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/Osho
Osho:(本名‥モーハン・チャンドラ・ジャイン︶、1931年12月11日 - 1990年1月19日︶は、インドの宗教家、神秘家、瞑想指導者、精神指導者。宗教的ではあるが宗教の創始者ではない[1]。﹁宗教的﹂とは信仰を土台としない内面的探究、精神世界の求道であり、個の次元でしかないから宗教組織とは全くの圏外におかれる[1]。 真理の探究こそ第一の優先事項である、人間は全実存をかけて、まず第一に自らの生の源泉を探究することにその関心を寄せねばならない[2]、と言っている。
死の1年程前に自らの名をOsho︵和尚/オショー︶に変えており、現在は世界的にOsho︵オショー︶として広く知られている。
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Osho、1984年
東洋・西洋の宗教的な聖典や経典︵仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、老荘思想、チベット仏教、スーフィズム、禅など︶を題材にとり、それに古今東西の哲学や思想、現代西洋科学、心理学等を織り交ぜて独自の解釈を加え、魅力的でパラドックスに富んだ講話を行った[3]。講話は同じ教典に基づく10話で1シリーズの形式をとり、長いものでは10シリーズ以上にも及んだ。教典に基づく講話の翌日には弟子の質問︵投書︶に基づく質疑応答の講話が行われ、これが交互に繰り返された。インドの因習的伝統や組織宗教に対する批判を行い、セックスが超意識に至る手段になりえると説いて議論を巻き起こし、身体を重視するホリスティックな教え、タントラ的な﹁悟り﹂とそこに至る方法を教えた[4][5]。 セックスは石炭であり、一方ブラフマチャリア︿性超越﹀はダイヤモンドだと言いたい、性超越はセックスの変容だ[6]、と彼は説いた。 Osho自身は自身の思想の構造について明言していない[7][8]。西洋の前衛的なセラピーと東洋の修行法を並列的に扱って統合し、新しい瞑想法を創始し、精神世界のカリスマ、グル的存在として多くの西洋人・先進資本主義国の人間を惹きつけた[9][4][10]。
中川吉晴︵教育学︶はこう述べている――最近では、非二元の教えがひとつの流行になっているが、Oshoの教えの核心には非二元の思想がある。[11] 行動志向の現代人からは﹁くつろいでいるだけで本当によいのか﹂という声がかえってきそうだが、Oshoは、くつろいでいても﹁行為﹂は起こるという。[12] しかしそれは﹁やり手︵行為者︶﹂が引き起こす行動とは異なる。[13]
アメリカに移ってからはオレゴン州ワスコ郡に大きなスケールの先進的でエコロジカルなコミューン︵生活共同体︶ラジニーシ・プーラムを建設した[14][15]。団体が所有する土地にラジニーシ・プーラムを市として設立させ改名したため、地元の住民、オレゴン州政府と対立し[14][15]、オレゴン州と裁判で争った[15]。Oshoインターナショナルは現在も、ラジニーシはアメリカでの一連の出来事に非がないと考え、アメリカ政府の陰謀であり、現地住民の外国人差別による迫害だと激しく反論している[16]。
死後、Oshoの教えは弟子たちによって、外部との軋轢が少なくなるよう再編され、教えの中心的な要素が再構成されており、精神世界の探究者たちから広く受け入れられるようになった[17]。Oshoの身体を重視するホリスティックな教えと、東洋の瞑想と西洋の心理療法の統合は、現代の代替宗教に大きな影響を与えており、その講話集の多くは世界的なロングセラーとなり、近年ではOshoの評価は以前にも増して向上している[4]。
1975年に日本で最初にニューズレターの形で出版された講話録﹁存在の詩﹂[18]は1977年に単行本化[19]された後、ロングセラーを続けており、2020年に新装復刊[20]された。出版に際し翻訳者・星川淳と僧侶・藤田一照[21]の対談がネット配信され、多くの読者の好評を博した。
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コミューン居住の信者を前にロールスロイスを運転するラジニーシ
ラジニーシは21歳の時に悟りに至ったという[22]。彼は独立後の20世紀インドにおいて、最も論争の的になった人物の一人である[23]さ霊性の本質を統合する哲学を雄弁に語り、世界の諸宗教の神秘主義的伝統を紹介し、称賛された[24]。自らの思想を弟子に講話として語ったが、本は書かなかった。本は信奉者たちが彼の講話やインタビューを編集したものである[14]。現在入手可能な講話集だけで200冊以上、3500時間以上の録画ビデオがある。
瞑想に入るための準備としての悟りを目指す多様な瞑想を開発して指導した[25]。その思想は、多くの近現代のインドの聖者と同様に、ヒンドゥー教で伝統的な不二一元論と同じ構造を持つと評される[8][26]。ラジニーシ自身は﹁ブラフマンとアートマンの合一﹂あるいは﹁全体と個の合一﹂という考え方が自分の思想の中心であると断言しておらず、注がれるべき﹁エネルギー﹂が何であり、どこから来るのかということも断言していないが、足沢一成は、彼の断定を避ける態度は﹁自然であること﹂の重視と関連があると述べている[27]。
﹁心の自発性にまかせて自然に生きる﹂﹁個人の革命によって世界が変わる。そのためには自分自身が目覚めなければならない﹂と説き、悟りへの道のために個人の自由を尊重し、善悪は人工的に作られた相対的なものあると主張した[14][10]。﹁自分を愛する﹂﹁瞬間を生きる﹂といった教えはニューエイジに似ており、人間性心理学を特徴とするヒューマンポテンシャル運動の商業セラピー文化との関連が強い[14]。ヒューマンポテンシャル運動の中心地エサレン研究所と交流があり、フィンドホーン財団の書籍はラジニーシの活動や講話集を好意的にレビューし、普及に寄与した[14]。西洋の心理学と東洋の神秘主義の融合は、ヒューマンポテンシャル運動の中心テーマだったが、これはラジニーシが最も強みとするところだった[28]。弟子には高い教育を受けた外国人が多く、インドからの脱出、アメリカからの脱出の際に、2度も弟子たちに何も告げずに別れ、彼らを後にしているが、それでも2000人を超える弟子が常時彼のもとに集まってきた[29]。
講話の題材は、東洋・西洋の思想・宗教、現代西洋科学、心理学等で、それに独自の解釈を加え、ジョークやコメントを添えてつなぎ合わせている[3]。取り上げる多様な宗教や思想はそれぞれの体系があるため、それを時々でつなぎ合わせたラジニーシの講話には、全体としてみるとパラドックスに富んでおり、講話で説かれるの教えは時々で異なっている[3]。彼自身は矛盾を自覚しており、悟りは語ることができず、宗教は隠喩のみによって表現できるため、矛盾はすべからく生じるとしている[3]。取り上げる多様な題材の知識は必ずしも正確でないことが指摘されており、史実に囚われない本質を語った[14]。
