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[[1877年]][[5月13日]]、[[岡山県]][[浅口郡]][[連島町|大江連島村]](現在の[[倉敷市]]連島町連島字大江)に、父・篤太郎、母・里津の長男として生まれた。父は村役場の書記で、[[俳諧]]を嗜んでいた。玉島高等小学校を経て、岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。現在の[[岡山県立岡山朝日高等学校|県立岡山朝日高校]])を中退<ref>『泣菫小伝一』薄田泣菫顕彰会 発行, 2002年5月1日, p.8</ref>。

[[1877年]][[5月13日]]、[[岡山県]][[浅口郡]][[連島町|大江連島村]](現在の[[倉敷市]]連島町連島字大江)に、父・篤太郎、母・里津の長男として生まれた。父は村役場の書記で、[[俳諧]]を嗜んでいた。玉島高等小学校を経て、岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。現在の[[岡山県立岡山朝日高等学校|県立岡山朝日高校]])を中退<ref>『泣菫小伝一』薄田泣菫顕彰会 発行, 2002年5月1日, p.8</ref>。



1894年上京し、[[上野]]書籍館に通いながら漢学塾[[二松學舍]](現在の[[二松學舍大学]])で学ぶ<ref>『泣菫小伝七』薄田泣菫顕彰会発行, 2008年7月, pp.36-37</ref>。

1894年上京し、[[上野]]書籍館に通いながら漢学塾[[二松學舍]](現在の[[二松學舍大学]])で学ぶ<ref>『泣菫小伝七』薄田泣菫顕彰会発行2008年7月pp.36-37</ref>。




[[1897]]稿[[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[]][[]]

[[1897年]]、帰郷すると、いくつか詩を作り『新著月刊』に投稿、[[後藤宙外]]、[[島村抱月]]らに絶賛され掲載された。翌年第一詩集『暮笛集』を刊行、『小天地』を編集しながら『[[明星 (文芸誌)|明星]]』などに詩を載せ、『ゆく春』『白羊宮』など、古語や漢語を多用した詩風で、[[蒲原有明]]とともに泣菫・有明時代を築き、[[島崎藤村]]、[[土井晩翠]]後の明治後期の詩壇を背負って立った。



[[明治]]の終わりごろから一時小説に興味を移したが、結局随筆に転じ、詩作を離れた。[[国民新聞社]]、[[帝国新聞社]]に勤めた後、[[大阪毎日新聞社]]に勤め、[[1915年]]、『[[茶話]]』の連載開始。これは「茶を飲みながら喋る気楽な世間話」と言う意味で、古今東西の噂話、失敗談、面白おかしい話を幅広く紹介している。『[[大阪毎日新聞]]』、『[[東京日日新聞]]』、『[[サンデー毎日]]』、『[[苦楽]]』、『[[文藝春秋_(雑誌)|文藝春秋]]』他に執筆され、異本が多い。

[[明治]]の終わりごろから一時小説に興味を移したが、結局随筆に転じ、詩作を離れた。[[国民新聞社]]、[[帝国新聞社]]に勤めた後、[[大阪毎日新聞社]]に勤め、[[1915年]]、『[[茶話]]』の連載開始。これは「茶を飲みながら喋る気楽な世間話」と言う意味で、古今東西の噂話、失敗談、面白おかしい話を幅広く紹介している。『[[大阪毎日新聞]]』、『[[東京日日新聞]]』、『[[サンデー毎日]]』、『[[苦楽]]』、『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』他に執筆され、異本が多い。



[[1917年]]、[[パーキンソン病]]に罹患。

[[1917年]]、[[パーキンソン病]]に罹患。


2018年11月24日 (土) 08:47時点における版


  187710519 - 194520109


薄田 泣菫
誕生 薄田 淳介
1877年5月19日
岡山県浅口郡大江連島村
死没 (1945-10-09) 1945年10月9日(68歳没)
日本の旗 日本 岡山県
職業 詩人随筆家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 岡山県尋常中学校中退
代表作 『暮笛集』(1899年)
『二十五絃』(1905年)
白羊宮』(1906年)
茶話』(1915-30年)
艸木虫魚』(1929年)
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テンプレートを表示

生涯


1877513退[1]

1894[2]

1897稿

1915西

1917

1919西

1923

1945104109尿68[3]




189911

190110

19055

19056

19065

192819831999


19148

191610

19184

19196

19244

192612

19275

192911940

19296

193110

19344 

19433



81938391984




1993

 152007




 3西1983-84811

19981541928

1998

2009

  1. ^ 『泣菫小伝一』薄田泣菫顕彰会 発行, 2002年5月1日, p.8
  2. ^ 『泣菫小伝七』薄田泣菫顕彰会発行、2008年7月、pp.36-37
  3. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)122頁

参考文献

  • 松村緑『薄田泣菫考』(研究選書・教育出版センター、1977年)
  • 野田宇太郎『公孫樹下にたちて 薄田泣菫評伝』(永田書房、1981年)
  • 松浦澄惠『薄田泣菫 詩の創造と思索の跡』(アーツアンドクラフツ、2007年)

関連項目

外部リンク