9世紀
千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: |
800年代 810年代 820年代 830年代 840年代 850年代 860年代 870年代 880年代 890年代 |
できごと[編集]
●9世紀 ●ウクライナ西部ポジーリャの﹁ズブルチの偶像﹂が建造される。 ●東欧各地にキリスト教が伝播する以前の数少ない異教信仰の痕跡︵四面神スヴェントヴィトと推定︶。800年代[編集]
詳細は「800年代」を参照
●800年頃
●チチカカ湖周辺のティワナク文化(ティワナクV期前半)が最盛期を迎える。
●インドのラージャスターン州ジャイプル近郊にあるチャンド・バオリの階段井戸が建設される。
●室生寺の五重塔が建立される。
●801年
●征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。
●畿内の班田を12年に一度とする。
●バルセロナ包囲戦でカール大帝がイスラム勢力に勝利しバルセロナ伯を設置。
●802年
●ジャヤーヴァルマン2世がカンボジアを統一し、アンコール朝が成立。
●東ローマ帝国で女帝エイレーネーが政変で廃位され、皇帝ニケフォロス1世が即位。
●坂上田村麻呂が胆沢城を築く。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。
●スコットランド北西ヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院がヴァイキングに襲撃される︵続く806年、825年にも︶。
●803年
●カール大帝がアッバース朝のハールーン・アッ=ラシードに派遣していた使節がアーヘン宮廷に戻る。
●ハールーン・アッ=ラシードから贈られた象﹁アブル=アッバース﹂を伴っての帰国となる。
●ハールーン・アッ=ラシードがジャアファルを処刑。バルマク家一族を粛清。
●東ローマ皇帝ニケフォロス1世と西ローマ帝国カール大帝の講和︵ニケフォロスの平和︶。
●この講和により東ローマに服属しつつ、ヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。
●坂上田村麻呂が志波城を築く。
●804年
●坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。
●最澄と空海が唐にわたる。
●805年
●唐の皇帝順宗が即位し政治改革を志す︵永貞の革新︶。
●宦官や保守派の巻き返しで退位させられ、息子の憲宗が即位。
●王叔文・柳宗元・劉禹錫らの少壮官僚らが失脚︵ニ王八司馬事件︶。
●最澄が天台宗を学んで帰国。
●菅野真道と藤原緒嗣との間で﹁徳政相論﹂が行われる。
●カール大帝によりアーヘン宮廷礼拝堂︵アーヘン大聖堂︶が完成し奉献される︵796年 - ︶。
●806年
●桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
●空海が真言宗を学んで帰国。
●カール大帝による﹁国王分割令﹂︵ディヴィシオ・レグノールム︶。
●アッバース朝の小アジア侵攻。
●アッバース朝が東ローマ帝国から小アジアのティアナ・ヘラクレアを奪う。ラーフィー・イブヌル・ライスの反乱。
●807年
●伊予親王の変。
●生野銀山が開坑される。
●809年
●ハールーン・アッ=ラシードが死去。
●平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位︵崇文の治︶。
810年代[編集]
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●810年
●薬子の変。
●乱に先んじて蔵人所を設置。平城上皇が旧都平城京に出奔。
●藤原仲成が射殺され、藤原薬子が自殺、嵯峨天皇側が勝利。
●平城上皇が出家、高岳親王が廃太子となる。
●嵯峨天皇が皇女の有智子内親王を斎王とする︵賀茂斎院の始まり︶。
●デンマーク王ゴズフレズがフランク王国支配のフリースラントを襲撃する。
●811年
●東ローマ皇帝ニケフォロス1世がプリスカの戦いでブルガリアのクルムに敗北し戦死。
●征夷将軍文室綿麻呂が爾薩体・幣伊の二村の蝦夷を討つ(38年戦争終結︶。
●812年
●東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を﹁フランク族の皇帝﹂として承認。
●嵯峨天皇が神泉苑にて﹁花宴の節﹂を催す︵記録に残る日本での桜の花見の初出︶。
●813年
●ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで隠者ペラーヨが聖ヤコブの墓を発見したという。
●アッバース朝6代カリフのアミーンが異母兄マアムーンに暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。
●814年
●日本最初の勅撰漢詩集﹃凌雲集﹄が成立。
●嵯峨天皇がその子女8人に源姓を賜い臣籍降下させる︵嵯峨源氏。賜姓源氏の始まり︶。
●カール大帝死去、息子のルートヴィヒ1世が単独皇帝となる。
●815年 - 東ローマ皇帝レオーン5世が再び聖像破壊令を出す︵第二次イコノクラスム - 843年︶。
●816年
●空海が高野山金剛峯寺を開基。泰範の処遇をめぐり空海と最澄が訣別。