晩年は21世紀に通用する宗教性は禅のみだ、と評価して、禅語録をもとにした禅シリーズの講話が連日語られた。その伝統や厳しい修行といった古い側面に囚われず、生き生きとした生命力と喜びにあふれた﹁いま、ここ﹂の新しいLIVE ZENを提唱した[14]
講話の一つ一つのエピソードはわかりやすく、全体としてみると悠久とした安心感をたたえ、弟子たちには言葉を超えて彼の臨在を内側に感じさせるものとなった。西洋文明は物質主義で心が満たされず、東洋文明は心だけで科学に欠け迷信に満ちているが、人類で初めてその両者の橋渡しをするのだと説き[30]、ゲシュタルト療法やエンカウンターグループといった西洋の前衛的なセラピーと、東洋の瞑想やクンダリーニヨーガ、座禅といったヒューマンポテンシャル運動にみられるあらゆる要素を並列的に扱ったその思想・実践は、多くの西洋人・先進資本主義国の人間を惹きつけた[9]。
1983年にアメリカのラジニーシ・プーラムに移ると、地元のキリスト教条主義者にとっては、覚醒のためなら何をやってもよい集団と映り、自分たちの性道徳や社会秩序が破壊されると危険視された[10]。そのため、地域住民と支持者の集団との軋轢が起きた。
現・Osho国際財団は、アメリカでの一連の出来事を、﹁ホワイトハウスから下された米国政府の謀略であって、意識的な生き方に基づく共同体という Osho のヴィジョンの妨害を目指すもの﹂﹁最初の日から現地の敵意によって完結した・・・外国人嫌悪を反映したもの﹂﹁醜い基本的人権の侵害﹂であり、理想都市を建設しようとする試みは﹁基本的にでっち上げにすぎないもの﹂によって阻害されたと反論している[16]。
玉川信明はこれだけのガッツのある天才的宗教家を世に紹介したい、これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である、と述べている。[31]p8
ムンバイ時代の誕生祭を記録した動画
1970年代より思想家からマスターへと移行し、弟子を受け入れるようになった[5]。1970年12月にボンベイに拠点を移した[17]。
呼吸への働きかけや身体の自由な動き、発声などを伴い、心理的な解放を志向した動的な技法︵アクティブ・メディテーション︶を編み出した。71年からの4年間は定期的に公共施設で瞑想キャンプを開いている[5]。
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プネーにて、1977年
当時広がりを見せていた、人間の可能性・潜在能力開発を探求するヒューマンポテンシャル運動を背景に、西洋からの訪問者のなかには、東洋の瞑想的な技法を追求するセラピストもおり、アーシュラムは教団運営のための日常業務とともに、心身統合的な各種のセラピーと瞑想的技法、各種の芸術活動を追求する場となった。アーシュラムは多くの西洋の代替療法のセラピストと協力し、実験の場となり、東のエサレン﹂と呼ばれた[14]。
1975年頃から日本でも知られるようになり、1977年に最初の邦訳講話録である﹃存在の詩﹄が精神世界系の出版社めるくまーるより出版された。本書は1997年までの20年間で、4万9千部売れた[53]。
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Oshoインターナショナルが運営する瞑想リゾート
ネオ・サンニヤシンたちは、ラジニーシが残したものを再編し、教えの中心的な要素を再構成して外部とのトラブルが少なくなるようにし、Oshoムーブメントは社会に定着した[17]。
Oshoインターナショナルは、古参の12名のネオ・サンニヤーシンによって運営されるようになった[66]。﹁インディアン・エクスプレス﹂誌が発行する雑誌﹁シチズン﹂によると、2000年時点で運営メンバーの半数がすでに入れ替わっている[67]。
コミューンは現在では清潔な水とプール、美しい庭園を売りにする﹁瞑想をアトラクションとしたディズニーランド﹂といった施設になり、﹁クラブ・メディテーション﹂と名乗っている[68]。特に1990年代以降、瞑想キャンプを実施し、各地に瞑想ができる高級リゾートを作り、インド人中間層にも受け入れられている[69]。3日~3か月の瞑想法、セラピー、ダンス、禅を標榜する極東武道、手かざし等のヒーリングなど200種類以上のコースが提供され、常時2000人以上のネオ・サンニヤーシンが集まり、コースに参加している[68]。教えられている手かざしのレイキは日本発祥だが、ドイツ人レイキマスターでOshoの弟子の Himani H. Gerber が発展させ、ラジニーシが﹁オショー・ネオ・レイキ﹂という名前与えたものだという[70]。外務省専門調査員の足沢一成は、コミューンはラジニーシの瞑想録を読んで、瞑想のために世界中から集まる者が、﹁自然であること﹂すなわち、社会や教育によって与えられた﹁抑圧﹂からの解放を亭受するための社会から切り放された楽園として機能している[71]、と述べている。
北アメリカと西ヨーロッパでは、ヨガや瞑想などの精神的トピックへの需要が高まっており、Oshoインターナショナルは、IBMやBMWなどの企業向けにストレス管理セミナーを開催し、2000年にはアメリカでも成功している[17]。
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思想と活動[編集]
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悟りと瞑想・セラピー[編集]
講話全体を見ると、ほとんどの西洋人は社会や教育によって抑圧されているため、その拘束力を取り除き、抑圧により過去に形成された﹁エゴ﹂である﹁わたし﹂を捨て去り、﹁自然であること﹂によって真の自己に至らなければならない、ということが説かれている[27][14]。ほとんどの個人的な問題は性的エネルギーの抑圧のせいだと主張した[14]。中川吉晴は、世界から離れているーこれがラジニーシの説いた生き方である。これは、社会生活や日常生活のすべてを瞑想にするということである、と評している。[32][要ページ番号] 決まった一つの体系を多様な個々人に与えることは﹁自然であること﹂に反するので、それぞれが自分に合ったセラピーを行い、エゴを取り除いて、自分に合った瞑想法で﹁悟り﹂に向かうことが目指される[27]。瞑想を実践としてだけでなく、信念と期待に縛られた条件付けによる機械的な反応という﹁眠り﹂から完全に﹁覚醒﹂した意識として示した[17]。上座部仏教のヴィパッサナー瞑想や、禅宗の座禅、チベット仏教の観想法などをアレンジし、100以上の瞑想のテクニックを開発した[33][17]。1時間ほどの瞑想を10~15分のユニットに分けて、動き、発声、感情の吐露を加えるといったアレンジの傾向は、セラピーの影響がうかがえる[33]。ラジニーシが作った瞑想法で一番有名なのは、深くて速くて乱雑な呼吸を行い、泣いたり叫んだりして感情を吐き出し、﹁フー、フー﹂というイスラム神秘主義の真言を唱えながらジャンプし、突然の静止、そしてダンスという1時間の﹁ダイナミック瞑想﹂である[34]。 中川吉晴は、ラジニーシはセラピーの要素を取り入れたダイナミック瞑想をはじめ、現代人向けに多くの瞑想法を開発したことで知られているが、瞑想が最終的に目的としているのは、たえず観照者にとどまるということであるとしている。[35]この点でラジニーシは仏教のヴィパッサナー瞑想をことのほか重視していた。[36]そして﹁瞑想﹂と呼ばれる実践をするときだけが瞑想なのではない、気づきを生の本質とすることが瞑想であると、くり返し語った。[37] “瞑想 meditation”という言葉は、“薬 medicine”、“医学的な medical” などと同じ語源から来ていて、医学というのが医療的なものであるのと同じように瞑想もやはり医療的なものであり、それはあなたを<全体>にしてくれ、あなたを統合し、健康にしてくれる[38]。とOshoは言う。精神医療現場で導入されている瞑想法[編集]
