倉時代]]以降)では「損式(そーしき・そんしき)」というものがあり、「堂舎損式検録帳」(11世紀前半・元興寺)という記録が残っている。これは災害で倒れた建物の修復をするにはいくらの予算が必要かと、概算見積りを立てる計算方法を示したものであり、このようなルールに従って複数の大工棟梁が受注を競うようになっている。この頃から競争見積り入札が始まったものと考えられている。



[[桃山]]建築界からの豪壮華麗な隆盛の裏には[[豊臣秀吉]]が解放した自由競合の原則があり、これが入札制度の発達を促し、この時代の芸術家[[本阿弥光悦]]にも次の言葉がある。「公儀御普請等、秀吉公蓹代長束大蔵、增田右衛門、小身者より立身仕り算勘に達し候より、入札を致させ、いつとても下直なる札へ落し、御普請たとへば百貫目と存候所、五十貫目にて済候と申様なる事にて、御物人甚だ減少仕候ヘども、請負のものども工手間を盗み候故、見分けばかりに此余毒今以て其通りにて御座候て甚だ粗末に相成候、これには御心得も有度事に奉存候」(『本阿弥行状記』)。ただし、このような入札制度普及の背景には、それを[[発注]]する[[施主]]、[[請負]]者にとって、費用の正確な[[見積]](積算)と、積算のための[[建築図面]]と[[仕様書]]が必要となる。

[[桃山]]建築界からの豪壮華麗な隆盛の裏には[[豊臣秀吉]]が解放した自由競合の原則があり、これが入札制度の発達を促し、この時代の芸術家[[本阿弥光悦]]にも次の言葉がある。「公儀御普請等、秀吉公蓹代長束大蔵、增田右衛門、小身者より立身仕り算勘に達し候より、入札を致させ、いつとても下直なる札へ落し、御普請たとへば百貫目と存候所、五十貫目にて済候と申様なる事にて、御物人甚だ減少仕候ヘども、請負のものども工手間を盗み候故、見分けばかりに此余毒今以て其通りにて御座候て甚だ粗末に相成候、これには御心得も有度事に奉存候」(『本阿弥行状記』)。ただし、このような入札制度普及の背景には、それを[[発注]]する[[施主]]、[[請負]]者にとって、費用の正確な[[見積]]積算と、積算のための[[建築図面]]と[[仕様書]]が必要となる。




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殿161217[[]]



[[]]600([[]])[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

実際和算に限らず、近世にはさまざまな学問が発達したが[[建築学]]も著しい発達をみており、中世末から近世においては特定建築の造営のみを目的とした設計図・仕様書とは別に、こんにちからみても建築学教書としての一般性と系統的記述を備えた建築書が多数著された。その総数は600以上にも及ぶが、堂、宮・門・塔・家屋[[住宅]]・[[数寄屋]]・絵様から規矩、構法などの建築意匠と建築技術にかかわるものから[[棚]]・[[建具]]などの室内意匠に関するもの、大工儀式に関するものなど、多様な内容を含んでいる。



[[近世]]([[江戸時代]])に入って様々な物事を決めるのに方々で入札行為が登場していくが当時は「入札(いれふだ)」と呼んでいる。「入れ札」の語源としては[[徳川家康]]が[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]](1614年)が終結した時、各[[武将]]に「戦いの様子を入れ札で知らせなさい」と告げたこととしている。これは誰がよく働いたとか誰が裏切った、誰が逃げた、など口にし難いものを紙には書き易いという利点を利用したものである。この後、[[幕府]]の建物を建てるのに「入れ札」が盛んに登場していく。

[[近世]]([[江戸時代]])に入って様々な物事を決めるのに方々で入札行為が登場していくが当時は「入札(いれふだ)」と呼んでいる。「入れ札」の語源としては[[徳川家康]]が[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]](1614年)が終結した時、各[[武将]]に「戦いの様子を入れ札で知らせなさい」と告げたこととしている。これは誰がよく働いたとか誰が裏切った、誰が逃げた、など口にし難いものを紙には書き易いという利点を利用したものである。この後、[[江戸幕府|幕府]]の建物を建てるのに「入れ札」が盛んに登場していく。



