大畑駅 (青森県)
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大畑駅 | |
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![]() 廃止前の駅舎(2000年8月) | |
おおはた ŌHATA | |
◄正津川 (2.5 km) | |
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所在地 |
青森県下北郡大畑町大畑庚申堂60 北緯41度24分8.1秒 東経141度9分49.4秒 / 北緯41.402250度 東経141.163722度座標: 北緯41度24分8.1秒 東経141度9分49.4秒 / 北緯41.402250度 東経141.163722度 |
所属事業者 | 下北交通 |
所属路線 | 大畑線 |
キロ程 | 18.0 km(下北起点) |
電報略号 | ヲホ(1950年) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1939年(昭和14年)12月6日[1] |
廃止年月日 | 2001年(平成13年)4月1日 |
備考 | 有人駅(車両基地設置) |
大畑駅︵おおはたえき︶は、かつて青森県下北郡大畑町大畑庚申堂︵現・むつ市大畑町庚申堂[2]︶に存在した下北交通大畑線の駅︵廃駅︶。
大畑線の廃止により2001年︵平成13年︶4月1日に廃駅となった。大畑線の終着駅であり、本州最北の駅[注釈 1]であった。駅舎は鉄道廃止後、同社の大畑出張所として使われている。
歴史
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●1939年︵昭和14年︶12月6日‥鉄道省大畑線の駅として開業[1]。
●1972年︵昭和47年︶3月15日‥旅客扱いを日本交通観光社に委託。
●1975年︵昭和50年︶1月23日‥貨物扱いを日本交通観光社に委託。
●1984年︵昭和59年︶2月1日‥貨物扱い廃止[1]。
●1985年︵昭和60年︶7月1日‥日本国有鉄道から下北交通に転換[1]。
●2001年︵平成13年︶4月1日‥下北交通大畑線廃止により廃駅となる。
駅構造
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Shimokita_Kotsu_KiHa_85-1_Ohata_Station_19960801.jpg/220px-Shimokita_Kotsu_KiHa_85-1_Ohata_Station_19960801.jpg)
廃止後(大畑出張所)
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廃止後もバス部門の大畑出張所が残り、バス待合所及びバス出札窓口が使用されている。鉄道廃止後しばらくは売店も営業を継続していたが、のちに閉店し跡地がそのまま残っている。
バス出札窓口は9時00分 - 11時50分、12時30分 - 16時50分の営業で、水・土曜が定休日となっている。窓口営業時間内に限り、案内放送を行っている。バス乗務員の出退勤点呼などの労務管理も行っているため、出張所社員︵運行管理者︶は毎日常駐する。
バス停は﹁大畑駅﹂のまま名称を変更せずそのまま利用されており、大間、佐井方面、むつバスターミナル、下北駅方面等のバスが発着している[3]。また、奥薬研方面のデマンドタクシーも発着する[4]。
車両の動態保存
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ホームや構内の線路、車庫は廃止後も残されており、大畑線で使用されていたキハ85形気動車︵旧 国鉄キハ22形︶の動態保存に活用されている。毎年4月から11月までの第3日曜日、日本航空︵旧 日本エアシステム︶のパイロットたちで結成された鉄道愛好会﹁NPO法人 GEMBU:大畑線キハ85動態保存会[5]﹂が、点検を兼ねてキハ85形の運転会を行っている[6]。
ギャラリー
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鉄道廃止後の駅舎(2008年10月)
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駅舎内部(2008年10月)
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駅名標
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本州最北の駅であったことを示す標柱
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廃止前のホームと車庫。奥が下北方面。
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廃止後の線路と車庫。奥が下北方面。
隣の駅
[編集]- 下北交通
- 大畑線
- 正津川駅 - 大畑駅
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
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(一)^ abcd石野哲︵編︶﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄︵初版︶JTB、1998年10月1日、511頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(二)^ “ご案内”. 大畑線キハ85動態保存会. 2020年1月2日閲覧。
(三)^ “恐山バス乗り場、佐井バス乗り場、大畑駅バス乗り場”. 下北交通. 2020年1月2日閲覧。
(四)^ “大畑~奥薬研﹁デマンド型乗合タクシー﹂”. むつ市. 2022年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月2日閲覧。
(五)^ 大畑線キハ85動態保存会 - 公式ホームページ
(六)^ “鉄道愛好家が守る大畑線 保存会、手弁当で9年”. 朝日新聞デジタル. (2010年9月20日) 2020年1月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
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