医学博士のイタリア人医師、フェデリコ・モンテッコ氏は、トスカーナ州に﹁Villaggio Globale﹂というコミュニティを設立し、瞑想の研究を行なっている。氏はこう語っている。﹁OSHO Dynamic Meditation®は、体、マインド、ハートの3つの部分に癒しと統合性を生み出すための最も科学的な方法のひとつです。これほどまでに方法論的かつ科学的に考え抜かれたものはありません﹂[39] 心理学、腫瘍心理学、精神医学の博士号を持つフロリアーナ・フォルミコーナ博士は、OSHO Dynamic Meditation®とOSHO Kundalini Meditation®を治療に用いている。患者の状態によってこれら二つの瞑想法を使い分けているが、OSHO Dynamic Meditation®は感情障害、不安障害、ヒステリー、被害妄想障害に適し、OSHO Kundalini Meditation®は重い症状を抱えるクライアントにも有効だと語っている。 [40] パーキンソン病の研究で博士号を取得したオランダ人のヤン・マリウス・ケッペリングは、生物学者であり、医師でもある。神経科医として働き、ドイツのヴィッテン・ヘルデッケ大学で分子薬理学の教授も務めている。これまで三冊の著書と80本以上の論文を執筆しているが、その中でOSHO Dynamic Meditation®についてこう語っている。﹁通常、瞑想というと、内省的な状態や、ヴィパッサナ瞑想のように呼吸を観察する状態を連想しますが、OSHO Dynamic Meditation®は、とても力強く即効性のあるものです。そのインパクトに完全に感銘を受けました﹂ [41] 米国ダラスに在住する精神科医Vyas, A博士は、Oshoが編み出したダイナミック瞑想の臨床効果を調査するために、実地研究を行い論文にまとめた。本研究は治験者が実際に瞑想を行い、ペアワイズ比較を用いて行われた。結論として、攻撃的行動、抑うつ状態、形質的危険性、感情的な疲労、役割の過負荷、心理的な緊張の大幅な減少が見られたと実証した。そして、心理療法として使用することができると示している。[42] ドイツのファフクリニーク・ハイリゲンフェルトという、精神療養所を運営しているヨアヒム・ガルスカ博士は、﹁ダイナミックは、私が知っているうちでももっともパワフルなテクニックのひとつです﹂と彼は言う。 精神医学者であるライナ・ファルク博士は、OSHO Dynamic Meditation®を、毎月21日間、患者たちに提供している。[43]タントラ[編集]
セックスに関するタントラ的な教えが、最も意見が分かれ、インドでも西洋でも批判されてきた[24]。ラジニーシはセックスのオーガズムは﹁悟り﹂のエネルギーに似ており、悟りのエネルギーの疑似体験になるので、むしろセックスは悟りにプラスであるとした[44]。 セックスにいつまでもとどまっているべきではないが、セックスを踏み台として用いることができる。それがタントラの意図するところだ[6]、と彼は説いた。 彼は性の4段階のモデルを作り、男女のエネルギーがエクスタシーによって合一する最終段階に至ることで︵または、これと他の方法との組み合わせで︶、覚醒することができると教えた[45]。 もし人間がセックスを正しく理解するなら人間はセックスを超える事ができる、人間はセックスを超えるべきだ[6]、と言う。悟り自体を知った人は、セックスで得られるような些細な快楽には興味を持たなくなるとしている[44]。﹁セックスはあなたの存在の最も低い中枢であり、サマディーは至高の、第七のはしごだ。性エネルギーは一段また一段と第七段階まで昇ってゆかなければならない。そこでそれは一千の花弁を持つハスのように花開く。性が変容されて初めて人はブッダになる[46]。﹂とOshoは言う。師弟関係[編集]
サニヤシン︵出家者︶は本来俗世の事柄をすべて捨てるものだが、世間の中にいながら染まらず、自然体で目覚める仏性に気づくように、弟子を﹁ネオ・サニヤシン﹂︵Neo-Sannyasin︶と呼んだ。ネオ・サニヤシンは世俗の事柄を捨てず、性的な禁欲もない[47]。 初期にはヒンドゥー教の伝統的な秘儀である﹁ダルシャン︵Darśana︶﹂を取り入れ、弟子たち一人ひとりに接見していた[33]。弟子との関係で最も重要なのは、師から弟子へ直接エネルギーを与えるエネルギー・ダルシャンだった[24]。師は﹁全体﹂に溶け去り、聖なるエネルギーの媒体として、そのエネルギーを弟子に与えることができ、弟子にエゴがなければエネルギーが注ぎ込まれるとした[48]。ダルシャンではライブ演奏や歌、踊りを行い、女性のメディウム︵伝達者︶を用いて弟子にエクスタシー的状況を経験させるようなエネルギーワークを行い指導していたが、接見する人数が増えた第1期プネー時代にはグループ単位になって重要性が薄まり、アメリカ時代には中断している[33]。ラジニーシの死後は、講話のビデオを使う﹁ホワイトローブブラザーフッド﹂という瞑想が毎日続けられている[24]。 ラジニーシは、弟子が師からエネルギーを与えられるために必要な﹁存在﹂への信頼を、﹁明け渡し﹂と表現している[48]。 ﹃明け渡しとは、私は分離していないと知ること、私は分離していないと悟ることだ。何も明け渡されるものはないし、すてられるものもない。あなたがふと目覚めると、ただの無意味な考え、夢は、もはやそこにはない。﹄と彼は言っている[46]。女性[編集]
﹁直観力、受容力、献身などの美徳ゆえに、女性はより容易にマスターに従い、瞑想の微妙なエネルギーに対して自らを開くことができる﹂とし、インドでは無知で不浄とされ、社会的にも霊的にも劣位に扱われる傾向のある女性を霊的に評価し、管理者として実務面もすぐれていると考えた[49]。多くの女性を団体の重要な位置につけたが、これは宗教の世界では非常に珍しい[49]。 ラジニーシは講話で、﹁母親になるという事は、この上もなく価値あるものを作り出している。あなたは生命を彫刻し、生命に形を与えている。子育ては深刻にならず陽気に受け止める事。あなたが深刻になってしまったら子供はあなたの深刻さを感じ、押しつぶされてダメになってしまう、子供に重荷を負わせてはならない。子供があなたを母親として選んでくれたことに感謝し、子供を通して自分の女性を開花させなさい。母親になることは祝福だ﹂と語っている[46][要ページ番号]。余興[編集]