英国では、早くから[[積算士]]([[w:quantity surveyor]], QS)という職能が確立していた[http://www1.ttcn.ne.jp/~iwam/pdf/yugaku34.pdf]。1772年には、SurveyorClubが設立され、1882年には[[RICS]]が設立された。そして、英国から日本に来た[[トーマス・ウォートルス]]や[[ジョサイア・コンドル]]などの「造家師」と呼ばれた設計士や建築家によって積算技術が伝えられた。これを明治10年に設立された[[工部省]][[工部大学校]](後の[[東京大学]])により、本格的に教育がなされるようになる。これが日本の近代積算の夜明けである。

英国では、早くから[[積算士]]([[w:quantity surveyor]], QS)という職能が確立していた[http://www1.ttcn.ne.jp/~iwam/pdf/yugaku34.pdf]。1772年には、SurveyorClubが設立され、1882年には[[RICS]]が設立された。そして、英国から日本に来た[[トーマス・ウォートルス]]や[[ジョサイア・コンドル]]などの「造家師」と呼ばれた設計士や建築家によって積算技術が伝えられた。これを明治10年に設立された[[工部省]][[工部大学校]](後の[[東京大学]])により、本格的に教育がなされるようになる。これが日本の近代積算の夜明けである。



建築方面では、1892年(明治25年)には請負制度に関し、建築学会で[[清水組]]番頭の原林之助が「一式請負か分業請負か」というテーマで一式請負([[デザインビルド方式|設計施工一括方式]])についての講演を行い、論争が起こる。それと同時に実力を付けた[[工事請負業者]]が[[一式請負]]を始める。以降、1897年(明治30年)頃から大泉龍之輔が予算編製(積算)について「建築設計便覧」を出版する。1903年(明治36年)には建築学会を中心に「建築技師報酬規定」の制度が動き始める。1905年(明治38年)[[葛西萬司]]は建築学会の講演「建築の経済性について」で、よい建築には金がかからない、西洋でのように[[数量表]]を計画書で示すべきと主張した。1909年(明治42年)建築工事にて数量公開論争が起こる。これは学会で建築技師報酬規定の最終の制定案を検討において、設計図書として数量明細書を含めるべきという原案が、必ずしも必要としない表現に修正されたことに対して葛西らが強く反発した。


1892(25)[[]][[|]][[|]][[|]]189730便190336190538[[西]]西[[|]]190942西


1921年(大正10年)久恒治助が「建築工事仕様及び積算法」を出版。

1921年(大正10年)久恒治助が「建築工事仕様及び積算法」を出版。1924年(大正13年)には日本初の積算事務所「大泉建築積算事務所」が銀座に開設される。英国のQSを実現しようとした建築積算事務所の発祥であったが、注文がなく1929年(昭和4年)には閉鎖した

1924年(大正13年)日本初の積算事務所「大泉建築積算事務所」が銀座に開設される。英国のQSを実現しようとした建築積算事務所の発祥であったが、注文がなく1929年(昭和4年)には閉鎖した。



1948年(昭和23年)建設工業経営研究会が設立される。益田重華を中心として、工事内訳明細書書式研究会、建築請負工事諸経費研究会等が発足し、積算のベースとなる内訳書や諸経費が研究され始めた。1964年(昭和39年)に[[宮谷重雄]]が英国の[[RICS]]を訪問。QS業務の実体を知ると同時に SMM(標準数量積算基準)を持ち帰り、1965年(昭和40年)二葉建築積算事務所を設立。


