イングリア
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イングリア︵Ingria︶は、ネヴァ川流域の、フィンランド湾、ナルヴァ川、ペイプシ湖、ラドガ湖に囲まれた地域の歴史的名称。スウェーデン語でインゲルマンランド︵Ingermanland︶、エスト語でインゲリ︵Ingeri︶、フィンランド語でインケリ︵Inkeri︶、ロシア語でイジョラ︵Ижора︶またはインゲルマンランディヤ︵Ингерманландия︶と呼ばれる。現在のサンクトペテルブルクを中心とした地域である。
概要[編集]
イングリアは、元々フィン・ウゴル族︵フィン・ウゴル語派︶の居住する地勢であった。当初はイジョラ人︵イゾリア人、イングリア人、Izhorians︶やヴォート人が、後にはイングリア・フィン人やエストニア人が進出した。しかしスラヴ人︵東スラヴ人︶の北進によって、次第にロシア化された。ヴァイキング︵ノルマン人︶の侵攻によってノヴゴロド公国が成立し、公国領に編入される。後に北方十字軍によるスウェーデン人の侵攻によってイングリアは争奪地となった。 この地域は、ロシア側から見ると﹁バルト海への出口﹂、﹁西欧への窓﹂として重要な交易地であった。17世紀初頭のストルボヴァの和約によってスウェーデン領となり、17世紀を通じてバルト帝国を形成したが、18世紀の大北方戦争によってモスクワ国家︵ロシア帝国︶領となり、サンクトペテルブルクが建設された。イングリア全体は、1721年のニスタット条約によってロシア領と確定し、以後はロシア領として今日に至る。 十月革命期には短命ながらイングリア・フィン人による北イングリア共和国が成立し、フィンランドへの合流を模索していた。現在はロシア連邦レニングラード州に属している。イングリア語を話すイゾリア人︵イングリア人︶がわずかながら住むほか、ルーテル派を信仰するイングリア・フィン人は数万を超える。ソビエト連邦の崩壊後は、イングリア・フィン人の中から大勢フィンランドに移民するものが出ている。脚注[編集]
- ^ Based on Räikkönen, Erkki. Heimokirja. Helsinki: Otava, 1924.