小畑大太郎
小畑 大太郎︵おばた だいたろう、1873年︵明治6年︶5月22日[1][2] - 1946年︵昭和21年︶8月9日[1][3]︶は、明治から昭和前期の銀行家、政治家、華族。貴族院男爵議員、正三位勲三等[3]。弟は陸軍飛行第五連隊長︵立川飛行場長︶の小畑厳三郎[1]、陸軍三羽烏の小畑敏四郎[1]。
経歴[編集]
男爵・小畑美稲の長男として東京府︵現東京都︶に生まれる[1][2]。1894年︵明治27年︶に慶應義塾大学を卒業し[3]、第十五銀行に入行[4]。1900年︵明治33年︶に欧米に留学[3]。1903年︵明治36年︶にニューヨーク大学商科卒業[3]。ケミカル銀行、カナダ銀行で銀行事務を研究[2]。帰国後、第十五銀行で書記を務めた後、同行副支配人となり、農村経済更生中央委員会委員となる[2][3]。 1912年︵大正元年︶12月20日、父の死去に伴い男爵を襲爵[1][5]。1916年︵大正5年︶9月16日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]第十五銀行を退職[4]。公正会に所属し死去するまで在任した[3][7]。1922年︵大正11年︶に第8回パリ万国議員商事会議に出席し[3]、1946年︵昭和21年︶に永年在職議員として表彰された[3]。 また、茨城県稲敷郡木原村︵現美浦村︶で農場を経営し、大日本農会評議員、私立東京農業大学評議員、茨城県農会顧問などを務めた[4]。親族[編集]
次女秀子は指揮者齋藤秀雄の二度目の妻である[1]。栄典[編集]
- 位階
脚注[編集]
参考文献[編集]
●人事興信所編﹃人事興信録 第4版﹄人事興信所、1915年。 ●人事興信所編﹃人事興信録 第8版﹄人事興信所、1928年。 ●﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 ●衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄1990年。 ●﹃平成新修旧華族家系大成 上巻﹄霞会館、1996年。日本の爵位 | ||
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先代 小畑美稲 |
男爵 小畑(美稲)家第2代 1912年 - 1946年 |
次代 小畑年太郎 |