佐賀市立勧興小学校
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佐賀市立勧興小学校︵さがしりつかんこうしょうがっこう︶は、佐賀県佐賀市にある小学校。佐賀藩校の弘道館の流れを汲む。勧興魂﹁勉強はベストをつくし、運動はくたくたになるまで﹂を合言葉に児童は学校生活を送っている。
沿革[編集]
●1781年︵天明元年︶ - 8代藩主 鍋島治茂が松原小路に弘道館設立 ●1840年︵天保11年︶ - 10代藩主 鍋島直正が北堀端に移転拡充し、蒙養舎を設立。15歳以下の藩士の子弟を教育。 ●1872年︵明治5年︶ - 明治新政府の学制改革により一旦廃校 ●1874年︵明治7年︶7月 - 勧興小学校として再興 ●1890年︵明治23年︶ - 勧興尋常小学校と改称 ●1908年︵明治41年︶ - 赤松小学校新設のため学区変更 ●1913年︵大正2年︶12月 - 現在地に新校舎落成。翌年1月移転。 ●1941年︵昭和16年︶ - 勧興国民学校となる ●1947年︵昭和22年︶6月 - 火災により校舎大半消失 ●1972年︵昭和47年︶ - 言語障害学級新設 ●1974年︵昭和49年︶ - 創立100周年。校旗制定歴史[編集]
校名の由来[編集]
前身である弘道館の蒙養舎では、教科書の1つとして経書︵五経︶の﹃礼記﹄が使われていた。校名はその﹁王制篇﹂第5章612頁にある﹁勧功興学﹂から採られている[1]。 民咸安其居 楽事勧功 尊君親上 然後興学 ︵人がみなその処に安んじて仕事を楽しみ励み、 長上を敬い親しむとき、学問や文化が盛んになる︶ — ﹃礼記﹄﹁王制篇﹂第5章612頁︵ふるさと勧興、p.47より引用︶ なお、当校出身で政治家の佐藤尚武が著した﹁勧功興学﹂の書が当校に所蔵されている[1]。記念物[編集]
校舎玄関前にあるソテツは、もと北堀端の校舎の玄関前にあったもので、1913年の校舎移転とともに移設されたものである。樹齢およそ200年と推定され、弘道館時代からあったとされている[2]。特別支援教育[編集]
特別支援︵知的・情緒・病弱︶教育を行っている。現在は、つぼみ・わかば・みどりの名称である。所在地[編集]
佐賀県佐賀市成章町3番16号著名な関係者[編集]
著名な出身者[編集]
教職員[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 佐賀市立勧興公民館、『歴史探訪 ふるさと勧興』、2004年7月