坂野兼通
坂野 兼通︵ばんの かねみち、文久3年12月12日︿1864年1月20日﹀ - 昭和6年︿1931年﹀8月12日︶は、日本の銀行家。元山口合資会社理事長。
人物・経歴[編集]
尾張国名古屋出身[1]。1888年高等商業学校︵現一橋大学︶卒業、三菱合資会社銀行部入行。三菱合資会社銀行部大阪支店長を経て[2]、1910年に町田忠治の後任として山口銀行上席理事に就任[3]。1914年日本生命保険監査役[4]。1918年大阪貯蓄銀行取締役[3]。山口銀行の近代化を進めた。1924年には山口銀行筆頭常務を退任し、以降山口合資会社理事に専念し[5][1]、山口合資会社理事長も務めた[3]。1929年共同火災海上保険取締役会長[6]。親族[編集]
ファミリア創業者の坂野惇子は、七男通夫の妻[7][2]。長女の芳子は、衆議院議員横井時雄四男柳瀨存の妻[8]。脚注[編集]
(一)^ ab坂野 兼通︵読み︶バンノ カネミチ20世紀日本人名事典﹁坂野 兼通﹂の解説
(二)^ ab坂野兼通 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報﹃人事興信録﹄データベース
(三)^ abc三島康雄﹁山口財閥の発展と解体:-中規模金融財閥の研究-﹂﹃経営史学﹄第18巻第2号、経営史学会、1983年、23-51,ii、doi:10.5029/bhsj.18.2_23、ISSN 0386-9113、NAID 130001597230。
(四)^ [1]渋沢社史データベース
(五)^ 坂野兼通︵読み︶ばんの かねみちデジタル版 日本人名大辞典+Plus﹁坂野兼通﹂の解説
(六)^ 同和火災海上保険(株)﹃同和火災50年史. 資料集﹄(1995.03)渋沢社史データベース
(七)^ ビジネスの裏側 ﹁秋まで待てない﹂朝ドラ 今度のモデルは神戸のお嬢様…あさが来た級経営者、ヒロインの波乱万丈の人生は産経WEST2016/4/7
(八)^ 柳瀨存 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報﹃人事興信録﹄データベース
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