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北川忠信

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  15701661[ 1]

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7西3[1]

55[1]

151[1][2]

退3[1]91633[4]

166192[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 小島一男『会津人物事典 (武人編)』は実名を不明とする[1]が、『異本塔寺長帳』によれば実名は忠信である[2]
  2. ^ 天正15年(1587年)9月に蒲生氏郷とその家臣団が近江日野にある馬見岡綿向神社に対する勧進に応じた際に作成された奉加帳に氏郷が1,000疋、町野繁仍が200疋に次ぐ、100疋(蒲生郷安玉井貞右と同額)を納めた「北川新左衛門尉」という人物が記載されている。金額の多少と家中における地位はほぼ対応すると考えられ、北川氏の地位の高さを物語る[3]。「北川新左衛門尉」については、(初代)平左衛門の子である忠信の可能性もあるが、現時点では詳細は不明である

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 小島一男、1995、「「北川平左衛門」」、『会津人物事典 (武人編)』、歴史春秋社 pp. 148-149
  2. ^ a b c 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P254-255.
  3. ^ 伊藤真昭「蒲生氏と豊臣政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第二節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P106-108.
  4. ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P269-271.