堀内真直
ほりうち まなお 堀内 真直 | |
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別名義 | 堀内 真那夫 |
生年月日 | 1910年10月7日 |
没年月日 | 1980年5月16日(69歳没) |
出生地 | 長野県上高井郡綿内村(現長野市) |
国籍 | |
職業 |
映画監督 脚本家 |
ジャンル | 現代劇、テレビ映画、特撮 |
活動期間 | 1940年 - 1980年 |
主な作品 | |
『魔神バンダー』 |
堀内 真直︵ほりうち まなお、1910年10月7日 - 1980年5月16日︶は、日本の映画監督、脚本家である。松竹大船撮影所のプログラムピクチャーの名手として知られ、松竹退職後のテレビ映画においても、手腕を発揮した。
人物・来歴[編集]
1940年︵昭和15年︶11月16日、満30歳のとき、松竹下加茂撮影所において、古野栄作との共同監督作﹃権三と助十﹄で、﹁堀内真那夫﹂の名で監督デビューしている。 第二次世界大戦後、松竹大船撮影所では、主に佐々木康監督の助監督を務め、1950年に公開された川島雄三監督の﹃夢を召しませ﹄では、チーフ助監督を務め、1952年︵昭和27年︶6月15日には、再度﹃父帰る﹄で監督に復帰した。翌1953年︵昭和28年︶に松竹大船撮影所に入社した、現在小説家の高橋治が助監督時代に堀内に師事している。 1965年︵昭和40年︶2月13日、監督作﹃サラリーマンの勲章﹄を最後に松竹大船撮影所を定年退職する。松竹京都撮影所出身のプロデューサー杉山茂樹の﹁蜂の巣プロ﹂で﹃我が青春﹄を撮り、どう作は同年4月28日に松竹系で公開されている。 テレビ映画には、1964年︵昭和39年︶8月31日 - 1965年1月25日に放映された﹃〆めて七貫﹄で経験済み、1967年︵昭和42年︶から、ライオン奥様劇場﹃女のいのち﹄で本格的にテレビ映画に進出した。1970年︵昭和45年︶には、﹃日本怪談劇場﹄、﹃おさな妻︵麻田ルミ版︶﹄を手がけた。 1980年︵昭和55年︶5月16日、死去する。69歳没。遺作は、1979年︵昭和54年︶6月20日 - 9月19日、東京12チャンネル︵現テレビ東京︶で放映された﹃日本名作怪談劇場﹄であった。おもなフィルモグラフィ[編集]
- 権三と助十 (松竹下加茂、1940年11月16日)
- 父帰る (松竹大船、1952年6月15日)
- 東京やんちゃ娘 (松竹大船、1953年1月3日)
- 海流 (松竹大船、1959年8月30日)
- ばりかん親分 (松竹大船、1963年11月17日)
- 花の罪 (テレビ映画、1967年2月13日 - 4月7日)
- マイティジャック (テレビ映画、1968年4月6日 - 6月29日)
- 37階の男 (テレビ映画、1968年7月28日 - 12月29日)
- 魔神バンダー (テレビ映画、1969年1月5日 - 同年3月30日、全13話)
- マキちゃん日記 (テレビ映画、1969年10月7日 - 1970年10月11日)
外部リンク[編集]
- Manao Horiuchi - IMDb(英語)
- 堀内真直 - KINENOTE
- 堀内真直 - allcinema
- 堀内真直 - 日本映画データベース
- 堀内真直 - 文化庁日本映画情報システム
- 堀内真直 - 日本映画製作者連盟
- 堀内真直 - テレビドラマデータベース