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大坂夏の陣図屏風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大坂夏の陣図屏風 右隻部分
大坂夏の陣図屏風 左隻(画像の出所が異なるため、右隻と色調が異なっている。)

201615

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150.3x360.7cm50713481387974119158[1] 1615632057[2]51姿

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[3][4] 23輿調輿[5]

[3][4][1][6]20195833[7]




11[8]5姿殿西34姿

大坂の陣を描いた屏風一覧[編集]

作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 備考
大阪冬の陣図屏風 紙本淡彩 六曲一双 東京国立博物館 江戸後期から幕末 木挽町狩野家に伝来した模写。原本は狩野興以の工房で作られた「大坂攻之図屏風[9]」の下絵、または完成品の模写だと推測されるが[10]、完成品は所在不明。もともと10扇分しかなく、付属の覚書を分解して両端の扇に貼り付け六曲一双としている。これを元に完成品を想定したデジタル彩色による復元が行われた[11]
大阪冬の陣図屏風 六曲一双 大阪城天守閣 1986-90年(昭和61年-平成2年) 上記の作品を大阪城研究家の武内勇吉が5年の歳月をかけ肉筆模写した作。
大阪冬の陣図屏風 2巻 京都市立芸術大学資料館 江戸中期 粉本
大阪夏の陣図屏風 紙本金地著色 六曲一双 大阪城天守閣 江戸前期 本項目で記述
大阪夏の陣図・屋島合戦図屏風 紙本金地著色 六曲一双 出光美術館 江戸中期 長谷川等意(江戸中期の長谷川派絵師という以外詳細不明)筆
大阪夏の陣図屏風 六曲一隻 彦根城博物館 江戸後期 5月6日に起きた若江合戦における井伊直孝隊の奮戦の様子を描く。絵師のものと見られる「清成」という落款があるが、詳細不明。
大坂之陣図屏風 紙本著色 六曲一隻 石川県立歴史博物館 江戸時代 下記の「大坂夏の陣図屏風」左隻の図様に酷似。
大坂夏の陣図屏風 六曲一双 所在不明 江戸後期か 大阪城天守閣(大阪市経済局)編集『大阪築城四〇〇年記念 大阪城四〇〇年の歴史展』(大阪城天守閣特別事業委員会編集、1983年10月1日、pp. 42–43)に掲載。独自の図様。

脚注[編集]



(一)^ ab調2015p.146

(二)^  19781988NHK2008625 2015

(三)^ ab

(四)^ ab

(五)^ 1980

(六)^ 1991

(七)^ 2015pp.11-13

(八)^ 1988

(九)^ 

(十)^ 1988

(11)^  fuyunojin.tumblr.com202424

参考文献[編集]

論文
  • 宮島新一 「新指定重要文化財 大坂夏の陣図屏風について」『Museum』No.464、東京国立博物館、1989年11月1日、pp. 29–34,図巻頭2p
  • 北川央 「戦争と民衆 「大阪夏の陣図屏風」の世界」『歴史地理教育』No.655、2003年6月号、pp. 18–23
雑誌
  • 『週刊絵で知る日本史2 大坂夏の陣図屏風 真田幸村 超人伝説の真実』 集英社、2010年11月11日号
  • 芸術新潮』2015年6月号、「徳川家康没後400年記念◎大特集 関ヶ原&大坂の陣 謎解き大合戦図」、新潮社、2015年5月25日
展覧会図録
  • 兵庫県立歴史博物館編集 『特別展 戦国合戦と武将たちー信長・秀吉・家康ー』 1991年10月5日
    • 知念理 「「大坂夏の陣図屏風」(黒田屏風)の伝来と制作意図ー黒田長政・本多忠朝・松平忠直、東軍三将をめぐって」、pp. 99–103
  • 和歌山県立博物館編集・発行 『戦国合戦図屏風の世界』(1997年10月10日
    • 北川央 「大坂冬の陣図屏風・夏の陣図屏風に描かれた大坂城ー極楽橋の検討ー」、pp. 13–17
  • 大阪城天守閣編集 『テーマ展 いくさ場の光景 ー大阪城天守閣収蔵戦国合戦図屏風展ー』 大阪城天守閣特別事業委員会、2009年3月20日

外部リンク[編集]