オテル・デ・ザンヴァリッド
オテル・デ・ザンヴァリッド (仏: L'hôtel des Invalides) | |
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アンヴァリッドの外観 | |
情報 | |
構造形式 | バロック建築 |
所在地 | フランス・パリ7区 |
座標 | 北緯48度51分18秒 東経2度18分45秒 / 北緯48.85500度 東経2.31250度仏: L'hôtel des Invalides))座標: 北緯48度51分18秒 東経2度18分45秒 / 北緯48.85500度 東経2.31250度仏: L'hôtel des Invalides)) |
オテル・デ・ザンヴァリッド︵オテル・デザンヴァリッドとも表記[1]。1680~1735年。仏: L'hôtel des Invalides︶、通称アンヴァリッド︵仏: Les Invalides︶は、パリにある旧・軍病院。廃兵院もしくは癈兵院とも書く。
2024年パリオリンピックではアーチェリー会場及びマラソンのゴール地点、自転車ロードレースのスタート地点としても使用される。
概要[編集]
1671年にルイ14世が傷病兵を看護する施設として計画し、リベラル・ブリュアン[2] が設計の指揮をとり1674年に最初の傷病兵たちが入った。 建築史上有名なのは附属する礼拝堂の建築である。教会︵大聖堂︶は、"聖ルイ"と称えられるルイ9世の遺体安置のために建設された。教会の建設は1677年に始まり、後に兵士の教会とドーム教会に分かれ、ブリュアンの弟子ジュール・アルドゥアン=マンサールのもとで1706年に完成した。 オルレアン朝︵1830-1848年︶時代、ルイ・フィリップ国王により、ドーム教会に地下墓所が設けられ、ナポレオン・ボナパルト︵フランス皇帝ナポレオン1世︶の柩が中央に置かれた[3]。また、それを囲むようにして、ナポレオンの親族やフランスの著名な将軍の廟が置かれている。 21世紀当初において、100人ほどの戦傷病兵や傷痍軍人が暮らしている。一部はフランス軍事博物館として公開されている。アンヴァリッドに廟が置かれている著名人[編集]
- ルイ14世関係者
- フランス革命関係者
- ルージェ・ド・リール (1760 - 1836) - フランスの国歌ラ・マルセイエーズの作者
- ナポレオン関係者
- ナポレオン・ボナパルト (1769 - 1821)
- ナポレオン2世 (1811 - 1832) - ナポレオンの長男
- ジョゼフ・ボナパルト (1768 - 1844) - ナポレオンの兄
- ジェローム・ボナパルト (1784 - 1860) - ナポレオンの末弟
- アンリ・ガティアン・ベルトラン (1773 - 1844) - ナポレオンの最側近の軍人
- ジャン=バティスト・ジュールダン(1762 - 1833) - 革命戦争期に活躍した帝国元帥
- 近現代以降
- フォッシュ (1851 - 1929) - 第一次大戦時の将軍
- フィリップ・ルクレール (1902 - 1947) - 第二次大戦時の将軍
施設[編集]
- 開園時間
- 博物館は毎日午前 10 時から午後 6 時まで開館している。[4]
見取り図[編集]
ドーム教会
サン=ルイ教会
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国立アンヴァリッド研究所
パリ軍事事務所
フランス解放勲章記録保管所
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ギャラリー[編集]
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ナポレオンの棺
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アンヴァリッド全景
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アンヴァリッド全景
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アレクサンドル3世橋から見たアンヴァリッド
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アンヴァリッド正面
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中庭(La cour d'honneur)
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中庭の夜景
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アンヴァリッドの聖ルイ教会(サン=ルイ教会)。隣接するナポレオンの棺の場所と併せて"ドーム教会"と呼ばれる。