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小野寺秀富

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小野寺幸右衛門から転送)
『義士四十七図 小野寺幸右衛門秀富』(尾形月耕画)

  41676 - 16241703320

生涯

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41676

使

14170131517029

使使

28

後史

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義母・丹のことを「一人で居ること故偏に頼む」として、伏見の大塚屋小右衛門らに十二月七日付の手紙で懇願している。丹は、秀和・秀富の死後の6月18日、餓死した[1]

人物

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なお、秀富は兄・忠雄と同様に俳諧をたしなみ、漸之という雅号を持っていた。子葉(大高忠雄)の編著である俳諧集『二ツの竹』にも漸之の句が載せられている[2]

脚注

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  1. ^ 小野寺十内書簡「妻へ-飢え死にも覚悟されよ」(『涙襟集』所収)
  2. ^ 絵入赤穂四十七士詩伝 (国文学研究資料館)

関連項目

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