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かぼちゃ屋︵かぼちゃや︶は古典落語の演目の一つ。別題は﹁唐茄子屋[1]﹂。原話は、安楽庵策伝が元和2年に出版した﹃醒睡笑﹄第五巻の﹁人はそだち﹂。
元々は﹁みかん屋﹂という上方落語の演目で、大正初年に4代目柳家小さんが東京に持ち込んだ[2]。主な演者として、5代目柳家小さんや7代目立川談志などがいる。
上方では﹁みかん屋﹂の題で2代目桂ざこば一門が多く演じる。ざこばは6代目笑福亭松鶴から直接教わった。
あらすじ[編集]
二十歳になっても仕事をせず、ぶらぶらと遊んでいる与太郎。﹁頭に霧がかかった﹂奴で、何をやらせてもかえって事をおかしくしてしまうため、面倒を見ている佐兵衛叔父さんは常にハラハラさせられている。
﹁二十歳になってもぶらぶらと遊んでいるんだって? お前のお袋がな、﹃何か商売を覚えさせてくれ﹄と言ってたが、何かやるか?﹂
﹁いいよ、そんなの﹂
﹁いい訳があるか。だいたい、遊んでちゃ飯が食われないぞ。なんで飯を食うか知ってるか?﹂
﹁箸と茶碗﹂
﹁そうじゃないよ…﹂
﹁あ、ライスカレーはシャジで食う﹂
ひっくり返りそうになった叔父さんだが、何とか気を取り直して﹁かぼちゃ﹂を売ってはどうかと持ちかけた。
﹁元値が大きい方が十三銭、小さい方が十二銭だ。勘定しやすいように、大小十個ずつ籠に入っている。これは元値だから、よく上を見て︵掛け値をして︶売れよ!﹂
と、よく言い聞かせて送りだした。
﹁暑い…暑い…﹂
文句を言いながらも、何処かの路地裏に通りかかった与太郎。いきなり﹁かぼちゃあ﹂と大声を張り上げたので、そこにいた男は目を白黒。
﹁かぼちゃ屋か。かぼちゃは︽唐茄子︾っても言うから、﹃唐茄子屋でござい﹄と言った方が良いぞ﹂
﹁フーン。﹃唐茄子屋でござい﹄ッ!さあ、買え。﹂
﹁俺は銭湯に行くんだ。銭湯にかぼちゃを持っていって如何するんだ﹂
﹁湯に浮かべておくんだ。一緒に湯につかっていると、どちらがカボチャかわからない﹂
﹁張り倒すぞ!!﹂
たたき出されてしまった。しばらく歩いていると、また何処かの路地裏に通りかかった。また﹁かぼちゃあ﹂と大声を張り上げていると、今度は親切そうな男が声をかけてくる。
﹁唐茄子か。大二つくれ。三十銭で釣りはあるか?﹂
﹁釣りはねえから、三十銭にまけとかあ﹂
﹁上にまける︵値上げする︶なよ…﹂
見かねた男は、相長屋の衆に売りさばいてくれた。しかし、当の与太郎は﹁上を見て﹂の意味がわからないから、元値を告げて文字通り平和に空を見上げている。
﹁売り切れたぞ! 安いからなぁ…﹂
﹁フーン﹂
﹁﹃フーン﹄? ありがとうございますとか何とか言え﹂
﹁どういたしまして﹂
がっくりと来るお客を残し、与太郎は意気揚々とご帰還。
待っていた叔父さんは、ようすを聞いて
﹁︽上をみろ︾って言われて、何もしないで空を見上げていた? 道理で元値しかないわけだ﹂
そんなことじゃ女房子が養えないから、もう一度行ってこいと与太郎を送り出す。
元のところへ戻ってきて、さっきのおじさんに﹁大将、唐茄子買って!﹂
﹁唐茄子ばっかり食えるかよ。まぁ、まあ安いからいいか。十二銭のをまた三つ﹂
﹁今度は十三銭だよ﹂
﹁急に値上がりしたなぁ…﹂
さっきは﹃上を見ろ﹄(掛け値)の意味を知らなかったと聞き
﹁おめでたい奴だなぁ…。お前、いくつだ?﹂
﹁えーと、六十!﹂
﹁六十!? 如何見たって二十歳ぐらいだぞ?﹂
﹁元は二十で、四十は掛け値だ﹂
﹁歳に掛け値する奴があるか﹂
﹁掛け値しないと、︽女房子が養えない︾﹂
唐茄子[編集]
かぼちゃを小型化し、甘味を強くした改良品種。明和年間から出回りはじめた。
﹁かぼちゃ︵唐茄子︶野郎﹂といえば、﹁安っぽい間抜け﹂の意味になるため、最初の路地裏で男が怒ったのも無理は無い。
- ^ 「唐茄子屋政談」と混同されるのを避けるため、ほとんど使われていない。
- ^ これにはあるエピソードがあり、詳しいことはこちら[1]を参照。