中央区立日本橋中学校
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中央区立日本橋中学校 | |
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![]() 正門 | |
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過去の名称 | 中央区立第四中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 中央区 |
併合学校 |
中央区立久松中学校 中央区立日本橋中学校 中央区立紅葉川中学校 |
設立年月日 | 1974年4月1日 |
開校記念日 | 11月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C113210200029 |
所在地 | 〒103-0004 |
東京都中央区東日本橋1-10-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
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中央区立日本橋中学校︵ちゅうおうくりつ にほんばしちゅうがっこう︶は、東京都中央区東日本橋一丁目に所在する区立中学校。
概要[編集]
学区域については日本橋地域全域。地元からの生徒より学区外からの越境通学で通う割合が多い。中央区立の中学校4校の中で敷地面積が最も狭いため、運動会や球技大会などの屋外行事は近隣のグラウンド︵浜町公園等︶で行われる。 部活動においては吹奏楽部が有名で、大会で高成績を収めており、吹奏楽コンクール・アンサンブルコンテストで最優秀賞・金賞等の結果を残している。日本マーチングバンド&バトントワリング協会の全国大会では通算10回、編成別最優秀賞を受賞している。また近年ではダブルダッチ部が世界大会で高成績を収めるなどして活躍している。歴史[編集]
現学校そのものの歴史は昭和中期からの始まりだが、教育施設としての現地利用の歴史は明治に遡れる程長い。 現在の日本橋中学校は、明治に入りに薬研堀を埋め立てた土地を多く利用し、日本橋区馬喰町より火災焼失した﹃第一大学区第一中学区十一番小学千代田学校﹄が現地に移転し使用したことに始まる。﹃東京市立千代田小学校[1]﹄と校名変更を行い、校舎は火災に強いモダンな復興小学校として建設された。 後に神田区にあった桜池小学校との合併で千桜小学校が開校となり、市立千代田小学校は廃校となる[2]。 その後昭和に﹃東京都中央区立久松中学校﹄が現地にて新設開校。全日本橋地域内の中学校を合併し1974年﹃東京都中央区立第四中学校﹄が開校し現在に至る。 日本橋中学校の校庭および緑地部分を含めた﹃中央区立千代田公園﹄は、前記の﹃市立千代田小学校﹄に由来するものである。沿革[編集]
●1962年︵昭和37年︶ 浜町中学校・有馬中学校が統合し、(旧)日本橋中学校開校。 ●1974年︵昭和49年︶4月 久松中学校・(旧)日本橋中学校・紅葉川中学校の3校が統合し久松中学校だった地に中央区立第四中学校が新設開校。 ●1991年︵平成3年︶6月に第四中学校より現校名の日本橋中学校に変更。 新校名披露式典、校名碑除幕式開催さる。交通[編集]
鉄道 ●都営地下鉄浅草線![A](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/Toei_Asakusa_line_symbol.svg/15px-Toei_Asakusa_line_symbol.svg.png)
![S](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Toei_Shinjuku_line_symbol.svg/15px-Toei_Shinjuku_line_symbol.svg.png)
![JO](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1b/JR_JO_line_symbol.svg/15px-JR_JO_line_symbol.svg.png)
![JB](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/JR_JB_line_symbol.svg/15px-JR_JB_line_symbol.svg.png)
脚注[編集]
- ^ 過去の災害に学ぶ26 (内閣府)
- ^ 1993年には千桜小学校をはじめとする千代田区内の小学校が合併の末、千代田区立千代田小学校が開校する。市立千代田小学校の流れを組む学校が、先祖返りを起こし、再び千代田小学校の校名が復活したことになる。