●アゼルバイジャンでホッラム教徒バーバク・ホッラムディンの反乱︵ - 837年︶。
●816年頃 - このころまでに検非違使が設置される。
●817年
●唐の皇帝憲宗の命で淮南西道節度使の呉元済が討伐される。
●皇帝ルートヴィヒ1世が帝国整序令を発布。
●818年
●菅原清公らが﹃文華秀麗集﹄を編纂。
●嵯峨天皇が死刑停止の宣旨︵﹃弘仁格﹄︶を公布し死刑執行が停止される︵ - 1156年︶。
●嵯峨天皇の命により天下の儀式・男女の衣服・拝礼作法などが唐風とされ、大内裏諸門の名称も和名から唐名に変更される。
●819年
●皇帝憲宗に献じた韓愈の﹃論仏骨表﹄が勅勘を被り、韓愈が潮州刺史に左遷される。
●最澄が﹃顕戒論﹄を執筆する。
820年代[編集]
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●820年
●﹃弘仁格﹄と﹃弘仁式﹄が撰進される。
●東ローマ帝国でレオーン5世が暗殺され、皇帝ミカエル2世が即位しアモリア朝が成立。
●小アジアではこれに反対するスラブ人トマスの反乱が起きる。
●821年
●ホラサーンでターヒル朝が自立する。
●唐と吐蕃との間で長慶会盟が結ばれる。唐の穆宗の妹太和公主がウイグルの崇徳可汗と婚姻する。
●空海が讃岐国満濃池の改修工事に着手する。
●822年
●現存最古の説話集﹃日本霊異記﹄を景戒が編集。
●最澄が死去、その7日後に比叡山の大乗戒壇建立が勅許される。
●空海が東寺を賜与される。
●マヤのコパン第17代王ウキト・トーク即位の記録がある祭壇Lの年代。
●823年
●﹁唐蕃会盟碑﹂が建てられる。
●嵯峨天皇が譲位し、第53代淳和天皇が即位。
●825年
●イングランドでウェセックス王国のエグバート王がマーシアをエランダンで破る。
●後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世がムルシアを建設。
●825年頃
●イニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こしナバラ王国を建国。
●827年
●チュニジアのアグラブ朝がシチリア島征服に着手。
●菅原清公・良岑安世らが﹃経国集﹄を編纂。
●東ローマ皇帝ミカエル2世からフランク王国のルートヴィヒ1世に﹃偽ディオニュシオス文書﹄が贈られサンドニ大聖堂に納められる。
●828年 - エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺骸がヴェネツィアに運ばれる。
●828年頃 - 空海が綜藝種智院を創設。
●829年 - ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
830年代[編集]
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●830年頃
●チェック人︵西スラブ族︶のモイミール1世がモラビア王国建設。
●淳和天皇の命により空海が﹃十住心論﹄を撰述︵略本が﹃秘蔵宝鑰﹄︶。
●830年
●唐で牛僧孺と李徳裕が争う︵牛李の党争︶︵ - 844年︶。
●ハッラーンにてアッバース朝カリフのマアムーンがサービア教徒に遭遇する。
●カリフのマアムーンがバグダードに﹁知恵の館︵バイト・アルヒクマ︶﹂を建設する。
●ハッラーンに続きバグダードでのギリシア語文献からアラビア語への翻訳が盛んになる。
●カロリング朝で父帝ルードヴィヒ1世に対する息子三兄弟のクーデタが起きる。
●831年
●淳和天皇の命により滋野貞主が日本最古の類書︵百科事典︶の﹃秘府略﹄を編纂する。
●832年
●カリフのマアムーンがクフ王のピラミッドの内部に調査隊を潜入させる。
●南詔がピュー(驃)を滅ぼす。
●833年
●アッバース朝でムウタスィムがカリフに即位。トルコ人奴隷︵マムルーク︶で親衛隊を組織。
●﹃令義解﹄が撰集される。淳和天皇が譲位し、第54代仁明天皇が即位。
●834年
●仁明天皇の勅により空海が宮中真言院にて最初の後七日御修法を行う。
●ハザールがドン川下流域に交易都市サルケルを建設。
●同時期ハザールの同盟国だった東ローマ帝国は黒海北岸にテマ・ケルソーノスを設置。
●835年
●唐で甘露の変が起こる。
●高野山にて空海が死去。
●836年
●アッバース朝がバグダードからサーマッラーに遷都。
●プラティーハーラ朝のボージャ1世が北インドの中心地カナウジを制圧。
●837年
●唐の文宗の命による﹁開成石経﹂︵西安碑林博物館蔵︶が完成する。
●838年
●小野篁を隠岐国に配流。
●承和の遣唐使︵事実上の最後の遣唐使︶で円仁が唐にわたる︵ - 847年︶。
●アモリオンの戦い。
●839年
●アマルフィ共和国が独立。
840年代[編集]
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●840年
●藤原緒嗣らにより﹃日本後紀﹄が完成する。
●ウイグルがキルギスの攻撃により崩壊。
●統一ウイグル国家の崩壊により、甘州ウイグル王国・天山ウイグル王国他の地域政権が成立。
●この一部がカラ・ハン朝成立に合流。
●イタリア・カンパニア地方の中心都市カプアがイスラム教徒によって焼き払われる。
●841年 - フォントノワの戦い。
●842年
