ポジーリャ
(ポドリアから転送)
ポジーリャ | ||
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ポジーリャの紋章。 | ||
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ポジーリャの地図(20世紀)。
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カームヤネツィ城。 | ||
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ヴィーンヌィツャの大聖堂。 |
ポジーリャ︵ウクライナ語‥Поділля[1]︶は西ウクライナに位置する歴史的地名である。現在ウクライナのヴィーンヌィツャ州、フメリニツキー州、テルノーピリ州の南部と沿ドニエストルに当たる。中世時代にはポヌィージャ︵ウクライナ語‥Пониззя︶とも呼ばれた。
地理[編集]
ポジーリャは、﹁高地の麓﹂を意味している。当地方は、南ブーフ川の流域とドニステル川の左の支流地帯を占めている。 ポジーリャの地形は平地が多く、北の高地は次第に平原に変わっている。最大の河川は、モルドヴァと境界線の役割を果たしているドニステル川と、沢と沼地を流れる南ブフ川である。土壌は、農業に相応しい黒土となっている。 最大の都市は、カームヤネツィ=ポジーリシクィイ、ブラーツラウ、ヴィーンヌィツャとフメリニツキーである。 ポジーリャの面積は約6万1千km2で、人口は約4百万人以上である。歴史[編集]
●紀元前7世紀‐3世紀‥スキタイの時代。 ●紀元前3世紀‐1世紀‥ダキア人の時代。 ●1世紀‐2世紀‥ローマ人の時代。トラヤヌスの城壁が築城される。 ●4世紀‐5世紀‥フン人の時代。 ●6世紀‐8世紀‥スラヴ人の時代。ポジーリャは東スラヴ人に属するブジャーヌィ族、ドゥリーブィ族、ティーヴェルツィ族、ポリャーヌィ族とウーリチ族の居住地となる。 ●9世紀‥ポジーリャはキエフ・ルーシの領土となる。 ●12世紀末‥キエフ・ルーシの分国としてハールィチ公国が成立する。ポジーリャはその公国の支配地域となる。ポジーリャの中心地はバコタ城となる。 ●13世紀‥モンゴル帝国がキエフ・ルーシを滅亡させ、ポジーリャは帝国の分国たるジョチ・ウルスの支配下に入る。 ●1368年‥青水の戦い。リトアニア大公国とルーシの諸侯らはジョチ・ウルス軍を破ることによってポジーリャはリトアニアの領土となる。 ●15世紀初頭‐18世紀‥毎年、ポジーリャはクリミア・ハン国のタタールによる攻撃を受ける。タタールが行った﹁奴隷狩り﹂を防止するため、コサックが登場する。当地域は活発的に要塞化される。 ●1430年‥西ポジーリャはポーランド王国の領土となる。ポジーリャ県が設置される。県庁所在地はカミェニェツとなる。 ●1431年‐1434年‥バコタで反ポーランドの一揆が起こる。 ●1566年‥リトアニア大公国の東ポジーリャではブラーツラウ県が設置される。県庁所在地はブラーツラウとなる。 ●1569年‥ルブリン合同によりポーランド・リトアニア共和国が成立し、ブラツラヴ県はポーランド王国の領土となる。 ●1648年‐1657年‥フメリニツキーの乱によりポジーリャは度々ウクライナ・コサック、ポーランド軍、タタール軍によって略奪される。コサック国家が成立し、東ポジーリャではブラーツラウ連隊とカリヌィーク連隊が設置される。 ●1667年‥アンドルシヴ条約によりコサック国家がポーランドとロシアの間で分割され、ポジーリャはポーランド領となる。 ●1672年‐1699年‥オスマン帝国はウクライナ・コサックの呼びかけに応じ、ポジーリャを占領する。 ●1699年‥カルロヴィッツ条約によりポジーリャは再びポーランド・リトアニア連合の領土となる。 ●1768年‥コリイーヴシチナ。ウクライナ人による反ポーランド・反ユダヤの大規模な反乱が起こる。 ●1793年‥ポーランド・リトアニア連合の分割により、東ポジーリャはロシア帝国に、西ポジーリャはオーストリア帝国に併合される。西ポジーリャはオーストリア帝国の行政単位たるガリツィア・ロドメリア王国の一部となる。 ●1797年‥東ポジーリャではポジーリャ県が設置される。 ●1820年‐1830年‥東ポジーリャで義賊ウスティム・カルメリュークが活躍する。 ●1918年‥東ポジーリャはウクライナ人民共和国の領土となり、西ポジーリャは西ウクライナ人民共和国の領土となる。 ●1920年‥ポーランド・ソビエト平和条約によって東ポジーリャはウクライナ・ソビエト社会主義共和国に、西ポジーリャはポーランド共和国に分割される。 ●1921年‥西ポジーリャはテルノーピリ県の一部となる。 ●1932年‥東ポジーリャでヴィーンヌィツャ州が設置され、ヴィーンヌィツャが州庁所在地となる。 ●1937年‥ヴィーンヌィツャ州の一部からフメリニツキー州が設置され、フメリニツキーが州庁所在地となる。 ●1939年‥独ソ不可侵条約によりソビエトは東ポーランドに攻め入り、西ポジーリャを復帰させる。 ●1991年‥ウクライナは独立し、ポジーリャでヴィーンヌィツャ州、フメリニツキー州、テルノーピリ州が設立される。脚注[編集]
- ^ ポジッリャ、ポドリア、ポドリヤとも呼ばれる。
参考文献[編集]
- (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
- (ウクライナ語) Енциклопедія «Українська мова». — Київ, 2005. (<ウクライナ語>大辞典 / キエフ、2005.)
外部リンク[編集]
- (ウクライナ語) ウクライナ人の結婚式用の衣装