アーチャーリヤ・ラジニーシと呼ばれていた初期の頃、彼はあらゆる戒律に反対していたが、次の﹁十戒﹂を示したことがある[50]。 1962年から1971年の間に、弟子と友人たちに向けて書いた手紙が書簡集として出版されている。その一通に以下の﹁十戒﹂が綴られている。 Love︵愛する者へ︶ あなたはわたしの﹁十戒﹂を教えてくれと言った。これはたいへん難しい。わたしはいかなる種類の戒律にも反対だからだ。それでも、ほんの余興のつもりで次のようにまとめてみた。 (一)内部から来るもの以外どんな命令にも従うべからず (二)唯一の神は生そのものである (三)真理は内にある、それを他のどこかに探すべからず (四)愛は祈りである (五)空︵くう︶は真理への扉である それは手段であり、目的であり、達成である (六)生はいまここにある (七)完全に目覚めて生きよ (八)泳がず、浮かび漂うべし (九)一瞬ごとに死に、一瞬ごとに新生すべし (十)探求をやめよ、在るところのものは在る 立ち止まり、そして見よ[51] 彼は7番、10番の2段目にアンダーラインを引いた。個々に合わせた指導が可能な融通があり、厳密なものではないが、これらは30年にわたる彼の運動のライトモチーフと言える[50]。来歴[編集]
初期[編集]
1931年12月11日、中央インドのマディヤ・プラデーシュ州の、人口700名ほどの小さな田舎町クチワダに、ジャイナ教の布商を営む商人の家に生まれたといわれる[52]。のちにラジニーシというあだ名をつけ、本名より使われるようになった[14]。若いラジニーシは自由思想家になり、宗教とタブーに反抗した。有名な無神論者になり、社会主義を調べ、催眠も学んだ[14]。 ジャバプール大学で哲学を専攻した[5]。大学生だった1953年3月21日に、人間の意識の最終的な段階に達し、光明を得た[5]。 ラジニーシはジャバルプール大学の哲学教授となり、1960年代にはインド各地で講演をし、﹁すべての行為や感情を抑圧することなく、ありのままの自分を受け入れ、瞬間、瞬間をトータルに覚醒することが必要である﹂と説き、宗教批判とともに、インドの因習的伝統や組織宗教に対する批判を行い、セックスが超意識に至る手段になりえると主張[5]し、彼の主張にほとんどすべてのインド人は大きなショックを受けたが、一部彼の思想に魅力を感じる人もいた。インド 第1期プネー[編集]
ムンバイでの一時期を経て、1972年にバグワン・シュリ・ラジニーシと改名、その直後にプネーにアーシュラムを設立し、拠点に定めた[4]。国外からの25万人ものメンバー︵うち3000人ほどが定住︶を集め、ラジニーシの周辺にはコミューン的な状況が生まれた[4]。ラジニーシはヒンディ語に加えて英語でも講話をするようになり、古今東西の宗教的または精神的な師や神秘家、あるいは注目すべき創始的な人物について語った。こうした流れは関心を集め、多くの人々を惹きつけると同時にセンセーショナルな報道や反発も少なくなかった。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Rajneesh_and_disciples_at_Poona_in_1977.jpg/250px-Rajneesh_and_disciples_at_Poona_in_1977.jpg)
アメリカ オレゴン州ラジニーシ・プーラム[編集]
1981年、アメリカに移住。93台以上のロールス・ロイスを購入したOshoは、﹁90台のロールスロイスが必要な理由など全くない。アメリカ全体にあらゆる超大金持ちのあいだに嫉妬をかきたて、もし彼らに十分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私の所に来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしただろう。嫉妬こそが彼らの問題だ﹂と語った[54][要ページ番号]。弟子たちは﹁アメリカの資本主義を茶化しているのだ﹂﹁霊性と唯物論に対する私たちの思い込みへの挑戦なのだ﹂と考えていた[55][14]。 Oshoは人類が滅亡するか、ブッダ︵覚醒者︶となり新たな存在として飛躍するかの分岐点にあたる偉大な実験であると考え、この共同体を覚醒のための共同体﹁ブッダフィールド﹂と呼んでいた[4]。ラジニーシ市の成立[編集]
1982年、アメリカからの旅立ち[編集]
Oshoは再び講話を行うようになり、弟子たちに話すようになった[56]。その内容にはシーラ批判が含まれていたようである[56]。1985年にシーラはアメリカ政府による逮捕が確実という情報を受けて西ドイツに去り、Oshoは彼女が去った翌日記者会見を開き、シーラが数百万ドルを盗み、彼女と数人のネオ・サンニヤシン、地元の政治家を殺害しようと企てたと非難し、彼らは自分の弟子ではなく旅の同行者に過ぎないと主張して、ラジニーシ運動のトップとしての役割を否定した[57]。ワールド・ツアー[編集]
1985年にアメリカからワールド・ツアーへと旅立った。インド 第2期プネー[編集]
彼の主治医デヴァラジは、Oshoがアメリカの刑務所でクリスチャンに毒を盛られたと考えて彼に語り、1987年11月にOshoは信者たちに、アメリカ政府のクリスチャンが刑務所にいる間にラジニーシを放射線に暴露しタリウム中毒にしたと話した[14]。 1987年、ラジニーシはエイズを危険な病気とみなし、アシュラム来訪者の全てにエイズの陰性証明書が求められるようになった[58] 死の2年前の1988年、ラジニーシは病気で死にかけて、ゴータマ・ブッダ︵仏陀︶またはブッダ・マイトレーヤ︵弥勒菩薩︶の霊の﹁乗り物﹂になったとされる[59]。この現象は、ゴータマ・ブッダの霊がゲストであり、ラジニーシがホストという関係で、ラジニーシはゴータマ・ブッダの霊を受け入れ、[59]。Oshoは談話を再開し、仏教・神道に関係のある日本の霊能者石田かつえ︵Osho Newsでは、彼女は日本中で有名なチャネラー︵霊媒︶であるとされている︶が彼がゴータマ・ブッダまたはマイトレーヤ・ブッダの﹁乗り物﹂になるヴィジョン見たと話し、﹁バグワン﹂という尊称を醜い言葉だと完全に否定して、自らを﹁ゴータマ・ザ・ブッダ﹂または﹁最愛の友人﹂と呼ぶように要求し、さらに﹁マイトレーヤ・ザ・ブッダ﹂であると宣言して呼称を変えた[59]。ラジニーシは、ゴータマ・ブッダは20世紀に適応できず去ったと発表すると、今度は﹁マイトレーヤ・ゾルバ・ザ・ブッダ﹂と名乗った[59]。 ﹁ゾルバ﹂は、ギリシャの作家ニコス・カザンザキスの小説﹃その男ゾルバ﹄の登場人物から取ったもので[59][60][61]、﹁ゾルバ・ザ・ブッダ﹂とは、仏陀の静けさとギリシャのゾルバの世俗的な快楽を併せ持つ﹁新しい人間﹂なのだという[62]。 1888年には禅に興味を集中するようになった。1989年2月から再び病気になり、弟子たちは彼をオショー・ラジニーシと呼ぶようになった[63]。さらにOshoに変えた。健康状態の悪化により1989年4月に談話を中止し、弟子たちに詳細なデザインを渡して新しい大理石の寝室を作るように命じ、そこで短い期間過ごした[57][14]。Oshoは1990年1月19日に死去した。最後の言葉を、ブッダの言葉﹁サマサティ﹂︵正眼、意識︶で締めくくっている。[64][要ページ番号] 公式に発表された死因は心不全だったが[14]、教団は彼の死はアメリカ政府が拘留中に食べ物に遅効性の毒をもったためであるとし、信者たちはアメリカ政府によって毒殺されたという話を広めた[65][14]。遺体は死去した日に火葬されており、毒殺に関する真偽は不明である[65]。死後[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/Osho_International_Meditation_Resort.jpg/280px-Osho_International_Meditation_Resort.jpg)