194823196439[[]][[RICS]]QS SMM196540


1966年(昭和41年)日本建築積算事務所協会・設立準備会開始され、1967年(昭和42年)に当時の積算事務所の有志により、積算事務所の集まりである日本建築積算事務所協会が任意団体として設立。設立時の正会員は37社、積算業務の実態調査研究や建築積算に関するセミナー・講習会の開催などを活発に行っていく。そして、内訳書式標準化等の研究を続けていた官民合同の「建築積算研究会」に主幹事役の一員として参加し、その後の[[建築数量積算基準]]の制定と新たな内訳書標準書式等の研究を行っていく。1967年頃より建設工業経営研究会に設置された建築積算研究会のメンバーにより研究が開始された建築数量積算基準から1970年4月に官民合同の建築数量積算基準研究会が発足し、約7年半の歳月を経て1978年1月に「建築数量積算基準」が発表され、同様な時期に[[建築工事内訳書標準書式]]が制定され現在に至っている。


19664119674237調[[]]196719704719781[[]][[]]



197550197752[[]] QS(Quantity Surveyor199022001132001132200214200820 2,284  89 392,312 200214BSIJ (JAQS)80 200416西200517JAQS JAQS 200921 

197550197752[[]]QSQuantity Surveyor1990220011320011322002142008202,28489392,312


2002年(平成14年)、BSIJの事務所部会メンバーを中心に建築積算事務所連合会(JAQS)が設立され、正会員(事務所会員)、特別会員、賛助会員により構成。積算事務所80社で開始。この年に中国・四国地域会「建築積算事務所連合会 中国・四国地域会」が設立する。2004年(平成16年)には関西地域会「建築コストセンター」が設立され、2005年(平成17年)関東地域会「関東積算事務所協会・JAQS関東」と東海地域会「積算連合東海・JAQS東海」が設立され、2009年(平成21年)一般社団法人建築積算事務所協会として新たに再出発している。


[[]][[]]調[[]][[]][[]]



[[]][[]]調[[]][[]][[]]<ref name=":0">1994[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/02503/1994/12-0025.pdf ]</ref>

[[第2次世界大戦]]から、[[建設需要]]の増大に応じて建設業者に建設工事を完成まで一括して任せる[[請負工事]]が徐々に増え、昭和30年半ばには請負化の方針が明確となり、昭和40年代からは全面的に請負工事となった。



[[第2次世界大戦]]から、[[建設需要]]の増大に応じて建設業者に建設工事を完成まで一括して任せる[[請負工事]]が徐々に増え、昭和30年半ばには請負化の方針が明確となり、昭和40年代からは全面的に請負工事となった<ref name=":0" />

請負工事においては、経済性に考慮しつつ標準的な工事実施のために[[人件費]]や[[材料費]]だけでなく[[マネジメント]]的費用も含めて積算される必要がある。このため積算において、直営工事にはなかった[[諸経費]]([[現場管理費]]、[[一般管理費等]])が計上されてその算定率が定められた。また、標準的な[[歩掛]]や[[積算基準]]類が整備された。



研究者の關豊によれば、近代から発祥した[[鉄道]]の場合は<ref>關豊、「[https://doi.org/10.2208/jscejcm.67.63 鉄道工事における請負契約と積算の歴史的変遷]」『土木学会論文集F4(建設マネジメント)』 2011年 67巻 1号 p.63-73, {{doi|10.2208/jscejcm.67.63}}</ref>、当初は人力主体の工事なため個人の経験則で積算されており、工事状況に応じ必要とする費用を算出していた。また終戦後しばらくは[[物価統制令]]によって代金請求がすべて公定価格によることと、工事費は材料費、労務費、諸役務費、諸経費に区分しての請求が定められており、1947年からは政府に対する不正手段による支払い請求の防止等に関する法律に基づき、材料費が統制額を超えない価格、労務賃金は当時の労務告示の一般職種別賃金基本日額を超えない額とされ、法律廃止以降もしばらくは継続して準拠された。そして諸経費の積算に運用する諸経費は1949年当時の大蔵省通達によっていた。

