コンテンツにスキップ

広橋経光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

勘解由小路経光
時代 鎌倉時代中期
生誕 建暦2年(1212年[1]
死没 文永11年4月15日1274年5月22日
別名 広橋経光(後世の呼び名)
官位 正二位民部卿権中納言
主君 後鳥羽上皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 広橋家
父母 父:広橋頼資、母:源兼資[2]の娘
兄弟 経光信光世尊寺経朝、頼誉、頼源、兼恵、頼尊、皇后宮内侍
養兄弟:頼円頼舜
藤原親実の娘
兼頼兼仲、経子(亀山天皇後醍醐天皇室の民部卿三位?)
テンプレートを表示

    [1]

経歴

[編集]



612181116[3]3122119420[4]79[5]4122216[6]212727931472122677殿212274209161229105[7]3123010281232104[8]

1233128[9]12152123442212362305612193123712441238227329[10]462029523使720使123912427116

2124121810134124322212441512471282124810297125515

126098[11]111274415

『民経記』の記者

[編集]

経光が残した日記『民経記』は鎌倉時代の重要資料として知られている。経光15歳の時からの自筆原本が残っていることでも知られるが、藤川功和によると勅撰和歌集、特に『続古今和歌集』成立に関して詳細な記述が伝わっている[12]九条基家が父良経の先例にならって『続古今和歌集』の仮名序を書くよう命が下ったことなど、経光が文学的な側面に詳しかったと藤川は明らかにしている。

系譜

[編集]

脚注

[編集]


(一)^ ab 1997.

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ 

(五)^ 

(六)^ 

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 

(十)^ 

(11)^ 

(12)^ 

参考文献

[編集]

   21241

  

1997 

 64


関連項目

[編集]