呼称の変遷[編集]
モーハン・チャンドラ・ジャインとしてインドに生まれた。︵出版された本では、本名はモーハン・チャンドラ・ラジニーシとなっている。︶ジャインはジャイナ教の﹁ジャイナ﹂の現代インド語読みでジャイナ教徒の姓、﹁王﹂を意味する﹁チャンドラ﹂は、インドの慣習から父の名であると思われる[72]。﹁月﹂を意味する﹁ラジニーシ﹂というあだ名は、現代インドではあまり見られない名前である[72]。 1966年に大学を退職して﹁思想演説家﹂として、﹁先生﹂という意味のタイトルを冠して﹁アーチャーリヤ・ラジニーシ﹂と名乗って活動を始めた[72]。71年には自分の名称を﹁アーチャーリヤ﹂から﹁バグワン・シュリー﹂に変えた[72]。バグワンは﹁神﹂という意味で、﹁シュリ﹂は﹁聖なる﹂という意味である[72]。 晩年の1988年にラジニーシは、ゴータマ・ブッダ︵仏陀︶またはブッダ・マイトレーヤ︵弥勒菩薩︶の霊が体に入ったと考え﹁ゴータマ・ザ・ブッダ﹂を名乗り、﹁マイトレーヤ・ザ・ブッダ﹂﹁シュリ・ラジニーシ・ゾルバ・ザ・ブッダ﹂と次々に名を変えた[59][61]。 ラジニーシが晩年興味を持ったテーマは禅であり、その禅の講話のことばから、死の前年の1989年には弟子たちが﹁Oshoラジニーシ﹂と呼ぶようになり、禅宗の﹁和尚﹂から取り﹁Osho﹂と名乗るようになった[73][63]。現在は著作も概ねOshoで出版されている。﹁Osho﹂の由来[編集]
概ね禅宗の﹁和尚﹂から取ったと理解されているが、2020年時点のOshoインターナショナルのホームページでは、ウィリアム・ジェームズの﹁オーシャニック︵oceanic、大洋的︶﹂に由来するとされている[74]。オショーは﹁オーシャニック﹂体験者を指す言葉と説明され、個人の名前ではなく波の音であり﹁癒しの音﹂であり、ひとりの﹁オーシャニック﹂体験者なのだとされる[74]。 ︵自分・自分たちは何か大きなものとつながっているという感情・一体感は、大洋の上で感じやすいことから﹁oceanic﹂と形容される。なお、ウィリアム・ジェームズは﹁大洋的体験﹂と呼ばれるような一種の神秘的体験を﹁mystical experience︵神秘的体験︶﹂と呼んでおり、大洋的という言葉はジェームズが作ったのではなく、ロマン・ロランがフロイトへの書簡で使ったものである[75][76] ︶参加者[編集]
弟子たちは、ラジニーシは覚醒者であり、自分たちを悟りに導くマスターだと認識している[22]。1985年まで、弟子になるには、改名し、マルーン色のローブや赤系統の服を常に身に付け、首からはマラとよばれるラジニーシの写真のはいったロケットをつるした数珠をさげ、1日に1度は瞑想をすることが条件だった[22][53]。現在でもネオ・サンニヤシンたちは、︵生前はラジニーシから︶サンスクリット語の名前サニヤス・ネーム︵法名︶を授かり、仲間同士その名前で呼びあっている[53]。講話録の翻訳者名にも、サニヤス・ネームが多くみられる。批評[編集]
彼はジャイナ教、ヒンドゥー教、ユダヤ教のハシディズム、タントリズム、道教、キリスト教、仏教などの主要な宗教の伝統、東洋と西洋のさまざまな神秘主義者たち、ヒンドゥー教のウパニシャッドやシク教のグル・グラント・サーヒブといった聖典を題材に語った。社会学者ルイス・F・カーターは、彼の思想をヒンドュー教の不二一元論に基づくと考えている[17]。 西洋のアイデアも取り入れており、対立するものの統一という考え方はヘラクレイトスを思わせ、無意識と神経のパターンの表出に行動を支配された機械として人間をとらえる考え方は、フロイトやグルジェフと多くの共通点を持っている。Oshoの﹁新しい人間﹂というヴィジョンは、ニーチェの﹁善悪の彼岸﹂を連想させる。性的欲求の抑圧に精神不調の原因を見出す考え方はヴィルヘルム・ライヒのライヒ派セラピーの影響があると思われ、性的解放に関する見解はD・H・ローレンスと比される[25][17]。ダイナミック瞑想はライヒに負うと思われる[17]。著作家の長澤靖浩は、インド思想を再発見しグノーシス主義を内包する神智学協会の神智学の影響を受けた思想的潮流があり、Oshoはそれらの思想的達成を継承する形で、マスターとしての道を歩み始めたのにはちがいないと述べている[77]。同時代のインド人精神教師のジッドゥ・クリシュナムルティはOshoを認めなかったが、2人の思想には明らかな類似点がある[17]。 1970年代後半に弟子になったドイツ人哲学者のペーター・スローターダイクは、Oshoを20世紀で最も重要な人物の一人と考えて﹁宗教のヴィトゲンシュタイン﹂と呼び、世界の伝統において、言語ゲームによる急進的な脱構築を演じているのだ、と分析した[17]。ヒンドゥスタン・タイムズの元編集者クシュワット・シンは、インドによって育まれた最も独創的な思想家で、博識で、明晰で、革新的な人物であり、神、預言者、聖典、宗教的慣習といった宗教の伝統をあざけり、機知にとんだ逸話を伴うわかりやすい講話で宗教に新しい次元を与えた﹁自由思考の不可知論者﹂と見なし、称賛した[17]。 支持者からは、自由と覚醒の中に生き続けることを教える<目覚めた者>、<光明を得た者>と呼ばれた[78][要ページ番号]。イギリスの﹁サンデータイムズ﹂の﹁二十世紀を作った千人﹂[いつ?]の一人と評された[79][要ページ番号]。西洋のニューエイジに影響を与えており、死後評価は上がってきている[17]。インドでも存命時は受け入れられなかったが、生前より評価が高くなっている[17]。 エリザベス・パティックは、Oshoの性の教えはただの自由恋愛の免罪符ではなく、タントラを心理学と統合することで、現代の西洋人が受け入れ学べるものとして提示したと評価した[80]。 グルジェフとOshoの類似性は、多くの第三者や支持者によって指摘されている。アメリカの作家トム・ロビンスは、Oshoの公式サイト Osho.com に引用され続けている文章で、﹁ウィットと遊び心は非常に重要な悪の超越であり、私が思うに、Oshoはこの一点に関して、同時代の誰よりも深い理解を持っていた。グルジェフの教えにはその要素があったが、過去50年でオショーほど遊び心と機知の価値を知っていた人はいない﹂と評し、彼の言葉は扇動的なだけでなく、支配欲の強い人々を脅かす真実性を持つがゆえに﹁イエス・キリスト以来、最も危険な男である﹂と称賛している[81][82]。ラジニーシ・プーラム[編集]