請負工事においては、経済性に考慮しつつ標準的な工事実施のために[[人件費]]や[[材料費]]だけでなく[[マネジメント]]的費用も含めて積算される必要がある。このため積算において、直営工事にはなかった[[諸経費]]([[現場管理費]]、一般管理費等)が計上されてその算定率が定められた。また、標準的な[[歩掛]]や[[積算基準]]類が整備された<ref name=":0" />。


[[]]<ref>[https://doi.org/10.2208/jscejcm.67.63 ]F4 2011671 p.63-73, {{doi|10.2208/jscejcm.67.63}}</ref>[[]][[]]19471949[[]]


鉄道に関する積算は技術者固有の門外不出の暗黙知として供され継承されていた。

鉄道に関する積算は技術者固有の門外不出の暗黙知として供され継承されていた。



1965

[[]][[]][[]][[]]1965[[]]


豊富な実績の調査分析により、80年代以降は標準化による手法が進むこととなる。

豊富な実績の調査分析により、80年代以降は標準化による手法が進むこととなる。



郵政や電信電話の建築積算においても[[逓信省営繕課]]時代から逓信省職員自ら工事費積算の根拠を整え、十分な予算を確保し、逓信省の監督技師が請負者を指導していたことが指摘されている。

[[郵政]][[電信電話]]の建築積算においても[[逓信省営繕課]]時代から逓信省職員自ら工事費積算の根拠を整え、十分な予算を確保し、逓信省の監督技師が請負者を指導していたことが指摘されている。




[[]][[便]]

[[]][[便]]
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昭和40年代までに多くの公共工事発注機関では直接工事に対する「率(パーセント)」により簡便に共通仮設費を算出している方法を採用するようにしていた。

昭和40年代までに多くの公共工事発注機関では直接工事に対する「率(パーセント)」により簡便に共通仮設費を算出している方法を採用するようにしていた。



それに対し、郵政建築などでは<ref>齋藤隆司、「[https://doi.org/10.14989/doctor.r13095 郵政建築における発注者の役割の変化に関する研究]」『京都大学 学位論文』 論工博第4156号 2017年</ref>、1974年に日本建築学会において「山留め設計施工指針」が発行されると、郵政の監督員出身者等が担当する形で、実際の現場に即し、発注者自ら揚重計画、山留計画、仮囲い、誘導員配置計画、仮設建物、外部足場等の配置計画、工程計画を延床面積、階数等に基づくものだけでなく、工事種別毎に細かな工期設定を行ったうえで全体工期を算出等、プロジェクト毎に仮設計画図、工程表を作成整備し、工事発注及び積算の根拠とするなど、独自技術にこだわり独自の歩掛調査等に基づく積み上げ積算の導入、施工計画策定など、独自技術へのこだわりが見られる。

それに対し、[[逓信建築|郵政建築]]などでは<ref>齋藤隆司、「[https://doi.org/10.14989/doctor.r13095 郵政建築における発注者の役割の変化に関する研究]」『京都大学 学位論文』 論工博第4156号 2017年</ref>、1974年に日本建築学会において「山留め設計施工指針」が発行されると、郵政の監督員出身者等が担当する形で、実際の現場に即し、発注者自ら揚重計画、山留計画、仮囲い、誘導員配置計画、仮設建物、外部足場等の配置計画、工程計画を延床面積、階数等に基づくものだけでなく、工事種別毎に細かな工期設定を行ったうえで全体工期を算出等、プロジェクト毎に仮設計画図、工程表を作成整備し、工事発注及び積算の根拠とするなど、独自技術にこだわり独自の歩掛調査等に基づく積み上げ積算の導入、施工計画策定など、独自技術へのこだわりが見られる。



郵政や電信電話もその後積算にあたっては、国発行の建築積算要領に基づき、数量拾いは基本的に外注し、値入れと呼ばれる複合単価や市場単価の算出を行い、工事費全体額を算出している。


[[#|]][[]][[]][[]][[]]


