トリスを飲んでHawaiiへ行こう!
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トリスを飲んでHawaiiへ行こう!︵トリスをのんでハワイへいこう!︶は、寿屋︵現・サントリーホールディングス︶が1961年︵昭和36年︶より実施したキャンペーン。山口瞳が担当したキャッチコピーは、同年の流行語になった。
キャンペーン内容[編集]
キャンペーンは寿屋によって1961年9月に発表された[1]。1等賞品はハワイ旅行積立預金証書︵100名︶。このほかに残念賞現金15,000円︵400名︶、2等トリスウイスタン︵缶入りのハイボール[2]︶︵1,500,000名︶があった[3]。当時、海外旅行は自由化されていなかったため、1等賞品はハワイ旅行ではなく積立預金証書となっている。そのため、当選者は当選後に毎月一定金額が旅行資金として積み立てられ、海外旅行自由化実施後にハワイへ行くという手続きが取られた[4]。 キャンペーン期間中の9月11日から12月10日まで、寿屋のトリスウイスキー大瓶に2枚、ポケット瓶に1枚、抽選券が同封されていた[3][5]。当選番号は翌年1月に発表された。発表後、1等と残念賞は抽選券を寿屋に郵送することで賞品が手に入り、2等は酒売店で引き換えとなった[6]。 本キャッチコピーは、柳原良平のイラストと共に広告に使用された。新聞広告は1961年9月11日に掲載され[7]、レイを首にかけたアンクルトリスと、ハワイ各島の地図が描かれている[3]。またテレビCMでも、アロハシャツを着たアンクルトリスが登場する[8]。 1964年︵昭和39年︶4月に海外旅行が自由化され[9]、1等当選者は4月18日夜にハワイへと旅立った[10]。しかし、1等当選者の大半は商品を現金︵約40万円︶と引き換えることを選択したため、実際にハワイへ行ったのはわずか4人であった[4]。 サントリー︵1963年に寿屋から社名変更︶はこれ以後、1978年︵昭和53年︶と2004年︵平成16年︶にも同名のキャンペーンを展開し[11]、更に2024年︵令和6年︶には﹁トリスでハワイ!キャンペーン﹂に改題し同様のキャンペーン[1]を展開。また、2018年︵平成30年︶には同社のRTD系コーヒー飲料・紅茶飲料・ココア飲料・スープ飲料の各種ブランドである﹁BOSS﹂シリーズでもほぼ同様のキャンペーンを展開し、こちらは正真正銘当選者にハワイ旅行へ招待された。コピーの誕生[編集]
1961年当時、寿屋の宣伝部には山口瞳のほか、開高健、柳原良平らが在籍していた。イラストレーターの柳原は開高とアイディアを出し合い、トリスのキャラクターであるアンクルトリスを生み出した。また、1961年に開高の作ったコピー”﹁人間﹂らしくやりたいナ”は大きな評判を呼んだ[1]。この年の9月に寿屋は新たにハワイのキャンペーンを展開することになっていたが、この当時、開高は作家としての仕事などで多忙を極めており、会社に出ることも少なくなっていた。そのため、このキャンペーンのコピーは山口が担当することになった[1]。 山口が指示を受けたとき、すでに柳原によって絵とデザインは完成していた[12]。山口は、なんとかして読者の心に残る広告を作ろうと、﹁机の下にもぐりこんだり、暗室で寝ころがったり[12]﹂しながら考え、コピーを作り上げた。山口は、このコピーの表記は﹁トリスを/飲んで/Hawaiiへ/行こう!﹂であらねばならぬとして、これを﹁トリスをのんでハワイへいこう﹂などと書かれると泣きたくなると述べている[12]。評価[編集]
当時の評判[編集]
本コピーは評判となり、1961年の流行語にもなった[13]。そのため、本作は山口瞳の広告コピーの出世作ともいわれる[7]。山口は、同年9月に小説﹃江分利満氏の優雅な生活﹄が雑誌に発表されることになっていたため、広告が失敗したら会社を辞めるしかないと考えていた。そのため、この成功は山口を安心させた[14]。論評[編集]