当時米国の連邦検事であったチャールズ・ターナーとデイヴ・フロンマイヤー検事総長は、﹁ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為について、︵ラジニーシが︶関与をしていたという証拠はなかった﹂と認めている[83]。 ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはずであるが、実際には有罪どころか訴追もされていない。参照されている足達好正文献のソース︵Seth Carus︶には﹁承知していた﹂と断定できるような記述は見当たらない。|date=2020年10月}}ドキュメンタリー[編集]
ラジニーシ・プーラムの驚異的な成功と破滅を追ったNetflixのドキュメンタリー・シリーズ﹁ワイルド・ワイルド・カントリー︵Wild Wild Country︶﹂︵全6話︶が、2018年に第70回エミー賞5部門にノミネートされ、米国内で注目を集めた[84]。ラジニーシの思想や教えには踏み込まず、関係者を追う形をとっている[84]。映画とテレビを評価統計するサイト﹁Rotten Tomatoes﹂では、公開半年時点でのスコアは98%と高い[84]。RogerEbert.comの評論家のニック・アレンは、本作を﹁善と悪の複雑な定義を観客に問いかける、奥深く魅惑的な作品﹂と絶賛した[84]。 Oshoインターナショナルは、﹁残念なことに、ドキュ︵メンタリー︶シリーズは中心的な局面を究明していないために、ストーリーの背後にある真実のストーリーを明確に報告していません。本質的には、これはホワイトハウスから下された米国政府の謀略であって、意識的な生き方に基づく共同体という Osho のヴィジョンの妨害を目指すものでした。﹂と反論している[16]。日本語書籍[編集]
講話録[編集]
- バグワン・シュリ・ラジニーシ(ラジネーシ )名義
- 『存在の詩―バグワン・シュリ・ラジニーシ』ニューズレター第一号 アッシーシ・ラジニーシ瞑想センター 1975http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/5-1e18.html
- 『存在の詩―バグワン・シュリ・ラジニーシ、タントラを語る』スワミ・プレム・プラブッダ(星川淳)訳 (めるくまーる、1977年、ISBN 4-8397-0001-X)
- 『究極の旅―バグワン・シュリ・ラジネーシ、禅の十牛図を語る』スワミ・プレム・プラブッダ訳 (めるくまーる、1978年、ISBN 4-8397-0002-8)
- 『草はひとりでに生える』マ・アナンド・ナルタン(中沢藤胡)訳(ふみくら書房、1978年)
- 『Tao 永遠の大河―バグワン・シュリ・ラジニーシ、老子を語る(1,2,3,4)』 スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる、1979-1982年)
- 『生命の歓喜―バグワン・シュリ・ラジネーシとの対話 ダルシャン日誌』(ラジネーシ・パブリケイション・ジャパン、1980年)
- 『あなたが死ぬまでは』マ・アナンド・ナルタン訳 (ふみくら書房、1980年)
- 『あなたが死ぬまでは』(和尚エンタープライズジャパン、1997年、ISBN 4-900612-23-5)
- 『般若心経―バグワン・シュリ・ラジ二ーシ、色即是空を語る』スワミ・プレム・プラブッダ訳 (めるくまーる、1980年)
- 『マイウェイ―流れ行く白雲の道』マ・アナンド・ナルタン訳 (ラジネーシ・パブリケイション・ジャパン、1980年)
- 『瞑想―祝祭の芸術』 スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (めるくまーる、1981年、ISBN 4-8397-0009-5)
- 『愛の錬金術―隠されてきたキリスト(上・下)』マ・アナンド・ナルタン訳(めるくま-る、1981年)
- 『セックスから超意識へ』スワミ・アナンド・ニラーラ訳 (ラジニーシ・パブリケーションズ・ジャパン 1982年)
- 『虚空の舟―荘子 (上・下)』マ・アナンド・ナルタン訳 (ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン 1982年)
- 『バウルの愛の歌 (上・下)』スワミ・サンギート訳(めるくまーる 1983年・1984年)
- 『オレンジ・ブック―バグワン・シュリ・ラジニーシの瞑想テクニック』スワミ・トシ・ヒロ訳 (ホーリスティック・セラピー研究所、1984年)
- 『オレンジ・ブック』(めるくまーる、1995年、ISBN 4-8397-0025-7)
- 『ダイヤモンド・スートラ-バグワン・シュリ・ラジニーシ金剛般若経を語る』スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳(瞑想社、1986年)
- 『新人権宣言―バグワン・シュリ・ラジニーシ基本的人権を語る』スワミ・ヤスヒデ、スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (瞑想社、1986年)
- 『英知の辞典』スワミ・アナンド・ソパン(めるくまーる、1996年)
- 『魂への犯罪―バグワン・シュリ・ラジニーシ聖職者と政治家を語る』(イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン、1987年)
- 『一休道歌 上』スワミ・アナンド・モンジュ訳 (めるくまーる、1987年、ISBN 4-8397-0036-2)
- 『一休道歌 下』スワミ・アナンド・モンジュ訳 (めるくまーる、1988年、ISBN 4-8397-0037-0)
- 『マイトレーヤ―バグワン・シュリ・ラジニーシ、ザ・ブッダ・ロード・マイトレーヤ』 スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (瞑想社、1988年)
- 『大いなる挑戦―黄金の未来』創造的科学と芸術と意識の世界アカデミー日本準備委員会 監修(ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1988年)
- 『ニュー・ウーマン誕生 : A new vision of women's liberation』(ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1988年)
- 『信心銘』スワミ・パリトーショ訳 (禅文化研究所、1989年、ISBN 4-88182-073-7)
- 『ゴールデン・チャイルドフッド―光輝の年代 : シュリ・ラジニーシ幼年期を語る』スワミ・パリトーショ訳 (ラジニーシ・エンタープライズ・ジャパン、1989年)
- 『新人類―未来への唯一の希望』 スワミ・パリトーショ、スワミ・キャル訳 (瞑想社、1989年)
- 『アイ・アム・ザ・ゲート 秘儀伝授と弟子の意味』 武捨宏昭訳 (パブフル、2020年)
- オショー・ラジニーシ / 和尚ラジニーシ / 和尚 / OSHO 名義
