小林正則 (政治家)
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小林 正則 こばやし まさのり | |
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生年月日 | 1952年7月24日(71歳) |
出生地 | 新潟県長岡市 |
出身校 | 産業能率大学 |
所属政党 |
(社会民主連合→) (新党さきがけ→) (民主党→) 無所属 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2005年4月11日 - 2021年4月10日 |
選挙区 | 小平市選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年7月23日 - 2005年 |
当選回数 | 2回 |
小林 正則︵こばやし まさのり、1952年︵昭和27年︶7月24日[1] - ︶は、日本の政治家。元東京都小平市長︵4期︶、元東京都議会議員︵3期︶、元小平市議会議員︵2期︶。
来歴[編集]
新潟県長岡市生まれ。新潟県立三条工業高等学校︵現‥新潟県立新潟県央工業高等学校︶を経て産業能率大学卒業[2]。佐藤螺子製作所︵サトーラシ︶や生活クラブ生活協同組合職員を経て、社会民主連合の大柴滋夫、菅直人両衆議院議員の秘書を務める。 小平市議会議員を2期、東京都議会議員︵小平市選挙区選出︶を3期務める。社民連の解党後は新党さきがけに入党し、さきがけ東京︵新党さきがけの東京都支部連合会︶幹事長も務めた。その後民主党︵旧︶に加わり民主党東京幹事長代理を務め、都議会では民主党政策調査会長を務める[3]。 2005年4月3日執行の小平市長選挙に、民主・共産・社民・ネット4党の支援を受けて出馬。自由民主党、公明党の推薦を受けた現職の前田雅尚市長を破り、初当選した︵投票率は、40.82%︶[4]。 2009年4月5日執行の小平市長選挙では、前回同様4党の推薦・支援により前小平市教育長の坂井康宣をダブルスコアで下し、再選︵投票率は、39.31%︶。 2013年4月7日執行の小平市長選挙では前々回同様4党および生活の推薦で、自民・公明・みんな・維新4党推薦の元小平市議ら3人の対立候補を破り、3選[5]︵投票率は、37.28%︶。 小林は初当選時に﹁多選自粛﹂を公約し3期12年で引退するとしていたが、2017年4月9日執行の小平市長選で民進・共産・社民・ネットの推薦を受け出馬。自民党推薦の元市議など新人2人を破り4選。 2020年11月25日、5選不出馬を表明した[6]。小平市長[編集]
小平市は元々保守地盤の強い地域であり、東京都下で軒並み革新首長が誕生した1960-70年代にも保守市政を守り抜いたため、2005年の小林の当選により初めて非自民系の市長が誕生した。 2005年の市長選挙では、前田雅尚市長の高齢・多選による弊害が選挙戦で焦点になった。前田は元小平市職員であり、3期12年間の市長時代に職員時代を加えれば、ほぼ半世紀以上にわたって小平市政に関わっていた。小林は、前田市政の堅実さを評価しつつも、官僚的で硬直化した市政を転換すべきと訴えた。 日本共産党は当初、独自候補︵小平地区労議長の山内勝男︶の擁立を進めていたが、共倒れを危惧した民主党が共産党に共闘を呼びかけた結果、共産党は小林を支持した。人物[編集]
- 全国で唯一の、社会民主連合の党員歴のある首長であった。
脚注[編集]
(一)^ ﹃全国歴代知事・市長総覧﹄日外アソシエーツ、2022年、144頁。
(二)^ 東京都市長会/多摩26市/小平市長
(三)^ 小林正則
(四)^ 小平市長に小林氏/共産党など支持 自公推薦の現職破る/東京 しんぶん赤旗 2005年4月4日
(五)^ “小林氏が3選 自・公・み・維推薦候補破る”. 東京民報. (2013年4月8日) 2013年4月8日閲覧。
(六)^ “小林小平市長が5選不出馬表明 /東京”. 毎日新聞. (2020年11月26日) 2020年12月17日閲覧。