NTT建築<ref>{{PDFlink|[https://www.ribc.or.jp/info/pdf/sprep/sprep98_05.pdf TTファシリティーズの歴史と積算]}}</ref>によると、[[NTTファシリティーズ]]が1992年の分社後、工事発注積算であった積算指針等を一般市場に適合するよう過去から続く歩掛や独自複合単価での積み上げ方から、物価本とよばれる一般物価資料・市場単価での積算を採用。数量算出については改修工事や小規模工事、仮設計画及び工法計画以外は[[積算事務所]]に委託している。

NTT建築<ref>{{PDFlink|[https://www.ribc.or.jp/info/pdf/sprep/sprep98_05.pdf TTファシリティーズの歴史と積算]}}</ref>によると、[[NTTファシリティーズ]]が1992年の分社後、工事発注積算であった積算指針等を一般市場に適合するよう過去から続く歩掛や独自複合単価での積み上げ方から、物価本とよばれる一般物価資料・市場単価での積算を採用。数量算出については改修工事や小規模工事、仮設計画及び工法計画以外は[[積算事務所]]に委託している。



造園に関する積算の場合、日本で公園営造工事例<ref>{{Cite journal|和書|author=柳五郎 |title=公園の営造植栽 |url=https://doi.org/10.5632/jila1934.47.5_31 |journal=造園雑誌 |issn=0387-7248 |publisher=日本造園学会 |year=1983 |volume=47 |issue=5 |pages=31-36 |naid=110004662104 |doi=10.5632/jila1934.47.5_31}}</ref>では、営造植栽で樹木費、植付材料費、人件費の各項目から工事費用に対する取扱変遷の過程があきらかになっている。日本では横浜彼我公園([[横浜公園]])けるものをその嚆矢としているが、横浜彼我公園の営造植栽では神奈川県から政府に対する工事設計に植栽工事一式をもって取扱われており、その設計変更に樹木費用での調整をおこなっている。これは明治初期の段階では植栽工事そのものが少なかったことも反映している。


[[]]<ref>{{Cite journal||author= |title= |url=https://doi.org/10.5632/jila1934.47.5_31 |journal= |issn=0387-7248 |publisher= |year=1983 |volume=47 |issue=5 |pages=31-36 |naid=110004662104 |doi=10.5632/jila1934.47.5_31}}</ref>[[]][[]][[]][[]]調


東京府の場合でも、初期は植木職人からの工事請負の見積方式において対応している。明治13年の飛鳥山公園での桜、楓など千本の植栽を東京府が発注し内山長太郎が見積り合わせの結果受注している。この際樹木の形状寸法、数量、支柱材等の量、所要の植木職人の人工数を詳細に見積り、工期と一年後の樹木の枯れ補償と履行保証人を立てている。造園以外の工事であるが、明治15年(1882)には芝公園内の道路工事を発注、土木御用達組月番の大倉喜八郎に見積り合わせで処理している。


[[]][[]]13[[]][[]][[|]][[]][[]]151882[[]]


この請負見積方式は植付材料費の割合を多くとることが特徴となっている。

この請負見積方式は植付材料費の割合を多くとることが特徴となっている。




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1885年(明治18年) に当時としては大規模な造園工事が、浅草公園で森田六三郎に発注されているが、工事費は釘代、運送費、箱番損料まで計上し、植木職人も上りと普通の2種を設けて詳細に積み上げている。今日と異なる点は、[[現場管理費]][[一般管理費]]が見出せないことであり、つまりは発注者側で施工管理する直営方式であったことがわかる。



総括すると公園工事発注のための今日と同様な設計・積算方式が、この時期に生まれたと見る事ができる

総括すると公園工事発注のための今日と同様な設計・積算方式が、この時期に生まれたと見る事ができる




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新規営造の日比谷公園、明治神宮外苑、帝都復興大公園などの大工事の公共調達の詳細が見出せないが、昭和10年(1935)の東京村山貯水池周辺の桜植栽工事において直営工事により材料は入札購人、労力は人夫出しで植木職甲、乙及び人夫の別を調達していることから、直轄・直営方法が基本的に続いていたとみられる。

