坂本春猪
坂本 春猪︵さかもと はるい︶ / 三好 登美︵みよし とみ、天保14年12月14日︵1844年2月2日︶ - 大正4年︵1915年︶7月22日︶は、江戸時代末期︵幕末︶から大正時代にかけての女性。坂本清次郎︵三好清明︶[1]の妻。坂本権平の長女、母は川原塚堅作の娘の千野。
文久3年︵1863年︶、土佐藩士鎌田実清の次男で父のはとこに当たる清次郎を婿に迎える。清次郎との間には元治元年︵1864年︶長女・鶴井、慶応元年︵1865年︶次女・兎美を産んでいる。その後、夫の清次郎が三好賜︵後に清明︶と改名するにあたって自身も三好登美と改名する。その後は三好家の長男・譲、長女・亀代をもうけた。夫の死後は、血縁上は従弟で鶴井の嫁ぎ先で義弟でもある坂本直寛を頼って札幌へ赴くも、後に高知へ帰り、亀代の嫁ぎ先である楠瀬済の家で晩年を過ごした。
なお、叔父である坂本龍馬とは歳が8つしか離れていなかったためか、兄妹のように懇意な間柄であったという。