妹尾兼忠
妹尾 兼忠︵せお かねただ︶は、秋田県横手市に残る伝説に登場する人物である。通称が五郎兵衛であることから、妹尾五郎兵衛兼忠︵せおごろべえかねただ︶とも呼ばれている。また、怪力であったため﹁大力妹尾兼忠︵だいりきせおかねただ︶﹂とも呼ばれている。
妹尾兼忠の石碑がある秋田神社
横手城内で兼忠の怪力が評判になったころ、植木に使う大木を運搬中に蛇の崎橋で欄干に引っかかってどちらにも動けなくなる出来事があった。兼忠がちょうど通りかかり、大木を移動させようと必死に作業する人夫に、通行の邪魔であると声をかけた。人夫はつい、良くない言葉で返事をしたため、武士の兼忠はその無礼に怒り、大木を持ち上げるなり橋の下の横手川[4]の川原に投げ落としてしまった。この大木を引き上げるのに、50人の人夫が3日かかったという。
元和8年︵1622年︶の大眼宗一揆のとき、兼忠は2間余りの角材を手に持って蛇の崎橋の上に立ち、一揆の信者たちをにらみつけ、追いのけて功名をあげた[5]とも、また、兼忠の下駄は、1斗余り入る味噌桶の台ほどの大きさだったとも伝わる。
ある雨の日、兼忠が足駄を履いて傘を右手に持ち、左の手の平に大石を乗せて、急な七曲がりの坂を苦もなく登って横手城[6]へ登城する姿が、人々を驚かせたという。現在横手公園の一部となっている横手城本丸跡︵秋田神社境内︶には﹁大力無双妹尾兼忠﹂と刻まれた石碑と、彼が片手で運んだとされる大きな石が残っている。
蕪村﹃妖怪絵巻﹄より﹁うぶめの化物﹂
与謝蕪村が、宝暦4年︵1754年︶の﹃妖怪絵巻﹄のなかで﹁蛇の崎が橋 うぶめの化物﹂として描いている。
それによれば、﹁出羽の国 横手の城下 蛇の崎が橋 うぶめの化物。関口五郎太夫、雨ふる夜、此のばけものに出合、力をさづけられるとぞ。其の後ゑぞか嶋合戦の時、其てがらあらわしけるとぞ。佐竹の家中にその子孫有﹂と説明をつけている。
産女︵うぶめ︶が大力を授けるこの物語は﹁うぶめの礼物﹂型に属している。産女は、上述のように、城の山中の氏神だと名乗っている。