國民新聞

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國民新聞
国民新聞本社(1942年)
種類 日刊紙

事業者 (國民新聞社→)
株式会社國民新聞社
本社 (東京府東京市京橋区日吉町4番地→)
(東京府東京市京橋区加賀町→)
東京府東京市京橋区銀座西7-2
創刊 1890年明治23年)2月1日
廃刊 1942年昭和17年)9月30日
(以降、都新聞と合同し東京新聞となる)
言語 日本語
関係する人物 徳富蘇峰
大石光之助
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189023

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1890

189023211

退

政府の御用新聞から在京大手紙へ[編集]

日露戦争終結時には世論に対して講和賛成を唱えたため、1905年(明治38年)9月5日には講和反対を叫ぶ暴徒の襲撃に遭う(日比谷焼打事件)。


1907409

1913221131

192413821

一方でこの頃、後に静岡新聞社創業者となる大石光之助が入社した。

昭和初期の経営混乱を克服[編集]


1926155西1929415退1931610

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プロ野球大東京軍[編集]

1936年(昭和11年)、親会社の新愛知新聞社が現在の中日ドラゴンズの源流となる名古屋軍(大日本野球連盟名古屋協会)を結成して職業野球に進出したのに呼応し、国民新聞も大東京軍(大日本野球連盟東京協会)を結成した。この際に主幹の田中斉が両球団の専務に就いたが、同系列の名古屋軍で副会長に就任した新愛知支配人の大島一郎が大東京軍の監査役に就任したのを始め、國民新聞に出向していた大島一衛(戦後に東京新聞社理事・営業局長)および新愛知社外から名古屋軍会長に迎えられた弁護士大野正直が大東京軍の取締役に就くなど2球団の役職を掛け持ちする者が多く、連盟の運営会議では新愛知の競合紙であった名古屋新聞を親会社とする名古屋金鯱軍マネージャーの赤嶺昌志からこの体制を問題視する意見が出された[1][注 1]


退21DeNA1

その他の「國民新聞」[編集]




195833[2]196641[ 2]197247197223 [3]

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 - 2

 - 19283194217

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西 - 

 - 1928NHKNHK G

 - 1905389

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 - 191144

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 - 18965

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 - 41

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 - 190336

 - 189124190033

 - 19148

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 - 1893262

 - 1898311902退使TBS

 - 1930

 - 西3

 - 

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9-6172516742531988ISBN 4820507036

10-6752547522561988ISBN 4820507044

11-7532578302591988ISBN 4820507052

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1992ISBN 4-642-03631-8

 2015 ISBN 978-4-309-27574-1

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注釈[編集]



(一)^ 西

(二)^ 19664112()101/1991

出典[編集]

  1. ^ 山際(2005), pp42-43
  2. ^ 全国新聞総合目録データベースによる。
  3. ^ 日本国民党の新聞「しんぶん国民」」『日本国民党』。2018年4月29日閲覧。

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 - 姿






DeNA - 




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(1890)  

(1958) 

(1966)