●ストラスブールの誓い。マコンの和平。
●嵯峨上皇が死去し、承和の変が起こる。
●皇太子恒貞親王が廃され、道康親王が太子となる。
●橘逸勢・伴健岑らが配流となり、太子の外伯父藤原良房の勢力が拡大。
●吐蕃のランダルマ王が暗殺され、後継者争いから吐蕃は分裂する。
●843年
●ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。
●コンスタンティノポリス教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定し、イコノクラスムが終結する。
●主催者は東ローマ皇帝ミカエル3世の母テオドラ (テオフィロスの皇后)と総主教メトディオス1世。
●このことを記念して﹁正教勝利の主日﹂が制定される。
●ノルウェーのオーセベリ墳丘墓に船葬用の船体︵オスロのヴァイキング船博物館蔵︶が埋められる。
●文室宮田麻呂が乱を企てたとして伊豆に流される。
●844年 - クラビホの戦いでアストゥリアス王ラミロ1世がイスラム教徒に勝利。
●845年
●唐の武宗が仏教を弾圧︵会昌の廃仏︶。
●唐では祆教・摩尼教・景教などの外来の三夷教も弾圧される。
●ハンブルクがデンマーク王ホリック率いるヴァイキングに襲撃される。
●846年 - ローマを攻撃したイスラム軍をグイード1世・ディ・スポレートが撃退。
●846年頃
●ブハーリーがハディース﹃真正集︵サヒーフ・アル=ブハーリー︶﹄を完成させる。
●イブン・フルダーズベがアラビア語として最古の地理文献である﹃諸道と諸国の書﹄を執筆。
●この著作には東方諸国として﹁スィーン︵支那=唐か︶﹂﹁シーラ (新羅か) ﹂﹁ワークワーク︵倭国=日本か︶﹂の記載がある。
●847年
●ローマで﹁ボルゴの火災﹂。
●円仁が唐から新羅船により日本に帰国。恵萼が唐僧義空を伴って唐から帰国、義空は嵯峨野檀林寺の開山となる。
●849年
●イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利︵オスティアの海戦︶。
●東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダス︵東ローマ皇帝の叔父︶によりコンスタンティノポリス大学︵マグナウラ宮殿大学︶が再興される。
850年代[編集]
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●850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
●850年頃 - ﹃偽イシドルス法令集﹄が北フランスで編纂される。
●この法令集には教皇首位権を説いた﹁コンスタンティヌスの寄進状﹂も含まれる。
●851年
●ジャングランの戦いで、ブルターニュ王エリスポエが西フランク王シャルル2世に勝利し独立を獲得。
●常暁の奏上によりこの年から宮中で大元帥法が行われる。
●853年 - 唐の商人欽良暉が博多から福州に円珍を送る。
●855年
●斉衡地震により奈良の東大寺大仏の頭部が落下する。
●ヴァランス教会会議でヨハネス・スコトゥス・エリウゲナが断罪される。
●ウェセックス王エゼルウルフが末子アルフレッドを連れてローマに巡礼する︵ - 856年︶。
●856年
●懐建可汗が唐から冊封を受けて天山ウイグル王国が成立する。
●イランのダムガンで死者20万人の大地震︵ヘカトンピュロスの地震︶。
●858年
●文徳天皇が没し、第56代清和天皇が即位。
●藤原良房が臣下としては初の摂政となる。
●859年
●唐で裘甫の乱が起こる。
●南詔王世隆が皇帝を自称する。
●モロッコ・フェズのカラウィーイーン大学が創設される。
●剛勇のビョルンらヴァイキングによる地中海遠征︵ - 861年︶。
860年代[編集]
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●860年
●行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
●ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される︵ルーシ・ビザンツ戦争︶。
●861年
●日本で宣明暦が採用される。
●唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
●ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士により建立される。
●862年
●伝承ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
●フランドル家のボードゥアン1世が西フランク王シャルル2世の王女ジュディトと結婚し、初代フランドル辺境伯となる。
●863年
●ララカオンの戦いで東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。
●東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス︵コンスタンティノス︶兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。
●ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。﹁フォティオスの教会分裂﹂の始まり︵ - 867年︶。
●神泉苑にて最初の御霊会が行われる︵→869年︶。
●864年
●富士山貞観大噴火。
●側火山である長尾山ほかが形成され、流れ出た青木ヶ原溶岩が樹海のもとをなす。
●剗の海が埋没し富士五湖の西湖・精進湖が形成される。
●カスピ海南岸にアラヴィー朝︵ザイド朝︶が成立。
●西フランク王シャルル2世によりヴァイキングに対する組織防衛や造幣局に関するピトレ勅令が出される。
●コンクの修道士アリヴィスクスがアジャン教会所蔵の聖女フォワの聖遺物を窃取する︵ - 875年︶。
●864年頃
●第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
●865年
●デーン人大異教軍がイングランド東部イースト・アングリアに上陸し各地を制圧する。
●以後デーン人が七王国に侵入し、彼らの定住地デーンロウを形成する。
●高岳親王(真如)が天竺行きの途上の羅越国にて死去する。入唐僧宗叡が帰国︵入唐八家の最後の帰国︶。
●866年
●応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
●日本最初の大師号として最澄に﹁伝教﹂、円仁に﹁慈覚﹂の号が贈られる。
●867年
●東ローマ帝国でミカエル3世が暗殺されアモリア朝が断絶。
●政変を起こしたバシレイオス1世が単独皇帝に即位しマケドニア朝が成立。
●コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂アプス半ドームの﹁玉座の聖母子像﹂のモザイクが造られる。
●イランにサッファール朝が興る。
●868年
●唐で龐勛の乱が起こる。
●エジプトにトゥールーン朝が興る。
●﹃熊野年代記﹄に記録された慶竜による最古の補陀落渡海。
●869年
●第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放︵ - 870年︶。
●デーン人大異教軍との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。
●イラクで黒人奴隷が反乱を起こす︵ザンジュの乱︶。
●藤原良房・春澄善縄らにより﹃続日本後紀﹄が完成する。﹃貞観格﹄が撰進され施行される。
●貞観地震発生、陸奥国を大津波が襲う。
●疫病を鎮めるため卜部日良麿が神泉苑南端で矛を立て、祇園社の神輿を出し、牛頭天王を祀る御霊会を行う︵祇園祭の始まり︶。
●﹁石碑11号﹂に残るティカル最後の王ハサウ・チャン・カウィール2世のマヤ文字の記録の年。
870年代[編集]
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●870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
●871年
●アルフレッドがイングランド王となる︵ - 899年︶。
●﹃貞観式﹄が撰進され施行される。
●873年 - サッファール朝がターヒル朝を倒しホラーサーン地方を獲得。
●874年
●唐の僖宗皇帝が法門寺に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する︵法門寺地下宮殿宝物︶。
●﹃植民の書﹄ではノルウェー人首領インゴールヴル・アルナルソンが最初のアイスランド定住したと伝える。
●シーア派の第11代イマームのハサン・アスカリーがサーマッラーで死去。
●十二イマーム派では後継者となった息子のムハンマド・ムンタザルが第12代イマームとなったとされる。
●父の葬儀を司式した後そのままムハンマド・ムンタザルは隠れイマーム︵ガイバ︶となったと伝わる。
●875年
●聖宝が醍醐寺を創建。
●唐で黄巣の乱が起こる︵ - 884年︶。
●中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。
●サーマーン・フダーの子孫ナスル1世がアッバース朝から支配権を認められ、サマルカンドで自立する。
●イタリアにおけるカロリング朝の断絶。
●876年
●清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。
●淳和皇后が恒寂︵恒貞親王︶を開山に迎え大覚寺︵旧嵯峨院︶が創建される。
●アンデルナハの戦いで、東フランク王ルートヴィヒ3世ら三兄弟が西フランク王シャルル2世を撃退。
●877年
●トゥルーン朝がシリアを併合。
●キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。
●ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。
●878年
●エサンドゥーンの戦い︵エディントンの戦い︶で、イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。
●ギフレー1世︵多毛伯︶がバルセロナ伯を世襲化する。
●元慶の乱が起こり藤原保則が陸奥の蝦夷平定に派遣される。
●広州大虐殺。
●879年
●コンスタンティノポリス教会会議による総主教フォティオスの復権︵ - 880年︶。