新規営造の[[日比谷公園]][[明治神宮外苑]][[震災復興公園|帝都復興大公園]]などの大工事の公共調達の詳細が見出せないが、昭和10年(1935)の東京[[村山貯水池]]周辺の桜植栽工事において直営工事により材料は入札購人、労力は[[人夫出し]]で植木職甲、乙及び人夫の別を調達していることから、直轄・直営方法が基本的に続いていたとみられる。



昭和40年代からは国営公園整備がはじまったこともあり、建設省が指導的役割によりまた住宅公団の全国的な広がりで執行された造園工事が設計、積算、契約図書、監督、検査、及び品質保持の一連の整ったシステムのもとで展開され、これが造園積算のあるべき水準を明確に示し向上の先駆となった。


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造園業務は土木方式の[[実施設計]]及び積算手法で進められているので、コンサルタントやランドスケープ業に従事の民間の技術者は発注者側・官側の[[下請]]の構図が存在している。民間のコンサルタントやランドスケープ・アーキテクトに対し、全ての実施設計条件を基本設計方針に従い説明を行い、いざ実施設計開始以降は必要なこと以外は全て任せる方がベターで、コンサルタント側の担当技術者だけでは、技量の面で物足らない場合など、これはどんなに素晴らしいランドスケープ・アーキテクトでも、技量不足の部分が必ずあるのであるとし、コンサルタント側の担当技術者はその方を取り巻くいろいろな設計技術者がおり例えば、上司・所長及び外部の専門家人脈なるものから派生して出てくる思想・理念・哲学・技術・技量等を駆使して、対応する<ref>高橋一輔、「[https://doi.org/10.5632/jila.58.131 造園建設業の特質とその背景]」『ランドスケープ研究』 1994年 58巻 2号 p.131-136, {{doi|10.5632/jila.58.131}}</ref>。

造園業務は土木方式の[[実施設計]]及び積算手法で進められているので、コンサルタントやランドスケープ業に従事の民間の技術者は発注者側・官側の[[下請]]の構図が存在している。民間の[[ランドスケープコンサルタント]][[ランドスケープ・アーキテクト]]に対し、全ての[[実施設計]]条件を[[基本設計]]方針に従い説明を行い、いざ実施設計開始以降は必要なこと以外は全て任せる方がベターで、コンサルタント側の担当技術者だけでは、技量の面で物足らない場合など、これはどんなに素晴らしいランドスケープ・アーキテクトでも、技量不足の部分が必ずあるのであるとし、コンサルタント側の担当技術者はその方を取り巻くいろいろな設計技術者がおり例えば、上司・所長及び外部の専門家人脈なるものから派生して出てくる思想・理念・哲学・技術・技量等を駆使して、対応する<ref>高橋一輔、「[https://doi.org/10.5632/jila.58.131 造園建設業の特質とその背景]」『ランドスケープ研究』 1994年 58巻 2号 p.131-136, {{doi|10.5632/jila.58.131}}</ref>。



=== 積算の重要性 ===

=== 積算の重要性 ===

積算教育の大切さを切々と説いているのは[[大倉喜八郎]]で、明治26年の講演において、「学校出身の人たちは、なかなか良くやりまして働くのも我慢強い。また精神においてすべきことはありますが、ただ如何せん、その[[ソロバン]]上の事となりますと甚だ失礼なことながら、未熟と申さなくてはならぬと考えます。一体この世の中に処しますには正当なるということが眼目である。それは積算・ソロバンに詳しくなければならぬ。ソロバンというものは、私は土木建築上もっとも心要なものであると考える。しかしに学校出身の人たちに私が接しますに、技術の事に熱心しまして学士の名誉という方に概して金銭の勘定をものの数ともしないという頃きがどうも御座います。私が望みますのは、どうかこれを学校の科目にできることかできないことか知らぬが、ソロバンと積算上の事は大分大切に教えて銭勘定をいやしめないようにしてもらいたいとまで、自分は考えています」とし、また「入札者の身になれば、第一に価格は最低であることを要し、第二に損失のなしにとを要する。最低にして損失なしは、二つの矛盾した両点から歩み寄った一点のようなものであり、僅かな粗漏も許されない血の出るようなソロバンを立てる」と、これは一時、[[清水組]]に席を置いた[[佐野利器]]の論稿がある。(“請負業に関係しての所感”「建築世界」第244号、1930年)

