佐藤正四郎
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佐藤 正四郎 | |
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生誕 | 1886年10月25日 |
死没 | 1958年7月7日(71歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1911年 - 1937年 |
最終階級 | 海軍少将 |
佐藤 正四郎︵さとう せいしろう、1886年︵明治19年︶10月25日 - 1958年︵昭和33年︶7月7日︶は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。
二・二六事件で芝浦に上陸した佐藤指揮下の陸戦隊
二・二六事件では、事件発生当日に横須賀鎮守府の特別陸戦隊4個大隊、約2000名を率いて東京に上陸し、海軍省の警備にあたった。27日、部下の安田義達中佐と共に首相官邸に向かい、正午頃に岡田啓介とされていた遺体︵実際は松尾伝蔵︶に焼香している。この時、佐藤は遺体が別人であることに気づく。佐藤が連合艦隊旗艦・﹁長門﹂の砲術長であった時に、連合艦隊司令長官であったのが岡田首相であり、面識があった。佐藤は大角岑生海相にこの件を報告したが、大角は﹁それは本当か、間違いないか﹂と確かめた上で口止めした[1]。なお大角はすでに宮中で迫水久常から岡田生存を聞いている。27日の午前11時17分頃から午後2時20頃の間のことである。迫水は陸戦隊の出動による救出を依頼したが、大角は﹁聞かなかったことにしておく﹂と答えている[2]。