クバーニ
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クバーニ | |||
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クバーニの紋章。 | |||
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クバーニの地図(20世紀)。
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クバーニにおけるウクライナ人の人口(1926年国勢調査による)。
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クバーニ︵ウクライナ語:Кубань‥ロシア語:Кубань‥アディゲ語:Пшызэ︶は、ウクライナおよびロシアの歴史的地名である。クバーニ川流域から、現在のロシア連邦のクラスノダール地方、アディゲ共和国、スターヴロポリ地方、ロストフ州、カラチャイ・チェルケス共和国に当たる地域を指す。
日本語では、クバン、クバニなどとも書かれる。
ザポロージエ・コサックから派生したクバーニ・コサックが根拠地を置いた。ロシア帝国に併合されたのちは、クバーニ州が置かれた。また、ロシア革命後にはクバーニ人民共和国やクバーニ=黒海ソビエト共和国が建国された。
歴史[編集]
古代[編集]
紀元前6世紀頃、レスボス島からやって来たギリシャ人によってヘルモナッサ(英語:Hermonassa, ギリシャ語:Ερμώνασσα)が作られ[1]、紀元前5世紀頃にボスポロス王国の一部となった。 6世紀頃、ボスポロス王国がビザンツ帝国(ユスティニアヌス1世の治世)の支配下に入った。 ビザンツ帝国の500年から600年の頃に、初めてドニプロ地方からルーシ族が現れる。965年にはトムタラカンを占領し、 トムタラカン公国を建国した。 山岳地方からカソーグ人がドニプロ川はナドニプリャーンシュチナ︵現在のチェルカースィ州辺り︶に移住し、現在のチェルカースィの基礎を築く。カソーグ人︵あるいはチェルカース人︶は現代のチェルケス人に近い種族で、古代のトムタラカンの住民の子孫であり、のちにコサックの原型となったと考えられている。ウクライナ・コサック[編集]
1792年には、黒海コサック軍がウクライナより移住した。クバーニは彼らによって開拓され、彼らはクバーニ・コサック軍を編成した。
クバーニ人民共和国[編集]
詳細は「クバーニ人民共和国」を参照
1917年4月30日から5月3日にかけて、カテルィノダール︵現在のクラスノダール︶でコサックの集会が開かれ、コサック政府となるクバーニ軍ラーダ︵議会︶が結成された。
1918年2月16日には立法ラーダ︵議会︶がクバーニ人民共和国の建国を宣言した。数日後、議会によって﹁クバーニのウクライナとの連邦参加について﹂の決議が採択された。
1920年、ロシア内戦において赤軍がクバーニの大半を占領し、崩壊した。
1933年には、スターリンによる農業集団化政策による大飢饉ホロドモールに見舞われた。クバーニにおける飢饉は、他のウクライナの民族的地域と同様過酷なものであった。これにより、これまでクバーニの主要な住民であったウクライナ人は壊滅的打撃を受けた。
主要な都市[編集]
名称は、現在のものに準拠する。 ●クラスノダール ●エイスク ●ノヴォロシースク ●ソチ ●テムリューク ●スロヴャンスク=ナ=クバーニ ●アルマヴィール ●ネヴィンノムィースク ●トゥアプセ ●アナパ関連項目[編集]
この名称を持つものには、以下のようなものがある。
●クバーニ川 - スターヴロポリ地方およびクラスノダール地方を流れる川。
●FCクバン・クラスノダル - ロシアのサッカークラブ。ソ連時代の1928年に設立された。
●クバン州 - ロシア帝国の行政区の一つ。
●航洋砲艦クバーニ - ロシア帝国で建造された砲艦。