積算教育の大切さを切々と説いているのは[[大倉喜八郎]]で、明治26年の講演において、「学校出身の人たちは、なかなか良くやりまして働くのも我慢強い。また精神においてすべきことはありますが、ただ如何せん、その[[ソロバン]]上の事となりますと甚だ失礼なことながら、未熟と申さなくてはならぬと考えます。一体この世の中に処しますには正当なるということが眼目である。それは積算・ソロバンに詳しくなければならぬ。ソロバンというものは、私は土木建築上もっとも心要なものであると考える。しかしに学校出身の人たちに私が接しますに、技術の事に熱心しまして学士の名誉という方に概して金銭の勘定をものの数ともしないという頃きがどうも御座います。私が望みますのは、どうかこれを学校の科目にできることかできないことか知らぬが、ソロバンと積算上の事は大分大切に教えて銭勘定をいやしめないようにしてもらいたいとまで、自分は考えています」とし、また「入札者の身になれば、第一に価格は最低であることを要し、第二に損失のなしにとを要する。最低にして損失なしは、二つの矛盾した両点から歩み寄った一点のようなものであり、僅かな粗漏も許されない血の出るようなソロバンを立てる」と、これは一時、[[清水組]]に席を置いた[[佐野利器]]の論稿がある。(“請負業に関係しての所感”「建築世界」第244号、1930年)



=== 積算が必要な理由 ===

==== 積算が必要な理由 ====

{{出典の明記| date = 2023年4月| section = 1}}

店頭などで売られている[[商品]]には「[[定価]]」「[[売価]]」などの[[価格|値段]]がついている。この値段とは、その商品を作って売るまでに要した費用([[原価]]、[[コスト]]などという。[[製造]]費、[[運搬]]費、[[保管]]費、[[広告]]費など)に、[[製造]]者や[[販売]]者が受け取る[[利益]]を上乗せして設定しているものである。

店頭などで売られている[[商品]]には「[[定価]]」「[[売価]]」などの[[価格|値段]]がついている。この値段とは、その商品を作って売るまでに要した費用([[原価]]、[[コスト]]などという。[[製造]]費、[[運搬]]費、[[保管]]費、[[広告]]費など)に、[[製造]]者や[[販売]]者が受け取る[[利益]]を上乗せして設定しているものである。



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[[]][[]]2235[[|]][[]][[]][[]][[]] (1947)使調

[[]][[]]2235[[|]][[]][[]][[]][[]]1947使調

== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

* [[建設費算出・積算に関する用語集]]

* [[建設費算出・積算に関する用語集]]

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== 脚注 ==

== 脚注 ==

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=== 注釈 ===

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=== 出典 ===

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積算が必要な理由[編集]








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関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ estimationは、日本語の積算つまり「積み上げ」の意味はない。このため、「海外へも随分勉強 に行かせていただきましたが、ヨーロッパでは積 算という言葉がまったく通用せず、積み上げをやっていたのは韓国と台湾でした。」経済調査研究レビュー 2007年9月 経済調査会経済調査研究所

出典[編集]



(一)^ abc1994

(二)^ F4 2011671 p.63-73, doi:10.2208/jscejcm.67.63

(三)^   4156 2017

(四)^ TT (PDF) 

(五)^ 475198331-36doi:10.5632/jila1934.47.5_31ISSN 0387-7248NAID 110004662104 

(六)^  1994582 p.131-136, doi:10.5632/jila.58.131