●ボソにより下ブルグント王国が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。
●クロアティアの独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。
●藤原基経らにより﹃日本文徳天皇実録﹄が完成する。
880年代[編集]
詳細は「880年代」を参照
●880年
●リブモント条約により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。
●黄巣が洛陽・長安を占領。皇帝僖宗は蜀に逃亡する。
●881年 - ラインラント各地の都市がヴァイキングに攻撃され、アーヘンでは大聖堂が破壊される。
●882年
●黄巣配下の朱温が唐軍に帰順し、﹁全忠﹂の名を与えられ宣武節度使となる。
●オレグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
●883年
●唐の皇帝僖宗が安化公主を南詔王隆舜に降嫁する。
●モンテ・カッシーノ修道院がイスラム教徒サラセン人に破壊される。
●884年
●藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
●王満渡の戦いで、黄巣が唐軍に大敗し逃亡、狼虎谷にて自殺する。
●アショト1世がバグラトゥニ朝アルメニア王国を建国する。
●885年
●ノルマン人のパリ攻撃に対しパリ伯ウードやパリ司教ゴズランらが篭城戦︵ - 886年︶。
●宦官田令孜と節度使王重栄の対立から皇帝僖宗は鳳翔に逃亡。
●886年
●イングランド王アルフレッドがロンドンを奪還し、デーン王グスルムとの間で協定を結ぶ。
●887年
●イタリアにおけるカロリング朝断絶。
●源定省が皇籍復帰し親王宣下の後、皇太子となる。父の光孝天皇の死去とともに、第59代宇多天皇として即位。
●藤原基経が初の関白となる。これに絡み阿衡事件が起こる。
●仁和3年の浅間山大噴火。
●888年
●最後の統一フランク王のカール3世︵肥満王︶が死去。
●統一フランク王国は分裂し、東フランクとロタリンギアをアルヌルフが、西フランクをパリ伯ウードが、イタリアをフリウリ公ベレンガリオ1世が継承。
●ルドルフ1世により上ブルグント王国が独立し、スイス西部がその版図となる。
●ミラッツォの戦いで東ローマ帝国にアグラブ朝が勝利する。
●宇多天皇が仁和寺を創建。
●889年 - 高望王に平姓を賜う︵桓武平氏︶。
890年代[編集]
詳細は「890年代」を参照
●890年 - シリア北部にハムダーン朝が成立。
●891年
●藤原基経死去。宇多天皇は摂関を置かず、源能有・菅原道真らを登用して国政改革に着手︵寛平の治︶。
●ルーヴァンの戦いで、東フランク王アルヌルフがノルマン人ヴァイキングに大勝。
●892年
●朝鮮半島で甄萱が完山︵全州︶に後百済を建てる。新羅が分裂への道を歩み始める。
●アッバース朝がサーマッラーから再びバグダードに遷都。
●菅原道真により﹃類聚国史﹄が完成する。
●892年頃 - 東ローマ皇帝レオーン6世により﹁バシリカ法典﹂が出される。
●893年
●ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
●唐に滞在中の留学僧中瓘が日本に宛てて遣唐使中止を奏上。
●894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
●895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起︵寛平・延喜東国の乱︶が勃発。
●896年
●パンノニア︵現ハンガリー︶に首長アールパードに率いられた騎馬民族マジャル人が定住。
●教皇フォルモススの﹁死体裁判﹂が行われる。
●この時代から次の10世紀を教皇庁の﹁鉄の時代﹂と呼び、教皇の権威は低下しローマは混乱が続く。
●897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
●宇多天皇は譲位に際し帝王学の書である﹁寛平御遺誡﹂を醍醐天皇に与える。
●898年 - 古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
●899年
●藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任、両者の対立が激化。
●カルマト派がクーファ近郊からイラク南部に勢力を拡大し反乱を起こす。
900年代[編集]
詳細は「900年代」を参照
●900年
●バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
●サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。
●ランゴバルド系カプア公国が独立する。
●甄萱が後百済を建国。
時代の動向[編集]
東アジア[編集]
大陸[編集]
朝鮮半島[編集]
日本[編集]
日本では平安時代前期にあたり、唐制に基づく律令制が衰退に向かい、戸籍に基づく人別課税から、田堵と呼ばれる実際に公田を請け負い経営している富豪層を負名として土地課税する制度に移行する。変動する在地社会を現実に即して統治するために現地派遣の国司の筆頭者に大幅な権限が付与され、受領と呼ばれるようになる。