ジョン・ローブリング
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(ジョン・オーグスタス・ローブリングから転送)
ジョン・オーガストス・ローブリング︵John Augustus Roebling、出生時はドイツ語表記でJohann August Röbling、発音ではヨーハン・アウグスト・レーブリング。1806年6月12日-1869年7月22日︶は、ドイツ東部のテューリンゲン州ミュールハウゼン・イン・テューリンゲン︵Mühlhausen/Thüringen︶生まれの土木技術者である。吊り橋に使用するワイヤの開発やアメリカ合衆国のブルックリン橋の設計で知られる。
サクソンバーグのローブリングの家。ブルックリン橋のレプリカと隣接 している。
1841年、サクソンバーグの仕事場でワイヤを開発した。そのころ、フィラデルフィアからピッツバーグに向かう運河の船は、台車に乗せられてアレゲーニー山脈を越え、反対側の水路まで運ばれていた。その一連の作業をするのはアレゲニー・ポーテージ鉄道というインクラインであった。そのインクラインでは、台車の牽引には9インチに束ねた麻のロープを使っており、たびたびロープの切断事故があった。
ローブリングはボートを引き上げる作業者を見ていたある日、その事故が起こり、ボートは山の下部まで落ちていった。彼はふとドイツの雑誌でワイヤロープについて載っていたことを思い出した。すぐにワイヤロープの開発に着手し、芯となるワイヤの回りに編み上げていくことでタイトに仕上げるという製造方法を開発した。
ローブリングはワイヤロープを大量生産するためにローブリング・アンド・サンズ・カンパニーをスタートさせた。このワイヤロープは、ローブリングが設計したすべての吊り橋で使用された。彼は学生時代から、吊り橋のアイディアに魅了され続けており、卒業論文もこれであった。
グレート・ウェスタン鉄道の広告より。右端に桁の二層構造が見える。 1876年。
四つの鉄道が使用したため、3方向に分岐している。
ローブリングの次なるプロジェクトは1851年にスタートした。ニューヨーク・セントラル鉄道︵NYC︶と、カナダのグレート・ウェスタン鉄道︵GW︶とを結ぶために、ナイアガラの滝に吊り橋形式のナイアガラの滝吊り橋︵Niagara Falls Suspension Bridge︶を架けるものであった。スパンは825フィート︵251.5メートル︶、メインケーブルは10インチ︵254ミリメートル︶のワイヤ4本。桁は二層構造で、上層を鉄道が、下層を人馬が使用した。
ナイアガラの滝吊り橋を建設中に、別の鉄道用吊り橋の建設も請け負った。ケンタッキー川を横切るもので、サザン鉄道がシンシナティからチャタヌーガとを結ぶためのものであった。要求されたスパンは1224フィート︵373.1メートル︶。アンカーブロックと石造の主塔は完成し、ワイヤケーブルも渡したが、その時点でサザン鉄道が倒産したため未完成に終わった。
シンシナティのオハイオ川にかかるジョン・A・ローブリング橋。
1858年、ローブリングはピッツバーグでアレゲニー川に架ける六番街橋に取りかかった。現在のロベルト・クレメンテ橋の位置にあったこの橋は、長さ1030フィート︵313.9メートル︶で、スパンを四つに分けた。中央の二つの桁のスパンはそれぞれ344フィート︵104.9メートル︶、その両側の桁のスパンは171フィート︵52.1メートル︶であった。[5]
南北戦争の勃発により、ローブリングの活動は停止を余儀なくされた。しかし、戦時中の1863年、シンシナティのオハイオ川に架かる橋の工事を再開。この橋は1856年からスタートしていたもので、資金難から工事が中断されていたものであったが1867年に竣工、シンシナティ・コビントン橋と称された。のちの ジョン・A・ローブリング橋︵John A. Roebling Suspension Bridge︶であり、今日なお供用されている。当時の世界最長の橋であり、その記録を塗り替えたのはローブリング自身が設計したブルックリン橋であった。