- 『ア・カップ・オブ・ティー―オショー・ラジニーシ初期書簡集』スワミ・プレム・プラブッダ、スワミ・アナンド・ソパン訳 (めるくまーる、1989年)
- 『死・終わりなき生―オショー・ラジニーシ講話録』(講談社、1989年、ISBN 4-06-203569-3)
- 『モジュッド : 説明できない生を生きた人―和尚スーフィーを語る』マ・アンタール・コマルタ編、スワミ・アナンド・ニラーラ訳(和尚エンタープライズジャパン、1990年)
- 『ニーチェ―和尚ラジニーシ、ニーチェを語る』スワミ・アナンド・ニサルガム、小森健太朗訳 (全国エルピー・プル狂連、1990年)
- 『坐禅和讃―和尚ラジニーシ、白隠禅師を語る』スワミ・プレム・ラジャ、スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳 (瞑想社、1990年)
- 『反逆のスピリット』スワミ・デヴァ・マジュヌ、マ・デヴァ・ヨーコ他訳 (めるくまーる、1990年、ISBN 4-8397-0057-5)
- 『臨済録』スワミ・アナンド・モンジュ訳 (めるくまーる、1991年、ISBN 4-8397-0061-3)
- 『狂人ノート』マ・アナンド・ナルタン訳、マ・アナンド・プシュポ編 (和尚エンタープライズジャパン、1991年、ISBN 4-900612-08-1)
- 『私が愛した本〛スワミ・パリトーショ訳 (和尚エンタープライズジャパン、1992年)
- 『空っぽの鏡・馬祖』(壮神社、1992年、ISBN 4-915906-01-9)
- 『道元―その探求と悟りの足跡』スワミ・アンタール・ガータサンサ訳 (和尚エンタープライズジャパン、1992年)
- 『未知への扉―和尚、秘教グループを語る』 スワミ・アナンド・モンジュ訳 (瞑想社、1992年)
- 『タントラ―セックス、愛、そして瞑想への道』 スワミ・アナンド・チダカッシュ訳 (和尚コーシャ瞑想センター、1992年)
- 『新瞑想法入門―和尚ラジニーシの瞑想法集大成』スワミ・デヴァ・マジュヌ訳 (瞑想社、1993年、ISBN 4-8397-0070-2)
- 『これこれ千回もこれ―禅のまさに真髄』スワミ・アナンド・ソパン訳 (和尚エンタープライズジャパン、1993年)
- 『内なる宇宙の発見―呼吸・夢の超越・やすらぎ <タントラ秘宝の書1>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ(田中ぱるば)訳 (市民出版社、1993年)
- 『秘教の心理学』スワミ・プレム・ヴィシュダ訳 (瞑想社、1994年)
- 『生・愛・笑い』(めるくまーる、1994年、ISBN 4-8397-0049-4)
- 『ノーマインド―永遠の花々』スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳、スワミ・アナンド・ソパン照校 (壮神社、1994年、ISBN 4-915906-11-6)
- 『源泉への道―中心へ向かう・ハートの開発 <タントラ秘宝の書2>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1994年)
- 『第三の眼―見る技法・ブッダの愛 <タントラ秘宝の書3>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1994年)
- 『ダンマパダ』 沢西康史訳(瞑想社、1994年)
- 『ボーディダルマ』(めるくまーる、1994年、ISBN 4-8397-0079-6)
- 『沈黙の音―音を対象とした瞑想技法 <タントラ秘宝の書4>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
- 『愛の円環―宇宙的オーガズム <タントラ秘宝の書5>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
- 『TAO―老子の道〈上〉』(めるくまーる、1995年、ISBN 4-8397-0081-8)
- 『TAO―老子の道〈下〉』(めるくまーる、1995年、ISBN 4-8397-0082-6)
- 『覚醒の深みへ―エネルギーの上昇 <タントラ秘宝の書6>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1995年)
- 『光と闇の瞑想―存在への回帰 <タントラ秘宝の書7>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1996年)
- 『覚醒の炎 <奇跡の探求 : 和尚初期瞑想キャンプの講話1>』 和尚サクシン瞑想センター訳(市民出版社 1996年)
- 『存在とひとつに―ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書8>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1997年)
- 『生の神秘-ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書9>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1997年)
- 『空の哲学-ヴィギャン・バイラヴ・タントラ <タントラ秘宝の書10>」スワミ・アドヴァイト・パルヴァ訳 (市民出版社、1998年)
- 『イーシャ・ウパニシャッド―存在の鼓動』スワミ・ボーディ・マニッシュ訳 (市民出版社、1998年、ISBN 4-88178-165-0)
- 『七身体の神秘 <奇跡の探求 : 和尚初期瞑想キャンプの講話2>』 和尚サクシン瞑想センター訳 (市民出版社、1998年)
- 『七つのチャクラの神秘 <奇跡の探求 : 和尚初期瞑想キャンプの講話2>』和尚サクシン瞑想センター訳 (市民出版社、2016年)
- 『私の愛するインド―輝ける黄金の断章』 スワミ・プレム・グンジャ訳、マ・ジヴァン・アナンディ照校 (市民出版社、1999年)
- 『知恵の種子』(市民出版社、1999年、ISBN 4-88178-171-5)
- 『無水無月』(市民出版社、1999年、ISBN 4-88178-167-7)
- 『黄金の華の秘密』(めるくまーる、1999年、ISBN 4-8397-0099-0)
- 『夜眠る前に贈る言葉』 (市民出版社、1999年)
- 『タントラの変容―サラハの王の歌』(市民出版社、2000年、ISBN 4-88178-177-4)
- 『隠された神秘』(市民出版社、2000年、ISBN 4-88178-174-X)
- 『朝の目覚めに贈る言葉』 (市民出版社、2000年)
- 『エンライトメント―神秘家・アシュタヴァクラ : ただひとつの変革』スワミ・アンタール・ソハン訳 (市民出版社、2003年)
- 『インナー・ジャーニー―内なる旅』マ・アナンド・ムグダ訳 (市民出版社、2005年)
- 『そして花々が降りそそぐ―和尚講話録』 マプレムプラバヒ、和尚サクシン瞑想センター訳(市民出版社、2005年)
