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クォン・デ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
彊㭽
Cường Để
阮氏

日本での彊㭽(左)と潘佩珠(1907年頃)


全名 阮福彊㭽
Nguyễn Phúc Cường Để
称号 畿外侯
出生 嗣徳35年1月11日 (1882-02-28) 1882年2月28日
大南順化
死去 (1951-04-06) 1951年4月6日(69歳没)
日本の旗 日本東京都文京区日本医科大学付属病院
埋葬 1964年(改葬)
ベトナム共和国フエ市トゥイアン社グータイ邑
配偶者 黎氏珍
子女 阮福壮烈、阮福壮炬、尊女氏好
父親 阮福英濡
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Cưng Đ / 1915[1]

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[2] Nguyn Phúc Dân / [2]161904[3]171905[3]181906[4]

1909[5]31909103091915[6]宿[7]151940[8]

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195126466919541957112
クォン・デが合葬された陳東風の墓
クォン・デ
各種表記
漢字チュノム 彊㭽
北部発音: クォン・デ
日本語読み: きょうてい
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家族[編集]

美貌で知られた妻のレ・ティ・チャン(ベトナム語Lê Thị Trân / 黎氏珍、1883-1956)との間に男子2人がいたが、大南を発って以来二度と会えなかった[7][10]。保大15年(1940年)、晩年に同居していた家政婦の安藤ちゑと共に台湾の友人を訪ねた際に友人家族と撮った写真が「クォン・デが日本で作った家族」としてベトナムで流布し、ちゑが面倒を見ていた甥の成行がクォン・デとちゑの子と誤解され、ベトナム人民を落胆させた[11]

出典[編集]

  1. ^ 『日露戦争が変えた世界史: 「サムライ」日本の一世紀』平間洋一、芙蓉書房出版, 2004、p214
  2. ^ a b 高見 2008, p. 142
  3. ^ a b 高見 2008, p. 143
  4. ^ 高見 2008, p. 144
  5. ^ 高見 2008, p. 145
  6. ^ 平間 2004, pp. 214–216
  7. ^ a b 高山正之. “ザーロン皇帝の末裔クオンデ40年の亡命生活と日本”. ベトナムフエ観光局. 植民地の日々. 2021年6月15日閲覧。
  8. ^ 日本で近代化学んだ東遊運動」『日本経済新聞』、2017年2月22日、朝刊。
  9. ^ 森 2003, pp. 218–227
  10. ^ 高見 2008, p. 146
  11. ^ 森 2003, p. [要ページ番号]

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 - 2003 

: 2004 

: 2008430ISBN 978-4860691981 

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1955ASIN B000JB5CKI 

1995 

:2012 

: 2012