ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー
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ロシャンボー伯爵ジャン=バティスト・ドナティエン・ド・ヴィムール︵フランス語: Jean-Baptiste Donatien de Vimeur, comte de Rochambeau, 1725年7月1日 – 1807年5月10日︶は、フランスの伯爵、フランス軍の元帥である。アメリカ独立戦争の最後の局面でフランス軍を率い、イギリス軍を降伏させる重要な役割を演じた。
コーンウォリス卿の降伏︵ジョン・トランブル︶
茶色の馬に乗って中央の左側にいるロシャンボー
ロシャンボーの行動は賞賛された[1]。ロシャンボーは完全にワシントンの指揮下に入り、彼の部隊は大陸軍の一部となった[1]。ロシャンボーの貢献を認めた連合会議は、ロシャンボーとその部隊への感謝の印に、イギリス軍から捕獲した大砲を2門贈った[1]。ロシャンボーは大砲をヴァンドームに持ち帰ったが、1792年に時の政府に没収された[1]。
ロシャンボー、ワシントン、フランソワ・ド・グラスを描いた、ヨーク タウン戦勝150周年を記念して1931年にアメリカで発行された切手。
ワシントンD.C.にあるロシャンボーの銅像
1902年5月24日、ワシントンD.C.のラファイエット広場で、時のアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトにより、ロシャンボーの銅像が除幕された[1]。これはフランスからアメリカに贈られたものである[1]。除幕式は2つの国の友好関係を大きく表す機会となった[1]。フランスからは、大使のジュール・カンボン、フルニエ提督、アンリ・ブルジェール将軍、および戦艦ゴーロワ︵Gaulois︶から分遣された水兵と海兵隊が出席した。ロシャンボーとラファイエットの子孫達も出席した[1]。ロシャンボーを祝う祭りがパリでも同時に開催された[1]。
ロシャンボーに因んで名付けられたものには下記のものがある。
●コネチカット州サウスベリーのロシャンボー中等学校はロシャンボーに因んで名付けられた。
●州間高速道路84号線およびアメリカ合衆国高速道路6号線でサウスベリーとニュートンを結ぶロシャンボー橋もロシャンボーに因んで名付けられた。ロシャンボー軍が行軍した所である。
●メリーランド州ベセスダのフランス語国際学校もロシャンボーに因んで名付けられた。
●ワシントンD.C.ポトマック川に架かる橋もロシャンボーに因んで﹁ロシャンボー橋﹂と名付けられていた。この橋は、1982年のエア・フロリダ90便墜落事故の事故現場となり、この事故で自らを犠牲にして他の負傷者を助けた乗客にちなんで"アーランド・D・ウィリアムズ Jr.記念橋"(Arland D. Williams Jr. Memorial Bridge)と改称された。
●バージニア州ヨークタウン戦場跡に程近いウィリアムズバーグにはロシャンボー通りがある。
●ロードアイランド州プロビデンス、マサチューセッツ州ニューベッドフォードおよびニューヨーク市ブロンクス区にはロシャンボー大通りがある。
●第二次世界大戦中のアメリカ海軍輸送船ロシャンボー︵USS Rochambeau (AP-63)︶はロシャンボー伯爵に因んで名付けられた。