1961年の日本は高度経済成長期にあり、レジャーブームが起こった年であった。レジャーという言葉は流行語になり、日本航空の国内線の年間乗客数は初めて100万人を超えた[15]。一方、海外旅行については、1950年代から芸能人らによってハワイが紹介されることがあった[16]ものの、当時はまだ海外旅行の自由化もなされておらず、費用も高額で、庶民にとっては夢のような話であった[4][8]。その時代にあって本コピーは、人々にハワイ旅行という夢を提示することで、当時の日本人に大きなインパクトを与えた[17]。広告は時代を映す鏡といわれるが、以上のことから、本広告はむしろ時代を先取りし、引っ張ってゆくものであったと論じられることがある[18][19]。なお、同じ1961年には映画﹁ブルーハワイ﹂が日本公開され[20]、1963年には加山雄三主演の﹁ハワイの若大将﹂、森繁久彌主演の﹁社長外遊記﹂﹁続・社長外遊記﹂といった、ハワイを舞台にした映画が公開された[9]。さらに1963年には10問連続で正解するとハワイへ行けるテレビ番組﹁アップダウンクイズ﹂︵毎日放送制作・NET(現・テレビ朝日)系列[21]︶の放送が始まるなど、海外旅行自由化を前にハワイブームが巻き起こるようになる[22]。 キャッチコピーとしては、トリスという庶民向けの日常的な酒と、ハワイという非日常的な憧れの単語を組み合わせることで、見る人に衝撃を与え、様々な想像をかきたたせたという論評がなされている[5]。また、トリスを﹁買って﹂ではなく﹁飲んで﹂としたところも大きな特徴といわれている[4]。さらに、ハワイを﹁Hawaii﹂と表記したところも特筆される[14]。天野祐吉はこのコピーを見て、﹁Hawaiiはiが2つだったのか﹂と、﹁新鮮なおどろきを感じた﹂と述べている[23]。 坪松博之は、本コピーは山口瞳の特徴である﹁語りかけ﹂が見られると指摘している。そして、この特徴は山口が書いた他のコピーと共通しており、後に手掛けた新成人・新社会人向け新聞広告にもつながるものだと論じている[24]。 当時寿屋の社長だった佐治敬三は、1994年、山口との対談において、本コピーについて﹁端的であって、夢がある。ごっついコピーやったな、あれは﹂と振り返っている[25]。脚注[編集]
(一)^ abc中野(2005) p.222
(二)^ “品質をささえる﹁匠﹂たち”. Suntory. 2017年3月8日閲覧。
(三)^ abc﹃トリス広告25年史﹄(1975) p.118
(四)^ abcd深川・相沢・伊藤(2005) pp.261-262
(五)^ ab山本・山田(2013) p.326
(六)^ 朝日新聞1962年1月6日朝刊11版9面掲載の寿屋広告
(七)^ ab岡田(2016) p.445
(八)^ ab日本雑誌広告賞50年史編纂委員会編(2008) p.24
(九)^ ab山本・山田(2013) p.324
(十)^ ﹃トリス広告25年史﹄(1975) p.119
(11)^ サントリー. “﹁トリスを飲んでハワイへ行こう!﹂キャンペーン―復活した懐かしのキャンペーンでハワイ旅行やアンクルトリスのオリジナルグッズが合計1,400名様にあたる―”. 2015年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月10日閲覧。
(12)^ abc山口(1979) p.50
(13)^ ﹃流行語100年﹄(2011) p.119
(14)^ ab中野(2005) p.223
(15)^ ﹃流行語100年﹄(2011) pp.119-120
(16)^ 山本・山田(2013) p.324-325
(17)^ ﹁広告批評﹂(2008) p.16
(18)^ 北(2015) pp.297-298
(19)^ 山本(1976) p.151
(20)^ トラベルビジョン (2009年1月22日). “日本人の海外旅行時代の幕開け-ハワイの歴史︵4︶”. 2017年3月5日閲覧。
(21)^ その後、1975年3月31日よりテレビのキー局をNETからTBSに変更され、テレビネットワークのいわゆる“腸捻転”︵ネットチェンジ︶が解消された。
(22)^ 山本・山田(2013) pp.326-327
(23)^ 天野(1977) p.144
(24)^ 坪松(2014) pp.225-232
(25)^ 山口(2009) p.320