小林鉄太郎
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小林 鐡太郎︵こばやし てつたろう、1886年︵明治19年︶11月18日 - 1962年︵昭和37年︶4月13日︶は、日本の政治家、衆議院議員、翼賛政治体制協議会所属、旧鶴岡市第5代市長。栄典は正五位・勲四等・瑞宝章。
略歴[編集]
●1886年︵明治19年︶11月18日 - 川越平左衛門の3男として大宝寺村道形︵現・鶴岡市︶に生れる。 ●小林六平治の養子となる。 ●1905年︵明治38年︶ - 山形県立荘内中学校卒業︵同窓生に金野岩治がいた。︶ ●金沢第四高等学校卒業 ●1912年︵明治45年︶ - 東京帝国大学政治科卒業 ●1916年︵大正5年︶ - 東京帝国大学独法科卒業 ●鉄道院書記 ●鉄道省事務官 ●関東長官秘書官 ●台湾総督秘書官 ●陸軍省嘱託 ●満州国協和会駐日代表 ●1942年︵昭和17年︶4月30日 - 第21回衆議院議員総選挙︵山形2区・翼賛政治体制協議会・8974票獲得︶初当選 ●1944年︵昭和19年︶5月 - 鶴岡市長就任 ●1946年︵昭和21年︶3月 - 同職退任。公職追放となる[1]。 ●立教大学講師 ●中央大学講師 ●専修大学講師 ●1962年︵昭和37年︶4月13日 - 死去。正五位・勲四等・瑞宝章 叙位叙勲。東京都新宿区の宝祥寺に墓がある。著作物[編集]
●1920年︵大正9年︶ - ﹃近時の社会問題﹄ 法制時報社︵出版︶ ●1927年︵昭和2年︶ - ﹃普選読本﹄ 政治教育会︵出版︶ ●1932年︵昭和7年︶ - ﹃交通研究資料・第22集﹄ 日本交通協会︵出版︶脚注[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
公職 | ||
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先代 熊田周八 |
鶴岡市長 第5代:1944年-1946年 |
次代 加藤精三 |