- 『古代の奥義書ウパニシャッドを語る <究極の錬金術 1・2>』 スワミ・ボーディ・イシュワラ訳 (市民出版社、2006年)
- 『魂の科学-パタンジャリのヨーガ・スートラ』 沢西康史訳 (LAF瞑想社、2007年)
- 『こころでからだの声を聴く―ボディ・マインド・バランシング』 マ・アナンド・ムグダ訳 (市民出版社、2007年)
- 『神秘家の道-珠玉の質疑応答録』 スワミ・パリトーショ訳、スワミ・アドヴァイト・パルヴァ, マ・ギャン・シディカ照校 (市民出版社、2009年)
- 『愛の道-神秘家・カビールを語る』 スワミ・プレム・グンジャ訳、マ・アナンド・ムグダ, マ・ギャン・プーナム照校(市民出版社、2013年)
- 『Joy 喜び』 山川紘矢訳 (角川書店、2013年)
- 『死ぬこと生きること』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ(宮川義弘)訳、マ・アナンド・ムグダ、マ・ギャン・シディカ照校(市民出版社、2014年)
- 『Courage 勇気』 山川紘矢・山川亜希子訳 (KADOKAWA、2014年)
- 『真理の泉』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳(市民出版社、2016年)
- 『Intuition 直観』 山川紘矢・山川亜希子訳 (KADOKAWA、2016年)
- 『ブッダ―最大の奇跡 <超越の道シリーズ1>』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳、マ・ギャン・プーナム照校(市民出版社、2019年)
- 『瞑想録―静寂の言葉』 中原邦彦・庄司純訳 (季節社、2019年)
- 『あなたの魂を照らす60の物語』 Amy Okudaira訳 (大和書房、2019年)
- 『心理学を超えて1』 スワミ・ボーディ・デヴァヤナ訳 (市民出版社、2019年)
- 『存在の詩―バグワン・シュリ・ラジニーシ、タントラを語る』スワミ・プレム・プラブッダ(星川淳)訳 (めるくまーる、1977年、ISBN 978-4-8397-9C0010)
解説[編集]
- 玉川信明著 『和尚の超宗教的世界 トランスパーソナル心理学との相対関係』(社会評論社、2001年)
- 玉川信明著 『和尚、禅を語る』(社会評論社、2002年)
- 玉川信明編著 『和尚、性愛を語る』 (社会評論社、2003年)
- 玉川信明編著 『和尚、聖典を語る』 (社会評論社、2003年)
雑誌[編集]
- 『Rajneesh times international(ラジニーシ・タイムズ・インターナショナル)』イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン株式会社 編、イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン、Vol.1(20 Dec. 1987)~15号(1 Oct. 1989)
- 『Osho times international(和尚タイムズ・インターナショナル)』 和尚ジャパン 編、イア・ラジニーシ・ネオ・サニヤス・コミューン (16号-17号) → 和尚イア・ネオ・サニヤス・コミューン (18/19号-88号) → オージェーインスティテュート (89号-95号)、刊行終了
脚注[編集]
補注[編集]
出典[編集]
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参考文献[編集]
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書籍 ●Osho (2010). Zen: Take it Easy︵禅‥気軽に︶. Diamond Pocket Books ●Oliver Klatt (2007). Reiki Systems of the World: One Heart - many Beats︵世界のレイキシステム‥たくさんの鼓動を打つひとつのハート︶. Lotus Pr ●マックス・ブレッカー﹃Osho アメリカへの道-砂漠の実験都市ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相﹄﹁OSHOアメリカへの道﹂プロジェクト訳、めるくまーる、2005年 ●マ・プレム・シュンニョ﹃和尚と過ごしたダイアモンドの日々﹄ マ・プレム・ソナ訳、和尚エンタープライズ・ジャパン、1994年 ●ラジニーシの側近でのち離反した人物の回想録。ブレッカー﹃Osho アメリカへの道﹄によるとヒュー・ミルン﹃ラジニーシ ― 堕ちた神﹄は名誉毀損で訴えられている。 ●ヴァサント・ジョシ ﹃反逆のブッダ バグワン・シュリ・ラジニーシの軌跡﹄スワミ・プレム・プラブッダ訳、めるくまーる、1984年 ●和尚﹃ア・カップ・オブ・ティー オショー・ラジニーシ初期書簡集﹄スワミ・プレム・プラブッダ, スワミ・アナンド・ソパン 訳、めるくまーる、1995年。 ●中川吉晴﹃OSHO﹁存在の詩﹂タントラを語る﹄p137﹁サンガジャパン Vol.23﹂株式会社サンガ 2016年 ●AUTOMOBILE﹄QUarterly Magazine Volum﹃e XXIV,Number 4 Fourth Quater 1986 USA ●長澤靖浩﹃魂の螺旋ダンス﹄p197 第三書館 2004年 ●藤田一照﹃アップデイトする仏教﹄幻冬舎 2013年 ●日家ふじ子﹃自分という名の迷宮 インナーラビリンス﹄めるくまーる 2016年ウェブ ●“Osho is recognised as Maitreya Buddha, and changes his name︵オショーはマイトレーヤ・ブッダであるとされ、名前を変えた︶”. Osho World. 2020年5月30日閲覧。 ●“Name-change to Osho︵オショーへの改名︶”. Osho World. 2020年5月30日閲覧。 ●“Osho とはどんな人ですか?”. OSHO International Foundation. 2020年5月17日閲覧。 ●“ワイルド・ワイルド・カントリー ストーリーの背後にあるストーリー”. OSHO International Foundation. 2020年6月4日閲覧。 ●“From Bhagwan to Osho: The story︵バグワンからオショーへ‥その経緯︶”. The Sannyas Wiki. 2020年5月30日閲覧。 ●Ma Vivek. “ABOUT OSHO︵オショーについて︶”. MediBreath. 2020年6月1日閲覧。 ●“Gyan Sharno (Katsue Ishida)︵ギャン・シャルノ︵石田かつえ︶︶”. Osho News (2015年7月7日). 2020年5月30日閲覧。 ●“Trademark Information - OSHO Trademarks︵商標情報 - OSHO 商標︶”. OSHO International Foundation (2012年2月20日). 2020年5月13日閲覧。