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手稲山口バッタ塚︵ていねやまぐちバッタづか︶は、北海道札幌市手稲区手稲山口にある塚である。札幌市指定史跡であり、山口緑地内に所在。
北海道開拓使時代に、十勝地方でバッタが大発生し、各地で蝗害をもたらしていた。バッタは札幌にも飛来し、その後毎年のように大発生し農作物は食べ尽されていった。人々はバッタを減らすために、幼虫を追い込んで穴に埋めたり、鋤でつぶしたり、野焼きをするなどした。雨が降れば卵が溺れ死ぬという事で、雨乞いのために大砲まで撃ったとも言われている。その後、明治政府は被災者の救済も兼ねて市中から卵を買い集め、砂地だったこの地に埋めて、バッタを減らそうとした。蝗害の根絶を願ってそこに建てられたものがバッタ塚である。
バッタの死骸や卵塊を集めて埋めたとされる場所は、畝のように盛り上がった草地になっており、木の柵で囲われ、石碑と説明看板が設けられている[1]。
バッタ塚は十勝地方などにも多く見られ、札幌市内にもいくつか存在したが、同市内において現存するものは手稲山口バッタ塚のみである。札幌市が指定する唯一の史跡となっている[1]。
関連項目[編集]
- 札幌市手稲記念館 - バッタ塚のコーナーがあり、土や塚の説明が書かれたパネルが設置されている。
- 新得町バッタ塚 - バッタの大量発生源となった十勝地方に残るバッタ塚。新得町に所在する。
外部リンク[編集]