メメント・モリ
メメント・モリ︵羅: memento mori︶は、ラテン語で﹁自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな﹂﹁人に訪れる死を忘ることなかれ﹂といった意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
歴史[編集]
古代ローマでは﹁将軍が凱旋式のパレードを行った際に使われた﹂と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は﹁将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない﹂という戒めを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は﹁メメント・モリ﹂と言うことによって、それを思い起こさせていた。 ただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時、﹁メメント・モリ﹂の趣旨は carpe diem︵今を楽しめ︶ということで、﹁食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから﹂というアドバイスであった。ホラティウスの詩には﹁Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.﹂︵今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ︶とある。 この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において﹁メメント・モリ﹂は、ほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では﹁メメント・モリ﹂は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。 京都学派の哲学者として知られる田辺元は、最晩年に﹁死の哲学︵死の弁証法︶﹂と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が﹁メメント モリ﹂と題されている。田辺はこの論文の中で現代を﹁死の時代﹂と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術がかえって人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告︵﹁死を忘れるな﹂︶に立ち返るべきだと主張する[1]。関連作品[編集]
墓石脚注[編集]
- ^ 田辺元(1964(1957))「メメント モリ」,『田辺元全集 第13巻』,pp165-175,筑摩書房
- ^ “'Memento mori' watch in the form of a skull, known as the 'Mary Queen of Scots' watch.”. Science Museum Group. 2022年9月11日閲覧。
参考文献[編集]
- ジョン・フィンレー著『一冊で学位美術史』2021年、246頁、ISBN 978-4-315-52484-0
関連項目[編集]
- その日を摘め (Carpe diem)
- 時は飛ぶ (Tempus fugit)
- ヴァニタス (Vanitas)
- 死生学
- バロック
- メメントモリ
- もののあはれ
- 無常
- 葬儀芸術
- Category:死生観
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