乙津寺
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乙津寺 | |
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大師堂2024年(令和6年)撮影 | |
所在地 | 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号 |
位置 | 北緯35度24分55.8秒 東経136度43分08.7秒 / 北緯35.415500度 東経136.719083度座標: 北緯35度24分55.8秒 東経136度43分08.7秒 / 北緯35.415500度 東経136.719083度 |
山号 | 瑞甲山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 十一面千手観世音菩薩 |
創建年 | 伝・738年(天平10年) |
開基 | 伝・行基 |
中興年 | 1545年(天文14年) |
中興 | 石河駿河守光清、孤岫宗峻(開山) |
別称 | 鏡島弘法、鏡島の弘法さん、梅寺 |
札所等 |
東海三十六不動尊31番 美濃四国44番 美濃三弘法3番 |
文化財 | 木造千手観音立像・木造毘沙門天立像・木造韋駄天立像(重要文化財) |
法人番号 | 9200005000512 |
乙津寺︵おっしんじ[1]︶は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は瑞甲山︵ずいこうさん︶。
概要[編集]
通称﹁鏡島弘法﹂︵かがしまこうぼう︶。正式名称より通称で呼ばれることが多い。毎月21日の縁日は大変賑わう[2]。 本尊は十一面千手観世音菩薩。 東寺及び川崎大師と並ぶ﹁日本三躰厄除け弘法大師﹂の一つ[1]。東海三十六不動尊霊場第三十一番札所。美濃三弘法札所第三番札所。美濃四国札所第四十四札所。美濃三十三観音第十九札所︵2008年︵平成20年︶5月より︶。沿革[編集]
寺伝によれば、738年︵天平10年︶に行基が草庵を築き、814年︵弘仁5年︶に空海がこの地に赴いて寺を建立したという[2]。 1540年︵天文9年︶、洪水の被害を受ける。その後、1545年︵天文14年︶、鏡島城主石河駿河守光清が孤岫宗峻を招いて再興、臨済宗妙心寺派に改宗する。 1945年︵昭和20年︶、空襲により建物の殆ど[注釈 1]が全焼する。本尊などの仏像などの重要な物は近くの長良川に運び出され、難を逃れる。住職は小さな仮建物をつくり、安置する。 1953年︵昭和28年︶に入母屋造の本堂と拝殿を再建[2][注釈 2]。 1958年︵昭和33年︶には大師堂などの建物が再建され、大師堂には堂本印象から寄進された天井墨絵﹁雲龍﹂がある[2]。文化財[編集]
重要文化財 ●木造千手観音︵十一面千手観世音菩薩︶立像︵天平時代︶ ●木造毘沙門天立像︵平安時代︶ ●木造韋駄天立像︵鎌倉時代︶その他[編集]
梅の名所である。境内の弘法の梅は、弘法大師が立てた杖に枝葉が生えて梅の木になったという。空海が堂前に梅の散杖を立て、﹁仏法此の地に栄えがこの杖に枝葉も栄ゆべし﹂と言うと、この散杖に枝葉が生じ、梅の木となったという伝承がある。 近くの長良川には﹁小紅の渡し﹂があり、毎月21日の乙津寺の縁日は賑わう。所在地[編集]
●岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号交通アクセス[編集]
寺院の最寄りにある岐阜乗合自動車︵岐阜バス︶﹁鏡島弘法前﹂バス停、または岐阜県道92号岐阜巣南大野線上の﹁鏡島精華3丁目﹂バス停が最寄りである。かつては﹁鏡島精華3丁目﹂バス停も﹁鏡島弘法前﹂の名称が用いられていたが、2007年︵平成19年︶10月1日の改正で現在のものに改められた[3]。﹁鏡島弘法前﹂バス停からは徒歩で約5分、﹁鏡島精華3丁目﹂バス停からは徒歩で約15分。「鏡島弘法前」方面[編集]
- 6番のりば:鏡島市橋線「(W15)市橋」行き
- 7番のりば:岐阜高富線「(G51)西鏡島」行き
- 10番のりば:鏡島市橋線「(K15)市橋」行き
- 1番のりば:鏡島市橋線「(W15)市橋」行き
- 3番のりば:鏡島市橋線「(G51)西鏡島」行き
- 5番のりば:鏡島市橋線「(K15)市橋」行き
「鏡島精華3丁目」方面[編集]
- JR岐阜駅バスターミナル
- 6番のりば:美江寺穂積線「(G66)巣南庁舎」行き
- 7番のりば:北方河渡線「(G61)芝原6丁目」行き
- 名鉄岐阜のりば
- 5番のりば:美江寺穂積線「(G66)巣南庁舎」行き・北方河渡線「(G61)芝原6丁目」行き