堺市立少林寺小学校
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堺市立少林寺小学校 | |
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過去の名称 |
泉州第九区県学分校 泉州第四番小学校 宿院小学校 堺市宿院尋常小学校 堺市宿院尋常高等小学校 堺市少林寺尋常小学校 堺市少林寺国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 堺市 |
設立年月日 | 1872年4月22日 |
創立記念日 | 4月22日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210003140 |
所在地 | 〒590-0963 |
外部リンク | 公式サイト |
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堺市立少林寺小学校︵さかいしりつ しょうりんじ しょうがっこう︶は、大阪府堺市堺区にある公立小学校。
堺市旧市街の南東寄りを校区とし、校区には寺院が多く立地している。学校正門前には、同校の前身校・宿院小学校の卒業生でもある与謝野晶子の歌碑が設置されている。また堺市立学校における在日外国人教育の拠点校として、多民族・多文化共生教育に力を入れている。[要出典]
沿革[編集]
1872年に設置された泉州第九区県学分校を起源とし、堺市ではもっとも歴史の古い学校の一つとなっている。明治時代当時には宿院町東2丁に校舎があり、宿院小学校と称していた。その後1909年には現在地に移転した。移転と同時に、移転先の地名をとった少林寺小学校と改称している。 現在の堺市立英彰小学校は、1901年に少林寺小学校︵当時宿院小学校︶から分離した学校である。年表[編集]
●1872年︵明治5年︶4月22日 - 泉州第九区県学分校として創立。 ●1873年︵明治6年︶5月1日 - 堺県第十六区中学区大鳥郡第四番小学校︵泉州第四番小学校︶と称する。 ●1873年︵明治6年︶6月1日 - 宿院町東2丁に移転。 ●1875年︵明治8年︶8月1日 - 宿院小学校と称する。 ●1887年︵明治20年︶3月 - 宿院尋常小学校と改称。 ●1889年︵明治22年︶ - 市制施行により堺市が発足。堺市宿院尋常小学校と称する。 ●1901年︵明治34年︶ - 堺市英彰尋常小学校︵現在の堺市立英彰小学校︶を分離。 ●1906年︵明治39年︶ - 高等科を設置。堺市宿院尋常高等小学校に改称。 ●1908年︵明治41年︶ - 高等科を廃止。堺市宿院尋常小学校に改称。 ●1909年︵明治42年︶4月3日 - 現在地に移転。堺市少林寺尋常小学校に改称。 ●1934年︵昭和9年︶9月21日 - 室戸台風の暴風雨により木造校舎が倒壊。児童3人が死亡[1]。 ●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 国民学校令により、堺市少林寺国民学校に改称。 ●1945年︵昭和20年︶6月20日 - 堺市百舌鳥国民学校︵現在の堺市立百舌鳥小学校︶に集団疎開。 ●1945年︵昭和20年︶7月10日 - 堺大空襲で校舎焼失。 ●1945年︵昭和20年︶7月20日 - 学童集団疎開先の百舌鳥国民学校も空襲被害を受けたため、泉北郡上神谷国民学校︵現在の堺市立上神谷小学校︶に再疎開。 ●1946年︵昭和21年︶5月30日 - 戦災復興第1期工事が完成。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革により、堺市立少林寺小学校に改称。 ●1951年︵昭和26年︶6月 - 大阪府および堺市から、学校給食モデルスクールに指定される。通学区域[編集]
●堺市堺区 旭通︵1街区・2街区︶、永代町1丁・2丁、京町通︵1街区・2街区︶、御陵通︵1街区-3街区︶、幸通︵1街区・2街区︶、少林寺町東、新在家町東、神保通︵1街区︶、寺地町東、中之町東、賑町1丁、南旅篭町東、南半町東、南安井町1丁、文珠橋通︵1街区・2街区︶、八千代通︵1街区・2街区︶。 卒業生は堺市立陵西中学校に進学する。交通[編集]
●阪堺電気軌道阪堺線 寺地町停留場 南東へ約400m。 ●南海バス 市立堺病院前バス停・寺地町バス停。 ●南海高野線 堺東駅 南西へ約1.7km。 ●南海本線 湊駅 北東へ約1.5km。 ●南海本線 堺駅 南へ約1.7km。脚注[編集]
- ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p330 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)